ボスニア・トラブニクのアラジャ・モスク、トルコの手で修復終わり公開
2019年04月14日付 Yeni Safak紙


ワクフ庁によって修復されたボスニア・ヘルツェゴビナのトラブニクにあるアラジャ(スレイマン・パシャ)・モスクが礼拝のため開放された。

ボスニア・ヘルツェゴビナ国内でも最重要のオスマン遺物の一つに認定されているモスクの正面で式典が開かれ、ワクフ庁のアドナン・エルテム博士、駐サラエボ大使ハルドゥン・コチ トルコ大使、中央ボスニア県のタヒル・レンド知事、トラブニクのムフティー(イスラム指導者)アフメド・アディロヴィク師、地元行政関係者、トルコ諸団体の代表等、多数の人々が参加した。

エルテム博士はその際のスピーチで、トルコから遠く離れてはいるがまるで自宅にいるがごとく感じていると明らかにし、トルコ共和国ワクフ庁として6年前にレジェップ・タイイプ・エルドアン大統領の号令で、ボスニア・ヘルツェゴビナでの活動を始めたことを回想した。

また同博士は、活動を始めてから今日に至るまで、ボスニア・ヘルツェゴビナでは非常に重大なプロジェクトを遂行してきたと強調し、「あの日、われわれはこう述べた。この土地にワクフによって成立したものがあるのなら、それらがどれだけあろうが、我々はそれらにかかわっていくつもりだ、そのことに尽力するだろうと述べた。その方向で義務を果たそうと努力している」と述べた。

エルテム博士によれば、今日までボスニア・ヘルツェゴビナでは4件の工事を完了させ、公開を実現したことにも言葉を寄せ、「ハマム、宿舎、隊商宿は公開にこぎつけた。今回、初めてモスクも修復を経て公開を実現させている。いかなる区別もない、ワクフによって成立するなら、それで十分だ。我々がそれらに貢献することは間違いない」と述べた。

収入をもたらすプロジェクトを実施し、ワクフ施設が収入を得ることを望むと語るエルテム博士は、「これらのワクフが存在するかぎり、ワクフ寄進した人々は我々とともに生きていくのだと信じている」と語った。

また、駐サラエボ大使ハルドゥン・コチ トルコ大使も、トルコとボスニア・ヘルツェゴビナの友好は、歴史、文化そして長い年月に基づいているとし、「この意義深い日に、大勢の人々とともに我々がここにいることが友好と兄弟愛の証である」と述べた。

またコチ大使は、この地に行ったトルコの投資は、ボスニア・ヘルツェゴビナの団結と一体性をもたらすことになるだろうと述べ、「経済発展、政治的安定もともに実現するだろう」と続けた。

コチ大使は、ワクフ庁の協力を得て文化遺産存続のために支援が継続されることを強調し、「トルコは友好国に対し、晴れの日も雨の日も友好の手を伸ばします。皆さんも積極的にこの協力関係を分かち合い、示し、そして、口にしてほしい。昨今、団結や一体性がますます求められている。我々はともにあらねばならない。ともに立たねばならない。お互いに力を与えねばならない」と表現した。

礼拝所やモスクは統合の場であり神聖なものであると述べたコチ大使は、「宗教的な場所は我々皆のものだ。それらを活用し、保護することは人類としての我らの義務である」と述べた。


中央ボスニア県のタヒル・レンド知事は、トラブニク市の最重要モスクであるアラジャ・モスクが再び礼拝のため公開されたことに謝意を表明し、トルコ国民とエルドアン大統領に向け、ボスニア・ヘルツェゴビナへの支援に感謝を述べた。

レンド知事はワクフ施設の修繕の重要性を指摘し、「ワクフ施設であるアラジャ・モスクの修繕は経済の観点からも非常に重要であると同時に、ほかの分野でも市に大きく貢献するものである」と述べた。


続いて、ボスニア・ヘルツェゴビナイスラム連合ワクフ財団のセナイド・ザジモヴィク会長も、ボスニア・ヘルツェゴビナではかつて600以上のモスクが破壊されたが、それらがどこにあろうとすべて修復し礼拝を再開したと言及した。

ボスニア・ヘルツェゴビナでワクフの活動が続くなか、トラブニク市の最重要ワクフ施設の一つが礼拝のために公開されたことを幸せに感じていると話すザジモヴィク理事は、ボスニア・ヘルツェゴビナの友人であるトルコ、そしてトルコ関係諸団体に深い感謝を強調した。

一方、トラブニク市のムフティーであるアディロヴィク師は、国外に暮らし、この式典に出席できなかった、ボスニア・ヘルツェゴビナイスラム協会のフセイン・カヴァゾヴィク会長からの挨拶を伝え、アラジャ・モスクは国内のすべてのイスラム教徒にとって素晴らしいものであるよう祈願した。

トラブニクの真珠ともいわれるアラジャ・モスクは、ボスニア・ヘルツェゴビナでも最重要な富の一つであるとアディロヴィク師は強調し、「この40年間トラブニク市にいたが、アラジャ・モスクの真の美しさが今、もっとよく理解できている」と語った。

式典ではコーランとアッラーへの祝福が詠まれ、テープカットのなか、モスクでの礼拝再開で締めくくられた。


オスマン帝国時代、数多の宰相を輩出したことから、宰相の都として知られてるトラブニクのシンボルでもあるアラジャ・モスクは、特にそのカラフルな壁装飾で有名である。

現在アラジャ・モスクのある地区では、最初のモスクが16世紀に、ガーズィ・アーによって建てられた。その最初のモスクが破壊されたため、1757年にアフメド・パシャによって、同じ場所に更に規模の大きいモスクが建造された。しかしこのモスクも1815年の大火で壊滅的な被害を受け、その後、1816年にスレイマン・パシャによって新たなモスクが建てられた。

スレイマン・パシャのモスクの名でも知られるアラジャ・モスクは、第二次世界大戦の砲撃で損害を受けた後、1945年に修繕された。アラジャ・モスクという名は、内部と外側のルーミー・モティーフやイトスギと他の木々の模様から名づけられた。そしてワクフ庁によって2017年に修繕が始められた。

アラジャ・モスクはワクフ庁がボスニア・ヘルツェゴビナで修復を完了した最初のモスクとなる。また同庁は、ボスニア・ヘルツェゴビナで合計19のプロジェクトを推進している。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


(翻訳者:原田星来)
(記事ID:46637)