アイドゥン・ドアン・インタビュー「トルコ以外では暮らせない」
2018年03月24日付 Cumhuriyet 紙


ドアングループのアイドゥン・ドアン名誉会長は、ドアン・メディア・グループに関し、デミロレングループとの交渉についてT24.com.trの質問に答えた。 アイディン・ドアン氏は、売却について圧力はうけていないとし、「私のビジネスライフの59年間のうち40年はメディア業界で過ごした。もちろん、だれだって悲しいものだ」と彼は言った。

T24.com.trのドアン・アクン編集長の「売却について圧力を受けたかという質問に対して『いいえ』と答えたドアン・ホールディングスのアイドゥン・ドアン名誉会長は、『しかしこの業界では、苦労した。100万ドルの税金を納めている。そして2億6000万ドル収めた。これを求めたもののうち16人はギュレン派だとあとからわかった。一部は逮捕され、一部は逃げ、いずれにせよ、16人は全部、ギュレン派だった。なぜこの税金を私から取るのか今も理解できない」と話した。

■トルコ以外では暮らせない

アイドゥン・ドアン氏は、これからの人生をトルコ以外で過ごすという噂について、次のように話した。「違う。私はトルコ以外で何も出来ない、暮らせない。私はアナトリア中央出身だ。外国に行くとトルコに戻ったとき地面にキスをするくらいさ。82歳ではあるが、今でも、「戦いの前線に行け」と言われれば、行く。2年間海外に行っていない。ドイツに、印刷所と会社をもっているが、行かない。よく知られているように、ロンドンにホテルと家があるが―娘の教育のためにかったものだ―、行かない。」

同氏は、「この売却を無理強いされたとは思わないか?あなたが計画していたものだったか」という質問には次のように答えた。

■エロル・スィマヴィ氏が、「お前には、できない」と言った

「イェニ・イスタンブル」とか、「イェニ・サバフ紙」とか、いろいろあった。メディア以外からこの業界に来たものは、私以外にもいた。イェニ・サバフ紙では、セファ・クルチオール氏が、違う業界からやってきて、15年間、働いた。アクシャム紙のオーナーであるマリク・ヨラチは新聞業界にやってきた。マリク・ヨラチは、「トルコメディアにドイツの印刷術、基礎を私がもたらしたんだ。私には、船や、歴史的な菓子工場があったが、50歳のときには、新聞業界の真ん中に立っていた」と話したものだった。そのマリクが、「お前にはできないよ」というので「お前こそ、出ていけ」と言ってからかったもんだ。エロル・スィマヴィ氏は「お前にはこの仕事は無理だ」と私に言った。私は、「どうしてそんなことを言うんだ、やりますよ。あなたが金をだしてくれれば、私は新聞社を買う」と話した。エロル氏に、「あなたが会長になってくれれば、私は副会長になる、心配するな」と私は言ったが、た彼は望まなかった。その後エロル氏の兄弟のハルドゥン・スィマヴィ氏、アスィル・ナディル氏がやってきた…。」

■エルドアン・デミルオレン氏は50年来の知り合いだ

みんな、来ては去っていった。しかし私のように、一代で、40年もとどまったものはいない。エルドアン・デミルオレン氏を50年来、スィルケジ時代から今まで知っている。ミッリイェト紙とヴァタン紙を、すでに手に入れた。よく話し合った。もちろん手続きや、調べはまだ続けている。59年の仕事人生のうち40年はメディア業界で過ごした。もちろんだれだって悲しいさ。仕事では世界に何人かの友人がいるが、メディア業界ではたくさんの友人がある。それらの関係も続けいていく。」

アイドゥン・ドアン氏は、売却の話し合いで、ドアンメディアグループ社員について議題に挙がったかどうかという質問については「いいや挙がっていない。まだ社員がもっている権利があり、法がある。そのようなことは議題に挙がらなかった」と答えた。

■新しい仕事の計画はない

ドアン氏は、新しい仕事の計画がないこと、現在の仕事を自身の子供たちが続けると付け加えた。「可能な限り早くボドゥルムに行って、何人かの友人と過ごしたい。ご存じのように、私たちはジャーナリストの友達と、何年も一緒にしてきたロードス島行きの計画がある。新しい上司が許すかどうか分からない(笑いながら)」

■波にきをとられるのではなく、船を港につけることが重要だ

「あなたの新聞の立ち位置について批判されているし、これらの批判はまだ行われているが、どう思いますか?」という質問にドアン氏は次のように答えた。「メティン・トケル氏はこのように言った。『紳士的にふるまえばジャーナリストは世界の最も名誉の仕事である。』目の前に一枚の絵がある、船が描かれている。ヴィクトル・ユーゴ―はこのように言った。『人は、あなたが海で、どんな波に溺れるかは見ていない、あなたが船を港につけることができたかどうかを見ている』と。うちの会社で長く働いた末に、中傷する者もあらわれた。 しかし私は故意的に、意識的に、不公平なことをしたことはない。故意に、意識的に、誰かを非難したこともない。新聞はジャーナリストが作るものだ。 しかし、組織があり、決まりがあり、原則が重要だ。 つまり、私は「アゴプ」の宿屋で酒を飲み、でっち上げをする者たちを渡しは許さなかった。」

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( 翻訳者:尾形知恵 )
( 記事ID:44541 )