先祖探しサイトの功罪ーEU加盟国への二重国籍申請に注意
2018年03月04日付 Milliyet紙


去る2月にe-devletシステムを通して遡ることができるようになった祖先の情報は、この200年にトルコで起こった悲劇的な移住事件を眼前にさらした。しかし、バルカンにルーツを持つ人々は、二重国籍となる方法を模索し始めた。ミッリイェト紙として、我々もこれらの国々の国籍の基準を調べた。

インターネット上で行政サービスを提供するe-devletシステムを通して問い合わせが行われ、アクセス集中を理由に一時的に停止されている祖先の情報は、何百万人もの国民にとって新たな希望を生んだ。直近200年の期間を対象に調査された祖先の情報によると、トルコには1,000万人以上の移民がいることが確認されている。特に、バルカン半島や東欧にルーツを持つことがわかった人々は、二重国籍獲得の可能性と祖先がその地に持つ所有地を追跡する夢を見始めた。

■国によって異なる

EU加盟国のギリシャ、ブルガリア、ルーマニアをはじめとして、マケドニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソヴォ、アルバニアで父祖が生まれたことが分かった人々は、二重国籍を取得する方法を調べ始めた。これらの国々の在トルコ公館や国籍関連業務を行っている公的な機関への申請が非常に増加した。多くのバルカン半島の国々と東欧諸国では、国によって血統に基づく国籍の基準は異なる。一部の国々では祖先に関する公的な書類が1つあれば国籍付与の条件を満たす。一部の国々では、血統に基づく国籍付与は法律で禁止されている。

■詐欺業者に注意

国籍手続きはこの件の専門家であるいくつかの法律事務所や調査会社によって行われる。この業務の費用は、国によって500~2,000ユーロの間で変動する。しかし需要が集中したことで、簡単に金を稼ごうとする詐欺業者も興味を持っている。一部の業者は国籍を得ることができない国々に公式の申請を行い、希望を与えた人々の金を無駄にしている。ヨーロッパとバルカンの外交界はというと、e-devletシステムによって開始された適用をトルコがEUの国々におけるトルコ国民の数を増加させ彼らを通してロビー活動を行おうとしているのではないかと見ている。

ミッリイェト紙読者の皆様のために、我々は9か国の血統に基づく国籍基準を調査した。これらに加えて、カフカスにルーツを持つ人々の二重国籍の状況を入手した。まずは、それぞれの国の法律における国籍法を調べたあと、トルコにおける外交機関と接触した。その後、この業務を行う法律事務所に手続きを聞いた。さて、国による血統に基づく国籍基準はこちらだ…。

(画像:17~19世紀のオスマン領各地からアナトリアへの移住)
 1.1919-22 トルコ人 1,200万
 2.1914-23 ギリシャ人 85万
 3.1922-23 トルコ人 48万
 4.1912-14 トルコ人 41万
 5.1877-9 トルコ人 52万
 6.1860 Noygan Tatarı 10万
 7.1877-8 タタール人 10万
 8.1860 クリミア・タタール人 30万
 9.1960年代 カフカス、アバザ人 120万
 10.1918-20 トルコ人 22万
 11.1915 アルメニア人 30万
 12.1915-16 トルコ・クルド人 100万)

■誕生日は7月1日!

国籍獲得における最大の問題は誕生日だ。e-devletシステムの書類では、第2世代以降の人々の誕生日は7月1日とされている。これは、トルコに移住したときに誕生日として誕生年しか記録されず、月と日付が記されていないためだ。人口総局の担当者らは、誕生年しか記録されていない人々に、1年のちょうど真ん中である7月1日を書き加えている。

■第1世代は国籍を獲得

トルコにおける移民の中で最大のコミュニティはブルガリアから来た人々が形成している。これらの移住の一部は強制的に、一部は2国間で調印された条約によって行われた。ブルガリアの法律は、ブルガリアで生まれ現在ブルガリア国民である、または国籍を放棄した人とその子供に国民としての権利を与えている。該当の人物が死亡した場合も、子供たちは国民としての権利を享受できる。その後これらの人々の子供たちも申請して二重国籍となることができる。しかし、ブルガリア国内で生まれ、死亡した人物の子供も死亡した場合、孫は直接国籍の申請をすることはできない。さらに、移住時期によっても手続きが異なる 。

■孫には権利がない

例えば、1937年~1938年に移住した人々が行った申請は、「国民ではない、または国籍をはく奪された」という理由で却下されている。1948年、1949年、1950年10月までにトルコに移住した人々の国籍の申請は認められている。1970年~1978年の間に本人の同意によってトルコに移住した人々とその子供たちも、国民としての権利を有し、しかし同じ時期に移民協定によってやってきた人々の国籍申請は却下されている。ブルガリアには1800年代までの記録がある。しかし、これらの記録は自治体によって違いがみられる。前述の通り、ブルガリアでは第1世代の近親者には国籍が与えられている。第2、またはほかの世代の人々は、祖先を知ることができるだけで、国籍を要求することはできない。

■申請方法は?

最初に個人を同定する書類が要求される。県住民登録局から取得することができる。この書類は3つの名前で出る。その後、ブルガリアで出生記録が見つからなければならない。これらの書類が見つかる可能性は50%ほどだ。その後、再びトルコの人口総局に出生に関する書類を持って行き、誕生日を正しく記録させることが必要となる。その後、この相互に一致した書類をもってブルガリア法務省に申請する。国籍が発行されれば、ブルガリア国民となる権利がある。このプロセスには3か月から1年ほどかかる。

■セラニクは唯一の例外

オスマン帝国のトラキヤ第2の都市セラニク(現テッサロニキ)の1911年の人口は135万人であったことが確認されている。ローザンヌ条約によって行われた住民交換によって50万人のトルコ人がギリシャからトルコに移住させられた。これらの人々の大部分はセラニクからやってきた。ギリシャは血統に基づく国籍付与に関して最も厳格な国の1つだ。ギリシャ政府は西トラキヤに暮らすトルコ人マイノリティさえトルコ人として認めていない。ローザンヌ条約によってこの地域で暮らす15万人近いトルコにルーツを持つ人々は、結婚、家族、個人に関する法律の中では自治的な規則によってイスラム法に従っている。住民交換を理由に挙げつつ、血統に基づく国籍取得の可能性は完全に閉ざされた。ギリシャに資産を持つことを証明した人々でさえ、一切権利を主張できていない。家族の中で母親、父親、祖父、祖母がギリシャ人としての身分を持つ人々と、国籍をはく奪されなかった人々のみが国籍を得ることができる可能性がある。セラニクは当時非常に大きな州で、この州の領土の一部は現在ブルガリア国境内にあり、一部はマケドニア領内に位置するからだ。これらの人々は、もしその国の基準に則していれば、二重国籍となるチャンスがある。

■注意!

ギリシャにつながる家系を有する人々に国籍を約束する者を決して信用してはならない。彼らは数千ユーロであなたの持つ書類でギリシャ当局に申請を行うが、6か月から2年ほどの期間内に却下の返事が返ってくる。あなたの支払った費用は無駄になる。

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(翻訳者:永山明子)
(記事ID:44443)