ギュレン派追放パイロット、インタビュー
2018年07月07日付 Hurriyet 紙


フェトフッラー・ギュレン派テロ組織(FETÖ)と関与したために解雇され、検察当局に対し情報提供者として非常に重要な情報を与えたF-16のパイロットは、組織の内側をヒュッリイェト紙に語った。

「何の疑いもなく組織に盲目的に従い、与えられたリストから結婚をしたパイロットはクーデターで役割を演じた」と話すパイロットの中尉S・Dは要約すると次のように話した。

「クーデター前に休暇をとり、アンカラ外にいた。部隊司令官が、10時00分頃すべてのメンバーに居場所を送信するよう求めた。4~5人が居場所を知らせなかった。 彼らはギュレン派メンバーで、携帯電話はスイッチがきられていた。アクンジュ基地からF-16が飛び立ち、それが防止できないということなら、このクーデーターはギュレン派によって行われたのだとわかった。そうでなければ、彼らの知らないところで、F-16がアクンジュ基地から飛ぶことはない。アクンジュ基地は彼らの手中にあった。 私はこれを知っていたので、彼らがクーデターを起こしたと理解した。」

■「ユーフラテスの盾」作戦での任務

「クーデター未遂の後、私はディヤバクルに8~9ヶ月間、駐屯した。ユーフラテの盾作戦ではF-16で飛び、偵察飛行を実施した。ク―データー後、F-16を操縦でき、アクンジュ基地から移動になったメンバーは、4名いた。私はユーフラテスの盾作戦で最初の飛行したうちの一人で、偵察機で飛行をした。ジャラーブルス・アアザーズ・アルバーブ作戦に参加した。ディヤバクルで勤務していた時に、アクンジュ基地に戻るように指示された。飛行は朝に予定されていたが、キャンセルされた。それで、きっと拘束の決定がでたのだと理解した。拘束の決定後、私は検察に行き、私が知っていることを誠実にすべて伝えた。その後釈放され、再び任務に戻った。私は何度も飛行に参加して、私は国の内外の任務に就いた。 拘束の決定がされ、その後、釈放されたが、しかし、その7カ月後に解雇された。」

■偽装者についての分析「目下飛行中」

問い「ギュレン派は解散したのか?現在、危険があるのか?」
「空軍の中で、私たちのようなやり方で情報提供をしたものが解雇され続けているとしたら、排除は難しいということだ。偽装し続けている多くの人々がいる。私の同期にも、そういう人がいる。100%私は知っている。連中は、今も、飛行している。」

■「結婚カタログで自分を見た」

「ギュレン派教団にいた3人と、任地で同じ家を借りていただろうと言われた。ある日、借りていた家に帰ったところ。ルームメイトの隣で初めて会う人がいた。その後知ったのだが、この人物は教団の結婚担当のイマームであった。『イマーム・ムーサー』というコードネームで、私に一枚の写真を見せた。写真には、顔をモザイク加工された3人の男性と、その後結婚することになる当時のガールフレンドが写っていた。私に。『結婚する予定の女性がどんな子がわかったか』と言ったが、その顔をモザイク加工された3人の男のうちの一人は私だった。写真を破り、それから1年半、彼らと縁を切った。私が離れていたとき、彼らは私に月に一度、または2~3ヶ月に一度、電話をかけてきて、私に会うように求めてきた。」

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( 翻訳者:尾形知恵 )
( 記事ID:45026 )