イスタンブル・ゼイレク地区でローマ時代の墓出土
2018年05月30日付 Cumhuriyet紙


ゼイレク地区にある、歴史的なシェイヒ・スレイマン・メスジドの改修工事で見つかった。改修工事では、礼拝所の屋根の重量をおさえるため置かれたビザンツ時代のアンフォラ(壷)が見つかった。イスタンブル初の多神教の墓はゼイレク地区のシェイヒ・スレイマン・メスジドの改修工事で発掘された。

イスタンブル・ゼイレク地区にある歴史的シェイヒ・スレイマン・メスジド改修工事中に、地下から1700年前と思われる「多神教の墓」が出土した。ワクフ第一地区長、ミュルセル・サル氏の情報によれば、ワクフ総局とイタリアの職人により改修工事が行われた。

MED ART1 というプロジェクトの一環で2013年9月25日に始まった改修工事は、2016年11月7日に終わった。ハベルテュルク紙の二ハット・ウルダー氏の記事によると、中庭で発掘調査が行われている際中、考古地球物理学、地震計測学的手法が取られた。壁に書かれたオスマン帝国時代の様々な文章や落書きが見つかった。20世紀のものである文章や落書きの全ては、保存作業が行われたあとは屋外に残した。エネルギー節約のための作業も実施された。礼拝所と地下の墓所で改修工事が行われた。

■「イスタンブルにあるという事実が非常に重要だ」

考古学者のムラト・サブ氏は、メスジドの本体が墓の造りとして後期ローマ時代に建てられたと言う。平方系の建物の上部は八角形になるという。 サブ氏は、メスジドの地下でイスタンブル初の多神教の墓の跡が見つかったと明かし、「その上にメスジドが造られた建物の地下には、ローマ時代から残る2階のものがある。下の階は8部分に分かれた墓構造。専門用語では、アルコソリウムという。アルコソリウムは多神教信仰時代の墓の様式である。イスタンブルに存在していることがとても重要だ。1部分では、犠牲の血を流すために作られた祭壇の一部が見つかった。ビザンツ時代に略取されたらしい」と話した。サブ氏は、 改修工事で、屋上にあるビザンツ時代から残るアンフォラも見つかり、保護下に置かれたと述べた。

■築1700年…地震の被害にあった

1700年前、後期ローマ時代に、墓として設立された。コンスタンティノープル征服後、シェイヒ・スレイマン・エフェンディにより、テッケ(修道場)に変えられた。18世紀の地震と火事で被害を受け、そのあと一定期間、モスクとして使われた。ビザンツ時代のパントクラトル修道院の葬儀場、もしくは図書館であったと考えられる建物について、一昨日亡くなった名高い歴史家、セマーヴィ・エィジェ教授も論文を書いており、この見方が無根拠だと述べていた。多神教は、自然を端とする信仰への総称である。多神教はイスタンブルでキリスト教信仰が普及するまで、つまり7世紀まで、少なくなりながらも続き、やがてなくなった。

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(翻訳者:岩田紗知)
(記事ID:44850)