トルコ軍・自由シリア軍、アフリーン解放
2018年03月21日付 Hurriyet 紙


子供たちや女性たち…。「オリーブの枝」作戦で、テロ組織PYD/PKKが一掃されたアフリーンで、最も大きな被害を受けたのは彼らだ。何カ月も家から出られなかった子供たちは、爆発物の処理が一刻も早く行われ、通りで遊べることを望んでいる。

 何ヶ月間も世界の目が向けられていたアフリーンは、日曜日に、TSK(トルコ国軍)と自由シリア軍(ÖSO)の支配下に置かれた。街に最初に入った時、ある事務所からの声を聞いたÖSOはメンバーが開けたシャッターの後ろから、30人にものぼる一般市民がでてきた。最初は大きな恐怖を経験し、その多くが子供であった市民は、来訪者が、TSKの支援を受けたÖSOのメンバーであるとわかると、叫び声をあげ幸せの感情をあらわにした。

■ 初日の最初の時間

 初日に私が歩いた街には少しの人しかいなかった。時間がたつにつれ、街の安全が保障されたことを確信した市民たちが外に出始めた。初日の夜により多くの市民を見ることができたが、街の大部分の人が、ここ数日のプロセスで移住したことは明白だった。月曜日、いくつかの家族がテロ組織の圧迫の中で移住していった家へ戻り始める光景を見ていた。しかし全ての場所は仕掛けられた爆弾でいっぱいであり、時々爆発するため、人々の不安の種になっていた。アフリーンの街では、何時間も歩いていたが、全く子供たちに出会うことがなかった。たくさんの市民も、ジャーナリストとして私たちの会いたいという希望を、未だテロ組織の圧迫に不安を感じているため、それは認めなかった。だが、私たちが会話をした市民は、何年間もテロ組織の圧迫の中にいたことや、テロ組織が一掃されたことにより、幸せだと話していた。

■家族のテロ組織に対する恐怖

 誰もテロ組織に参加させないため、その家族によって何ヶ月も外に出されていなかった子供たちのもっとも大きな希望はというと、再び通りにでることだった。何ヶ月もテロ組織の圧迫と砲撃に対し、家の地下室で暮らしてきた子供たちは、一刻も早く、通りで友達と、以前の日々のように遊びたがっている。だが、子供たちは現在この熱望を達成することができていない。なぜなら、テロリストが逃走にあたり、全ての場所に爆弾を配置し、手作りの爆弾を仕掛けたからである。地下室から出た子供たちは、再び、通りで遊ぶことを心待ちにしている。

■ 全ての商店や工場は、閉まっている

トルコ国軍の連隊による爆弾の捜索と発掘が実行されているアフリーンでは、未だ全ての店や工場が閉まっている。人々の生活必需品はコントロールが完全になされたいくつかの店とクズライとAFADにより供給されている。警備の軍は、人々に対し、絶えず外にでないよう、呼びかけている。

■街の入り口は止められている

 道に爆弾が溢れているアフリーンに戻る作業が、昨日の朝、中断した。テロリストの圧力から逃れ、街のテロリストが一掃されたという報道の前、戻る人々は、アフリーンから何キロか離れた距離に作られたコントロールポイントから送り返された。装甲車でこの地域でÖSOメンバーとともに対策を講じているTSKは、街の捜索の実行と、埋められていた爆弾の処理を強調し、何日か後に帰村の許可を発表した。この結果、たくさんの人々が、ヴァンやトラック、トラクターで戻った。
 街のテロリストが一掃されたことへの幸せを最も多くの女性が感じている。女性たちは、子供たちがテロリストにより組織への参加を強制されたことについて、また、15歳以上の子供たちを外に出さなかったと言った。会話をした女性たちは、この最近のプロセスでおきたことに、小さな子供たちが非常に影響を受けていること、子供たちが彼女たちへ、“お母さん、私をなぜここで産んだの?もしトルコで生まれていたら…”と言ったことを涙ながらに語った。もはや子供たちのためにより幸せだと語る女性たちは、トルコ軍がいることが私たちにとって最も大きな保障だ、と言った。

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( 翻訳者:瀬戸慈弘 )
( 記事ID:44521 )