元参謀総長バシュブー、アフリーン作戦を解説
2018年01月22日付 Hurriyet 紙


トルコ軍は、クルディスタン労働者党(PKK)、クルド民主統一党(PYD)-クルド人民防衛隊(YPG)、イスラム国(IS)の構成員であるテロリストたちが影響力を行使できなくするために、アフリーンへ始めた「オリーブの枝」作戦の3日目。さて、これに至る経緯、結果、危険性とは何か。アメリカ、ロシア、トルコはシリアで何をしたいのか。次の一歩はどうしなければならないのか。第26代参謀総長を務めたイルケル・バシュブーは問いに答えた。

―バシュブーさん、トルコは決意の程を見せて、アフリーンを攻撃した。軍を指揮した司令官として、「オリーブの枝」作戦をどうみるか。

2017年10月12日にイドリブ作戦が実施された。トルコがその日以降アフリーンへの侵攻を考え計画していたと見ている。しかし、あれから長い時間が過ぎたにもかかわらず、この作戦は実施されなかった。理由については、様々な意見があり得る。12月の末に向けて、シリア軍は南からイドリブ地域への進攻を始めた。トルコはこの時から、アフリーンへの作戦の実施を必要であり必須であると見ていた。

―空域が開放されていなくても作戦は実施されていたか。

ロシアが開放しようとも、せずとも、トルコはアフリーンへの攻撃を決定していた。予想されていたアフリーン作戦は、2018年1月20日17時に開始された。トルコ軍は、この作戦を細部まで計画していた。同様に細心の注意を払い実行に移すだろう。トルコ軍を十分に信頼している。アフリーン作戦に話を戻そう。ここで、今日の事態にどのように至ったかを考えることは有益であると考える。外交問題について、短期的な視点ではなく、可能な限り中長期的な視点で見ると、よく理解できるだろう。中長期的にどういった目標を掲げなければならなかったかを考えるとき、まず考えければならないところは通過した。シリア問題にこれをあてはめてみよう。私たちはどうやってこの事態に至ったのか。

―私たちはどこまでさかのぼらなければならないのか。

シリアで内戦が勃発した2011年3月である。シリア大統領アサドは、事態に厳しい反発を示した。アメリカ大統領オバマは、「アサドは退任すべきだと」 と述べた。トルコも同じ意見を共有していた。しかし、7年がたった。アサドは退任しなかった。最初の段階では、議論が民主主義と独裁について行われていたが、各宗派とその支持者間での衝突へと変わってしまった。

―アフリーン作戦へ戻るならば、そこでの秩序はいつ変わってしまったのか。

アフリーンといったときに地図を思い浮かべてみよう。特に、西部はクルド山岳地域と言われており、高地である。そこでは、以前からPKKがいる。実際、 PKKを最初に迎え入れたのは、アサドの父親である。しかし、重要なのは、シリア政府が紛争のため2012年7月にアフリーンから撤退したことである。YPGに残していった。

―やむを得なかったのか、政治的な理由からか。

第1に、クルド山岳地域にはすでにPKKがいた。おそらく、トルコに対する切り札と考えていたのだろう。なぜならば、ここにいるYPGの存在はある点でトルコにとって深刻な脅威である。考えてみなさい。クルド山岳地域を降りたならば、[トルコの]アマノス山地へ行くでしょう。3つ目は、内戦に向かっており、そこの兵隊に必要性を感じていた可能性がある。おそらくこれも意識的に行っている。この時点でイスラム国はいなかった。2013年7月になって、シリアでイスラム国は形をなしている。

―シリアでのイスラム国結成においてアサドの役割はあるのか。

ある。おそらくシリアにおける反政府勢力に対抗するためにイスラム国を認めた。2013年7月にイスラム国が結成されると、それに干渉する演者が現れた。アブドゥッラー・オジャランである。2013年8月に彼は次のように述べた。「新たに作られるシリアで私たちの勢力は、重要な役割を果たすだろう。そこで自治地域となるだろう。」その時トルコは、クルドと交渉を行っていた。続けて言うには、「交渉が破談になると、次はシリアの番である。」これは脅迫であった。2014年1月20日にジャズィーラで自治地域が宣言された。その後、アイン・アル=アラブ(コバーニー)とアフリーンでも自治区が設けられた。ここでの転換点は、アイン・アル=アラブである。2015年3月にアメリカの支援により、YPGがアイン・アル=アラブをイスラム国から奪った。ここでトルコは理解した、シリアの北部で何かが起こっていると。2015年6月にさらに理解を深める出来事が、テル・アブヤドをYPGが手中に収めたことである。トルコはシリアの北部で「クルド回廊」が築かれているのを理解した。実のところ、この回廊を「PKKテロ組織回廊」と呼ぶとより適切かもしれない。2015年秋には、イドリブがアサドの支配から抜けた。アサド政権は、ぐらついていた。そして、ロシアが事態に介入した。

―ロシアの最終的な目的は何か。

プーチンは、アサドと49年間に及ぶ海軍・空軍基地協定を締結した。少なくとも短期的に、移行期間において、アサドが権力の座にとどまることを望んでいる。ユーフラテスの東部がロシアとアサド政権の統治下に置かれることを望んでいる。その際、次のような問いが浮かぶ。「シリアについてロシアやアメリカの間には、秘密の合意があるのではないか。」私はあるとは言えないが、ないと言うのはさらに難しい。

―どういった合意について言及しているのか。

おそらく、「ユーフラテスの西部はロシアとアサド政権の統治下に、東部はアメリカともちろんYPGの統治下に」といった合意である。現在の状況はこれを表している。

―この推測を裏付ける証拠はあるのか。

2016年8月にトルコは、「ユーフラテスの盾」作戦を開始した。同時にシリア政府もアレッポに対して作戦を開始した。注意されれば、アル=バーブとアレッポは関連している。第二の事件は、2017年10月にイドリブ作戦が始まった。2017年12月にシリア政府は、緩衝地帯にハマーからイドリブへ進攻を開始した。いくつかの作戦を通して、ロシア政府とシリア政府が、ユーフラテスの西部で影響力を強めていこうと努めている。ユーフラテスの東部は、また別の状況である。このことも、実際にアメリカとロシアの間で秘密の合意があったのではという問いを思い浮かばせる。面白いことに、シリア政府がハマからイドリブへ向けた作戦を始めるとすぐに、12 月31日と1月6日にフメイミン基地とタルトゥースに無人機による攻撃があった。基本的にロシアもシリアにおけるクルドというカードを、特にYPGのカードをアメリカに残しておきたくない。さらに、一時アスターナの会議でクルド人に「文化的な自治」が与えられる憲法草案に進むとさえ言われていた。

―ロシアがYPGというカードを捨てたくない具体的な例はあるのか。

2016年8月に「ユーフラテスの盾」作戦を始めたとき、アフリーンに向かうだろうと言われていた。しかし、アフリーンに向かうには遥か東のテル・ラファトを通る必要がある。そこはロシア兵が駐屯している。一点でアフリーンに入れないようにブロックが形成されている。ロシアのほかの目的は、自身を脅かしうるウイグル、ウズベク、チェチェンであり、彼らはシリア政府に対して闘っている。戦いが終わると彼らはどこへ行くのだろうか。ロシアにとって問題である。これらの大部分は現在イドリブにいる。

―あなたは、合意の可能性について述べている。しかし、「トランプ・プーチン間の衝突」もないわけではないが。

アメリカ国務長官レックス・ティラーソンは、スタンフォードでのスピーチで「南東シリアでアメリカ、ロシア、ヨルダンは、2017年7月以来ともに行動してい る。目的は、当該地域で緊張が高まるのを妨げるためである。ユーフラテス川沿いにロシアとの間で合意がある」と述べた。これは具体的な出来事であり、彼らが衝突を望んでいないことを示している。

(下略)

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:44207 )