ギョクチェキ・アンカラ市長、正式辞任「(エルドアンの)命令は鉄も切る」
2017年10月28日付 Cumhuriyet紙


 アンカラ広域市市長の任を辞任したイブラヒム・メリフ・ギョクチェキ氏は「業績をあげていないとか疲れたというような理由ではない。あるいは、ほかの如何なる懸案によるものでもなく、ただ、トルコをリーダー国家に導くと私が信じているレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の要求を実現させたまでだ」と話した。このように、ギョクチェキ氏は、公正発展党(AKP)のレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の命令を受けて辞任したのだと明言し、「命令は鉄さえも切る」とコメント。また同氏は、エルドアン大統領との距離を引き裂こうと動く人々を呪うとし、スピーチを締めくくった。

8617日間、市長の椅子に座り続けたメリフ・ギョクチェキ市長の辞職を審議するため、広域市議会が緊急招集された。議会は議事堂ではなく、広域市カンファレンスホールで行われた。また、この会にはCHP(共和人民党)とMHP(民族主義者行動党)のグループは出席しておらず、ギョクチェキ市長はAKP系の市議会議員に対して語りかけることとなった。

メリフ・ギョクチェキ・アンカラ広域市市長は、辞任発表のため、14時に広域カンファレンスホールへやってきた。AKPのレジェプ・タイイプ・エルドアン党首からの命令によりアンカラ広域市長の任を辞すると発表したギョクチェキ市長は「私の信条では、命令は鉄さえも切る」と述べた。23年間の市長としての実績説明で始まったスピーチを、ギョクチェキ市長は、エルドアン大統領との距離を裂こうとする人々への呪いの言葉(beddua)で締めくくった。

■ギョクチェキ市長の辞任スピーチの要点まとめ

 「かつてアンカラは、信仰の場のない、灰色の都市として計画された。昔のアンカラの名は信仰のない街だった。ハジュ・バイラム・モスクや周辺は、ハジュ・バイラム師を裏切り、居酒屋やその種の家々でびっしりだったが、れらを一掃した。また、モスクの街イスタンブルに、2.5倍の差をつけた。そうして、アンカラは信仰のない都市ではなく信仰の町として知られるようになった。

 また、アンカラ・メトロの成功も我々の実績として知られるし、トルコで初めてゴミから発電した自治体でもある。」

■「今や緑に囲まれたアンカラ」

 「我々がアンカラ市内に146筋もの大通りを開通させ、7255キロメートルもの道路を敷設した。また、中央分離帯のある道路をつくって交通事故を防いできた。そして都市への出入ゲートを5箇所設けた。我々がアンカラ市長の座についた時、空気は汚れ、鳥も木々から転げ落ちる有様だった。その空気を浄化し、合計15,305キロメートルもの基礎インフラをつくった。我々の前は蛇口をひねれば泥が出てきた。我々がやってきた時、ママク地区やチャンカヤ地区ではゴミの臭いが漂っていた。そこでゴミ処分場をつくり、無償で収集している。1994年以前には、アンカラは灰色のアンカラと呼ばれていたが、すでにその名は、緑のアンカラに変わった。今や緑に囲まれたアンカラだ。市内で、お腹を空かせた人や財産のない人を放置せず、支援をしてきた。メリフ・ギョクチェキは、EU委員会からも4つも賞を受賞した市長となった。一度たりとも、職員の給与を不払いにせず、投資も止むことはなかった。

 25の児童クラブを開設し、市民に70キロに及ぶ支援物資を配給した。37万7000戸の低所得世帯にパンを配給した。パキスタンで発生した震災へのアンカラは支援を行ったし、何人もの五輪メダリストを輩出した。

 私は、何年もの時間をAKPに捧げてきた皆さんの兄弟だ。トルコにおいて、求める人には支援者が立ち上がり、低所得世帯には支援が施されてきた。

 この件でAKP政権とレジェプ・タイイプ・エルドアン党首の役割を忘れることはできない。このような政権へ、諸自治体として貢献してきた。」

■「私の信条では、命令は鉄さえも切る」

 「特に偏向メディアは、私がこの件で(大統領に)抵抗していると信じて、いい加減な報道をした。では、私がこれほど沈黙していた理由は何だったか? 私には信念をもって信じる道徳がある。私の信条では、私的な利害が存在する余地はない。私の信条では、人にとりいることはない。なされた評価によって、党首であり、かつ私のリーダーたるレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領により、辞任が求められた。私の信条では、命令は鉄さえも切る。

 私に対し、今回の件に反抗するよう、忠告する人々がいた。私が辞任せず、AKPのために一票が失われる道を開いてしまえば、それは罪深いことだと考えている。業績をあげていないとか疲れたというのではない。あるいはほかのいかなる懸念によるものでもなく、ただ、トルコをリーダー国家に導くと私が信じているレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の要請を現実にしたまでだ。」

■「訴追を恐れたという大げさなゴシップを続ける者もいるだろう」

 「訴追を恐れのだという大げさなゴシップを続ける者もいるだろう。しかし私は1994年以降、8年間、野党に囲まれて市長をやり、500回近い訴追や捜査を経験してきた。訴追のない日はなかったといってもよい。それらのすべてで無罪となり、ひとつも刑を受けなかった。23年間、議員特権のない人間として市民の前に立ってきた。罪は一つもない。自分の家族や市民に対して潔白だ」と語った。

■「私について、冤罪ともいえるような報道をする人々へいう―私は、信条の人間だ、」

「私について、冤罪ともいえるような報道をする人々へいう。私は信条の男だ。私の姿勢は2月28日軍事書簡クーデタでも、ゲズィ公園騒乱でも、12月17日~25日汚職捜査事件においても、7月15日のFETO派の裏切りでも一貫していた。アンカラ市民は私のこうした姿勢と貢献を好み。票を投じて5期の当選に至った。これまでのスタンスの意味がどうであれ、今日の辞任のスタンスも変わることはない。
 私の信条のために戦いが必要なら用意はできている。自己犠牲が必要なら、それも準備がある。信条への忠誠と情熱は議論の余地がない。我々のリーダーに、そして彼の政治にわずかでも害をなそうとするのは、虐げられた人々や全ムスリム世界へ害をなすものと見なしている。

 我々のリーダーたるエルドアン大統領の命令を受け入れ、アンカラ市長を辞任する。23年と半年のあいだ継続してきた任から離れる。23年間に渡り、私とともに日夜アンカラのため貢献してきた同僚全員に感謝している。気づいていない過ちがあったとしたら許してもらいたい。また妻のネヴィン・ギョクチェキにも感謝している。彼女にも許しを乞いたい。」

■呪いの言葉

 「最後に、祈る。我々の味方に見えるがそうではない、我々のリーダーたるレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領と彼と近いもの(=自分)の距離を引き裂くことを任務としている、内部の扇動者を許すな。そいつらを破滅させよ、慈悲深き神よ。」

■広範な保安体制

 メリフ・ギョクチェキ市長の辞任発表のため、市庁舎前に広範囲で保安体制が敷かれた。午前中、ギョクチェキ市長の辞任反対デモを試みたグループを警察は許さなかった。また、ギョクチェキ市長辞任を発表予定のホールでは警察犬によるチェックが実施された。ホールに集まった報道陣も、ボディーチェックを受けた後にホール内に入ることとなった。

■アキト放送アンカラ担当メフメト・オズメン局長を攻撃

アンカラ広域市メリフ・ギョクチェキ市長の辞任が発表された際、ホール外で待機していた群衆の一グループが、の行事に参加したアキト放送アンカラ担当メフメト・オズメン局長を襲撃。警察が群衆を散開させ市庁舎の建物から遠ざけた。

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(翻訳者:原田星来)
(記事ID:43670)