Abdulkadir Selviコラム:トランプの意図は?
2018年08月14日付 Hurriyet紙

ブランソン牧師に関して、アメリカ合衆国と行われた会談で、興味深い対話がなされた。

エルドアン大統領が、「(ブランソン牧師を)明日18時までに帰してください(とアメリカ側は言うが)…ここはチャトゥラドゥカプ(ひびの入った門*)の国か、ここはトルコだ。あなた方は一体何をしているのですか?」と反発を示した会談である。

ブランソン牧師の身柄拘束によって生じた危機について話し合うために、副外務大臣であるセダト・オナル氏を代表とし、アメリカへ行った代表団は、8月8日にアメリカの国務副長官であるジョン・サリバン氏を代表とする代表団と一堂に会した。CNNトルコのビュシュラ・アルスランタシュ氏がもたらした舞台裏の情報によると、会談でアメリカ代表団は、ブルソン牧師の「今すぐの」解放を求めている。

代表団は、ハルク銀行元副頭取ハカン・アッティラ氏がトルコへ帰国することと、ハルク銀行の調査に対する要求を思い出させ、「我々に1週間から10日、時間をください」と(アメリカ側は)言っている。明らかに、これらの問題は以前から話されていた。しかし、アメリカ側は、(トルコ側には)この期間を認めず、「まずブルソン牧師を解放しなさい」と切り捨てた。これを、単なる代表団の態度として考えてはいけない。トランプ大統領の主張として見ることが必要である。すでにその後のプロセスでもこれを証明しているとした。

エルドアン大統領が、「1994年の経済危機にも、2001年の経済危機にも関係ない。」と述べる事件が起きている。

私は政治の舞台裏について書いている。必要ではない限り、他の分野に触れないように気を付けている。善良党が臨時党大会を行った。メラル・アクシェネル氏が復帰した。共和人民党(CHP)でも臨時党大会の痛みは続いている。公正発展党(AKP)は来週党大会を行う。どのような政治の舞台裏が書かれるとしても、議題は一つしかない。それは、ドルの高騰だ。トルコはドルの話題で持ち切りである。

経済パラメーターによって説明できる状況には直面していない。ベラト・アルバイラク国庫財務大臣が、「我々の経済は直接アメリカ大統領に標的にされている」と述べる状況が生じている。

■解決のカギはリーダーたちのもとにある

事件は、ブランソン牧師危機があったことによって発生した。そしてエルドアン大統領とトランプ大統領の間の腕相撲に転じた。興味深いことの一つはこの危機を解決する鍵も二人のリーダーの手にあるということだ。

ところで、トランプ大統領から信号はあったのか?

信頼できる情報源からの情報によると、トランプ大統領は、「エルドアン大統領とトルコのことが好きだ。私が見るたびに、この関心を感じさせている。」と話しているという。また、ブランソン牧師をアメリカで見ることを望んでいると主張している。どちらも無条件で。

アメリカはブランソン牧師を本当に望んでいるのか、それは私にはわからない。ブランソン牧師はそこまで必要とされているのか?名前はトランプではないにもかかわらず。エルドアン大統領は、このような脅威に服従するのか?トルコ国民はこれを認めるのか?

しかし、解決しなければならない危機がある。これが起きたにもかかわらずブランソン牧師の件で裏口外交を行うのか?外交の情報源によれば、アメリカへ行った代表団が帰国して以降、ブルソン牧師に関する折衝は行われていない。問題はリーダーたちのもとで留まっている状況だ。解決のカギはエルドアン大統領とトランプ大統領のもとにある。二人のリーダーの間の接触を実現する方法もまた、ブランソン牧師に関わる。なぜならば、トランプ大統領にとってこの問題は威信にかかわってくるからだ。

■ブランソン牧師を外で見ることができるだろうか?

自宅で軟禁されているブランソン牧師に関する法的な状況はどうなっているのか。新しい文書と情報が発表された状況において、ブランソン牧師が解放されるためには障害はない。長い拘束期間が与えた心理的な影響に関する報告は十分である。彼の弁護士には毎月拘束に対して異議を申し立てる権利がある。現在も司法の管轄下での拘束についてさらに1か月も待つ必要はないと言われている。しかし。トルコとアメリカの間にある「大ブランソン牧師戦争」のあと、これは可能だろうか?

我々も「この危機は良い方向に向かうのだろうか?」と冷静に考える必要がある。

しかし、ブランソン牧師から始まりドル危機へとつながった事件は、政治的な一面を持っている。

アメリカはドルでトルコに打撃を与え、エルドアン大統領に服従を求めている。

ブランソン牧師の事件が終わったとしても、他の危機が起こるであろうことは疑いの余地がない。

*イスタンブルのファーティフ区にある地区。16世紀の地震でこの場所にあったビザンツ時代に建てられた城壁の門にひびが入ったことから、チャトラドゥカプ(ひびの入った門)という名前が付けられたと言われている。

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(翻訳者:岩井美咲)
(記事ID:45227)