街角のチェシュメ、失われる寸前
2018年07月21日付 Cumhuriyet紙


ウウスキュダルにある164年の歴史があるチェシュメ(泉、給水施設)が、道路の歩道の工事に際に存在を無視され、その3分の1が地中に埋まってしまった。
ウスキュダル・チェンゲルキョイにある「カヴァスバシュ・アフメト・アー・チェシュメ」または「キャベツ組のチェシュメ」として知られるチェシュメは、オスマン時代の2つのライバルチームのうち、キャベツ組に与えられた支援を示すために建設されたものである。

頭の部分がキャベツの形をしたチェシュメは、今日まで存続してきたが、時とともに歩道の下にうまり、チェシュメとしての機能を失った。表面の文字を消えて、チェシュメは放置さら、失われる危機に直面していいる。

■2つの競合チーム:キャベツ組とオクラ組

歴史中の最初の二大対決のうちの1つは、キャベツ組とオクラ家組の間で行われた。オスマン帝国時代、セリム3世はキャベツ組を、マフムト2世はオクラ組をサポートしたという。 ジリット、アーチェリー、ムズラク(スピア)などで対戦したチームをサポートしていたスルタンたちは、彼らのためのモニュメントを作った。 これらのモニュメントの1つがチェンギャルキョイのキャベツ組のチェシュメといわれる。。

歴史家でガイドも務めるフセイン・スレイマンギルは、カヴァスバシュ・アフメト・アー・チェシュメという名でチェンゲルキョイに2つのチェシュメがあると言う。 スレイマンギルは、 「これはそのうちの一つで、「キャベツ組のチェシュメ」または「キャベツの頭を持つチェシュメ」として知られています。これは1854年にカヴァスバシュ・アフメト・アーによって作られました。「Kavas」は一種の警備兵をさし、その長はカバスバシュまたはセルカバスと呼ばれました。」

■「失われる」

メフメト2世の時代の後、キャベツ組とオクラ組の2つのチームがトプカプ宮殿で様々なスポーツを戦っていたというスレイマンギルは、 「この対戦は、唯一、宮殿の高官だけが観戦することができました。外から見ることはできなかったのですが、スルタンたちや宮殿官僚たちがずいぶんと贔屓にするチームとなりました。 今日のサッカーチームのように見えますが、やっているスポーツはサッカーではありません。 弓を放つ、ラケットを回転させる、レスリングする、などです。 キャベツ組は緑色の服を着ている。オクラ組の方は赤色の服を着る。いろいろなスルタンは異なるチームをサポートしていました」と語った。

■「修復されなければやがて消える」

チェシュメの保護が必要だというフサム・スレイマンギルは、「縁石を除去し、土台のところまで掘り下げ、前の状態に戻す必要があります。さらにいえば、水道網につないで、チェシュメとして機能するならば、それは素晴らしいことがある。もし補修されなれけば、やがてなくなってしまう」と語った。
1980年代からチェシュメの脇で靴みがきをしているハサン・オザンは、以前はチェシュメには水がでていて、人々は7月や8月には、ここで水を飲んでいたとし、「人々がキャベツ組を思い出すように、ということで、ある高官がここに作ったが、やがてほったらかしにされてしまった」と語った。

■ウスキュダル市からの説明

一方、ウスキュダル市は、2日前に、ソーシャルメディアでチェシュメの現状に反発した投稿者に対し、「大規模な修復プロジェクトにより、私たちは数十の古い遺跡を修復しました。今後も、私たちは引き続き修復プロジェクトを続けます。チェンゲルキョイのキャベツ組のチェシュメとして知られているチェシュメは、進行中の歩道修復工事により、まもなく地中からでてきます。 あなたの親切に感謝します。」と回答した。



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(翻訳者:尾形知恵)
(記事ID:45093)