スルタン3人の勅令、競売へ
2018年04月10日付 Cumhuriyet紙


ポルタカル芸術と文化センターの競売展で、スレイマン1世、息子のセリム2世と第4世代下の孫であるイブラヒム・ハン3人の花押入り勅令が初めて競売へかけられた。ラッフィ・ポルタカル氏は一連のスルタンの勅令をソコッル・メフメト・パシャ家から得たとし、「ソコッル一家は何年も金庫に隠しており、やっと日の目をみた」と述べた。

ニシャンタシュにあるポルタカル芸術・文化センターの「特別コレクションから特別作品ー勅令とトルコ公式競売展」は4月21日に終わりを迎える。展覧会では、オスマン帝国第10代のスルタン(君主)、スレイマン1世、その息子で11代のスルタン、セリム2世と4世代下の孫で18代のスルタンであるイブラヒム・ハン3人の花押入り勅令が初めて競売にかけられる。ラッフィ・ポルタカル氏は、スルタンの勅令をソコッル・メフメト・パシャ家から得たと明らかにし、「勅令は法律に従い博物館に登録した。ソコッル一家は大きな一族であり、多くの家系がある。この三名のスルタンの時代にソコッルは長い間、宰相職、大宰相職を務めた。ソコッル一家は勅令を何年も金庫に隠していた。やっと勅令は日の目を見た、語っている...。思うに、ソコッル一家はこの3つの勅令をすぐにある機関が購入してほしいと考えているのではないか」と述べた。スレイマン1世の花押入りのミュルクナーメ・ヒュマーユーン(私権授与状)の種類である勅令はヒジュラ暦963年、西暦1555年のもので、16行で構成されている。このミュルクナーメ・ヒュマーユーンは、私権地の境界と処分権を確認している。

■勅令の証人

セリム2世の花押入りの勅令はヒジュラ暦978年、西暦1570年のものである。テズヒーブは当時の著名なナッカーシュバシュ(画家頭)であるカラメミーのスタイルをとったミュルクナー メ・ヒュマーユーンの類いであるこの勅令は、27行によって構成されている。ミュルクナーメ・ヒュマーユーンの下部には宰相メフメド・パシャ(ソコッル)、宰相ピヤーレ・パシャ、宰相アフメド・パシャ、宰相マフムド・パシャ、宰相ムスタファ・パシャ、ルメリ・カザスケルのアフメト・エフェンディ、アナドル・カザスケルのメフメド・エフェンディ、ルメリ財務長官ハサン、財務長官デルヴィシュ、 ニシャンジュのメフメド、財務長官のメフメドの印が押されている。勅令は、ペルテヴ・パシャがギョレで治めた勝利によってスレイマン1世によって自身に与えられており、 セリム2世の時代に更新されている。イブラヒム・ハンの花押入りの勅許状の種類である勅令はヒジュラ暦1054年、西暦1644年のものであり、11行から構成されている。勅許状は、一部の私権地の税金の支払いを条件に、アフメド・エフェンディに与えられている。

■スルタンらのサイン

勅令は、命令、行政そして命などの意味である。オスマン帝国ではスルタンの花押を帯びた命により授けられるすべての文書を一般的に勅令と呼ぶ。内容により、ベラート(勅許状)、ミュクナーメ・ヒュマーユーン、テムリクナーメ、スヌールナーメ(境界確認状)、ヴァクフィイェ(ワクフ設定文書)、メンシュールとしてよばれている。

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(翻訳者:内山千尋)
(記事ID:44636)