Abdulkadir Selviコラム:エルドアンのギュル攻撃
2018年01月01日付 Hurriyet紙

2013年6月3日のことだ。それはゲズィ公園事件がピークに達した日だった。

エルドアン首相(当時)は、抗議運動の裏では当選できなかった者たちがいると言い、「10ヵ月後に投票で国民はこの清算を求める」と述べた。

エルドアンに対し、同じ日にアブドゥッラー・ギュル大統領(当時)が返答した。ギュルは「民主主義において選挙がすべてというわけではない」と述べた。ゲズィ運動の参加者を歓喜させたこの言葉を受けて、私は6月8日にイェニ・シャファク紙で、「友好的民主主義」というタイトルの記事を書いた。アブドゥッラー氏が大統領に選出されるのを妨げたいと考える者たちが同じことを口にしたと私は主張したのだった。ギュルが大統領に選出されるのを防ぐために[議会で大統領選出の第一次投票に国会議員の]367[名が参加するよう]提案したサビフ・カナドオールが、トルコでは選挙制民主主義が支配的であるとし、「選挙で当選すれば何をしてもいいと考えられている。これは民主主義ではない。これはトルコ式の民主主義である」と述べたことに触れていた。

それだけではなく、[1971年]3月12日クーデターへ向かうプロセスで軍人と協力関係を築いたあるグループのエリートが「友好的民主主義、選挙民主主義だ」と当選者達を過小評価したことに触れた。

私は「かつてサビフ・カナドオールがアブドゥッラー・ギュルの大統領就任を防ぐために口にした言葉を、当人が民主主義手法の闘いの末に大統領府に住んだアブドゥッラー・ギュル大統領が言った」と続けた。

私の記者生活で2つの原則があった。

1. 大統領を、首相を、党首たちを、その権力が頂点にあるときに批判した。
2. 私と過酷な議論をした者たちが刑務所に入り、私に返答できる状況になかった際は、彼らについて否定的な言葉は一切使わなかった。

ギュルの大統領在任時の6月18日、チャンカヤ大統領府でとあるプログラムが行われた。「大セルジュークの遺産」についてのプレゼンテーションの後、レセプションへと移った。私はスター紙の記者エリフ・チャクル氏と一緒に、ギュル大統領と話す機会を得た。ギュルは少し非難する口調だった。その日私たちの間に起きたことも6月19日付の記事に書いた。「民主主義とは選挙だけではない」という言葉を用いたとき、「私はこのような発言を立ち話では行わない」と彼は言った。この言葉がある者たちによって使われたと私が言うと、「誤解がある。黒海遊説で説明する必要を感じた」と弁解した。

■見解の相違はいつから始まったのか?

なぜ私がこのことに触れているのか?エルドアンとギュルの間の議論は非常事態特別政令(KHK)のことに留まらない。ゲズィ事件以降、エルドアンとギュルの間で見解の相違が生じている。さまざまな事件に対する「スタンスの違い」が徐々に大きくなっている。最終的に彼らは大統領制に関して真逆の立場をとった。エルドアンは大統領制のために手を尽くす一方で、ギュルは議会制を主張する側に立った。

決定打となったのは、第11代目大統領アブドゥッラー・ギュルが、[2016年]7月15日クーデタ計画の鎮圧を担った人びとへの司法免除における、「続行」という語に対するツイートであった。

エルドアン大統領はギュルの登場を2つの点から不快に感じた、と言われている。

1. ツイートの内容により。エルドアンは、7月15日クーデタ計画の鎮圧に命を賭した国民たちに関する法的規定が他の場所に持ち込まれてしまったために不快に思っている。
2. ギュルのツイート、およびクルチダルオールとアクシェネルの発表でもって一挙に、対エルドアン「共同戦線」が構築されたこと。

■2019年選挙

エルドアン大統領がこれを2019年大統領選の前哨戦だととらえているのが理解される。エルドアンが、とりわけギュルを標的とした意味は、より一層重要である。

このところ、アブドゥッラー氏を、エルドアンに対抗して49%の共同候補として推す動きがある。大統領がこのことを知らないということなど考えられるか? ギュルの周辺でここ7ヶ月の間に様々な動きがあったと考えている。実際にギュルも今年の4月16日[の国民投票]以後、「一層話し、一層姿を現す」と決めた。エルドアンは、アブドゥッラー・ギュルのうえに構築されたプランを見て、壊すために攻撃をしかけた。KHK議論は氷山の一角にすぎない。エルドアン‐ギュル論争の核心は2019年の大統領選の帰趨にかかっている。

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(翻訳者:金戸 渉)
(記事ID:44074)