最後のオスマン帝国外交官、ギュレン派の手に
2018年12月30日付 Hurriyet紙


ケープタウン大学アフリカ研究センターの研究者、ハリム・ゲンチオール博士は、南アフリカのオスマン帝国最後の総領事、メフメト・レムズィ・ベイの墓が元々あった場所からギュレン派テロ組織(FETÖ)の管理下にあるモスクの庭に移されたことを明らかにし、「メフメト・レムズィ・ベイが陥っているこの不運な状況から救い出されるべきだ」と述べた。

ゲンチオール博士は、1914年に南アフリカのヨハネスブルグ総領事に任命されたオスマン帝国最後の総領事メフメト・レムズィ・ベイが第一次世界大戦中にイギリスの捕虜になったことによって始まった苦難の人生と、死から1世紀を経て、その墓がFETÖの支配下にあるモスクに移されたことを、アナトリア通信に語った。

ハリム・ゲンチオール博士は、世界の片隅で政府に奉仕する一方、イギリスの捕虜となりその後殉職したメフメト・レムズィ・ベイの人生の物語が、多くの面で他の外交官たちとは異なっていると述べた。

ゲンチオール博士は、メフメト・レムズィ・ベイの人生は映画のテーマとなりうるほど特別だと述べ、「メフメト・レムズィ・ベイが1916年にヨハネスブルグで死去したあと、妊娠していた妻ヘレネ・ハヌムは子供とともに総領事館から追い出された。家族が死ぬまで南アフリカで身分を隠して静かに暮らしたことは、あらゆる面で悲しい生きるための戦いである」と話した。

ゲンチオール博士は、メフメト・レムズィ・ベイが1世紀前に埋葬された場所であるブラームフォンテン墓地から2011年にFETÖの管理下にあるモスクの庭に移されたと述べ、「メフメト・レムズィ・ベイは再び囚われの身となった。故人が陥っているこの不運な状況から助け出されるべきだ」と述べた。

■「メフメト・レムズィ・ベイの南アフリカ到着にムスリムは興奮」

ゲンチオール博士は、南アフリカの最後のオスマン帝国総領事としてヨハネスブルグに派遣された元テヘラン大使館参事官、メフメト・レムズィ・ベイが、法務大臣書紀長ラウフ・ベイの息子であると述べ、次のように説明した。

「メフメト・レムズィ・ベイは、1869年にイスタンブルで生まれた。イスタンブルで中学と高校の教育を受けた後、首相府公文書室と外務省で勤務し、政府の慣習や外交を学んだ。1894年にブルガリア大使の三等書記官としてソフィアで外交の職につき、その後セルビア、トビリシ、テヘランでキャリアを積み、多くの勲章やメダルを授与された。メフメト・レムズィ・ベイが最後の任地である南アフリカに到着したことは、ムスリムの民衆の間に興奮を呼んだ。メフメト・レムズィ・ベイは、イスタンブルで結婚したばかりだったロシア人外交官である妻のマダム・ヘレネ・ハヌムも伴って約1ヶ月の旅を経て1914年5月21日に喜望峰に到着した。南アフリカ文書館の資料によると、領事としての公式の任務は1915年6月15日に開始した。」

■イギリスが不法に拘束

ゲンチオール博士は、イギリスが南アフリカの領内で一部のオスマン帝国国民を国際法に反して拘束し、そのうちの1人がオスマン帝国の外交官メフメト・レムズィ・ベイであったと述べた。

ゲンチオール博士は、メフメト・レムズィ・ベイの拘束直後、彼の家族も総領事館から強制的に追い出されたと述べ、次のように続けた。

「メフメト・レムズィ・ベイの妻マダム・ヘレネは2人の子供と追い出されると、ある友人家族の元に身を寄せ、一方でオスマン政府と書面のやり取りをして、夫が不運にも拘束されたこと、この誤りが一刻も早く公的な方法で解決されるべきであることを伝えた。あらゆるやり取りを行ったにもかかわらず状況は打開せず、この不当な拘束に対しメフメト・レムズィ・ベイが何ヶ月にも渡って投獄された後突然死亡した。これは、毒を盛られて殺害された可能性を強く想起させる。生きている家族に親しい人々の情報と南アフリカ文書館の一連の書類は、しばらく隠されていた死の事件がその後取り繕われた短い情報の形で報告されたことを証明している。若く、健康上の問題もなかった外交官の突然死は、暗殺されたという疑惑を生んでいる。」

■メフメト・レムズィ・ベイ、再び囚われの身に

ゲンチオール博士は、メフメト・レムズィ・ベイの名誉が回復されるべきだと強調し、「オスマン帝国の外交官として拘束され獄中で毒を盛られて殺害されたメフメト・レムズィ・ベイの歴史における存在が歴史家の研究によってだけではなく、南アフリカに赴任したトルコ共和国の政府高官の活動によっても明らかにされ、この歴史的な人物が殉職した外交官として名誉回復されることは、必須の任務として残っている」と述べた。

ゲンチオール博士は、現地に暮らすトルコ人と同時に子孫たちもメフメト・レムズィ・ベイの墓を訪問していないと延べ、「80歳になる孫のヘレネ・レムズィ・ベイは、最後に会った時祖父の墓を訪れるためには組織と対応しなければならないと不満を述べた。オスマン帝国の外交官であったメフメト・レムズィ・ベイは、遺体が1世紀以上に渡って埋葬されていたブラームフォンテン墓地から掘り返され、FETÖのモスクの庭に移されたことで、再び囚われの身となった。故人をこの不運な状況から救い出さなければならない。オスマン帝国の外交官としてメフメト・レムズィ・ベイの墓のために南アフリカで行われる最初の仕事は、彼をFETÖの捕虜という状況から救出することである」と話した。

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(翻訳者:永山明子)
(記事ID:46011)