オスマン家子孫のニルハンさん、どんな学校で学んだか
2018年03月19日付 Cumhuriyet紙


「私立学校へ行かざるを得ませんでした」と語ったニルハン・オスマンオールさんが、どの学校でどのように学んだかが明かされた。

アブデュルハミド2世の5世代目の孫のひとりという触れ込みで、公正発展党の活動に参加しているニルハン・オスマンオールさんが、「公立学校で学ぶ可能性は、まったくなかった。公立学校での先生たちの心理的圧力のため、私立の学校へ行かざるを得ませんでした」と述べた。しかし、オスマンオールさんが、フェトフッラー・ギュレンの学校で、奨学金を用いて学んだことが明かされた。


公正発展党の活動に姿を見せた、ニルハン・オスマンオールさんは、昨日行った会見で、ふたたび話題となった。

「今日という日を迎えられて、アラーへの感謝を述べます」と言うオスマンオールさんは、「光栄の学校で学ぶ手段はなかった。そこでの先生たちの心理的圧力のため、私立学校へ行かざるを得ませんでした。オスマン王室の関係者であるのかといわれ、『いいえ』と答えることが度々ありました。疎外されないように、ということで。彼らは、私たちを困らせたものでした。最近では、徐々に、―神さま、ありがとう―今日という日を迎えました。おそらく、もっとよくなるようでしょう」と述べた。

オスマンオールさんがこうした会見を行ったのを聞き、ギュレン派に対する捜査の後に海外に亡命したエンギン・セゼンは、ソーシャルメディア上に、「以前記したと思うが、この子は私の学生だった、そして私立学校(ファーティフ・コレジュ)で無償で学んだ」と記した。

オスマンオールさんの、彼女の名前つきで公開されているサイトでは、大学についての情報だけが載っている。

オスマン王家の血をひく存命中の女性のうちの一員であるニルハン・オスマンオール・ジェンネトメキャンさんは、スルタン・アブデュルハミド2世の5代目の子孫のひとりであると同時に、世界中で生活している13人の王家の女性の1人である。

長い亡命生活の年月の後、1974年にダマスカスよりイスタンブルに帰国した王家のメンバーであるオルハン・オスマンオール氏の最も年長の子供であるニルハン・オスマンオールさんは、亡命生活ののち、1987年に祖国イスタンブルで生まれたオスマン王家の最初の女性である。

ニルハン・スルタンはレフケ・ヨーロッパ大学のコミュニケーション学部広報コマーシャル学科を卒業してから、いくつかの企業で上級管理者として働いたのちに、自らのブランドを設立した。ニルハン・スルタンと言うブランド名の「スルタンより」という電子通販サイトで伝統的なセルジューク王朝やオスマン王朝風の品々を顧客に提供したこの女性は、同時に、父方の祖母であるキョセム・スルタンに関する情報を提供し、『女性支配者、マハペイカー・キョセム・スルタン』と言うタイトルの小説を著した。

英語そしてアラブ語を解するニルハン・スルタン・オスマンオールさんには、ハンザーデという名前の娘とメフメド・バフデディンという名前の息子がいる。 

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(翻訳者:宮崎友裕)
(記事ID:44518)