1877年移住のエストニア系住民、最後の一人に
2018年04月15日付 Hurriyet紙


1877年の露土戦争の際にロシア側によってカルス市のカラジャオレン村に移住させられたエストニア系の60世帯のうち、今日までその地に残っているのはアウグスト・アルブク氏ただ一人だ。ムスリム女性と結婚し、家庭内で二つの宗教が共存しているアウグスト氏は、トルコへの深い愛からトルコを去らなかった。

エストニア系の60世帯は、93年戦争としても知られる1877-1878年の露土戦争の際にロシア側によってカルス市周辺に移住させられた。そのエストニア系住民を代表する最後の一人がアウグスト・アルブク氏(49)である。物語は93年戦争から始まったと語る同氏は次のように話す。「我々を、農業をするようにと、ロシア側は我々はここへ移住させた。60世帯が現在のカラジャオレン村を形成した。農業と畜産で生計を立てていた。その後、時が経ち、ここにいたエストニア系住民はドイツ領事館に申請した。そして全員、少しずつドイツへ移り住んで行った。7年前までは2世帯いた。しかしその一つがここから離れ、今は私だけが残っている。」

■エストニア系でもトルコ国民

ムスリムの妻ヤディゲル・アルブクさん(39)とは非常に気が合うと語るアルブク氏は次のように続けた。「ラマダン月には妻は断食をします。断食明けの食事はともにします。彼女が断食しているときは、私が食事を作ることもあります。二人ともそれぞれの宗教を自由にしており、お互いに最大の敬意を払っています。娘もここで学校に通っています。我々は祖先としてはエストニア系ですがトルコ国民です。ここで生まれ育ちました。ここの文化や習慣に則って育ちました。例えば私は礼拝をするのに教会は必要ありません。その代わり自宅で礼拝を行なっています。」

■ドイツへも行ったが結局戻った

カルスでは、エストニアのことはそれほど知られていないため、ドイツ系の一家だと言われるというアルブク氏は、何度かドイツを訪れたもののそこで暮らしたいとは全く思わなかった。というのもトルコを愛していたからだと語る。アルブク氏は、一家の生計を中小企業開発機構(KOSGEB)の支援を受けたコンクリート鉢を作る仕事で賄っていおり、業務の拡大も望んでいると明らかにした。

カルスの最後のエストニア系住民として暮らすアウグスト氏は最初の妻との間に生まれた17歳のメリサと、10年前に結婚したヤディゲル・アルブクさんとの間にビュンヤミン(9)とメルイェム(1歳半)という名の3人の子供がいる。

■妻のヤディゲルさん「2つの宗教が同じ家で共存している」

「私はエルズルム県シェンカヤ郡で生まれました。私たちは二つの宗教が同じ家の中で共存しています。私はムスリムの義務である礼拝を行います。夫もキリスト教の義務を行います。また子供達は大人になれば自身の宗教を選ぶでしょう。それも彼らが決めることです。私は主婦業と夫の手伝いをしています。二人で生計をこなしています。うちの村では連帯と協調があります。みんながお互いに敬意を払っています。ご近所関係も非常に良いです。たまに経済的に不安なときもありますが、それらを解消するために頑張っています。」

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(翻訳者:原田星来)
(記事ID:44654)