レバノン:シリアの政治的占領を受け入れない決意(1)
2019年04月26日付 al-Hayat 紙


■諸勢力は4月26日のシリア軍撤退を想起する:この日は革命家の叫び声の中でもたらされた。我々はレバノンの政治的占領を二度と受け入れない(1)

【ベイルート:本紙】

2005年4月26日にシリア軍がレバノンから撤退して14年が経過したことを機に、「レバノン軍団」*1を筆頭とする諸勢力が立場を表明した。レバノン軍団は、「シリア軍の撤退がレバノンの人々が捧げた犠牲と偉大なる闘争」によってもたらされ、「杉の木革命とシリアの統治に対峙する中で国民の意思の統一が完遂されたことで、レバノンは自由かつ独立した主権国家として存続することになった」と強調した。

レバノン軍団の広報局の声明によると「占領とあらゆる領野におけるレバノンの主権が喪失してから30年、この間、シリア政府はレバノンに対して暗殺や戦争、破壊を行ってきた。ここから、我々はアサド政権を敗北させた。バーリティー薬局に向かい下ってみれば、そこでミシェル・バーリティー氏は殉教し、アシュラフィーヤ地区は残ったのである」と述べた。

そしてここから、アシュラフィーヤ地区から、バシール氏*2は抑圧や暴政に抵抗した。バシール氏と彼の友人が、レバノンの全て、そして我々がかつて夢に見、今も夢に見ている文化、遺産、文明に体現されるものを守ったのである。

ここから、彼らは敗者を、卑屈な者を、腹ばいで進む者を、数百の死体を背にしてきた者を放逐した。そして罪なき信徒の頭上で建物が破壊された。2005年4月26日は偶然ではない。この日は、英雄である我らが殉教者の血で我々が刻み込こんだ長い闘争を称賛するものである。この日は、30年に亘り培ってきた結果である。この日は、長い殉教者のキャラバンの成果である。そして最も重要なのは、この日が、3月14日革命*3と呼ばれる人民による革命の最中にもたらされたことだ。殉教者広場で革命家が声高に叫ぶ中でシリア軍は屈辱的に撤退したのである。

同広報局は声明の中で以下の旨を指摘した。「憎しみ抱いて30年、この間、非道なシリア政府はレバノンに家も、通りも、町も引き渡さなかった。もはや経済は維持されず、インフラもなかった。なぜならアッラーは猶予を与え、決して無視しないからである。アサド政権こそが自国の街を破壊し、度重なる占領下に置かれ、そのアサド政権の不完全な統治は日々犯されている。レバノンを支配し、自己を偽った者が従属し、服従し、シリアの子どもたちの死体の上に立つ政権のトップに残ることを懇願するようになったのである」

(2)に続く

[訳注]
1)キリスト教マロン派コミュニティが支持基盤 1994年非合法化されたが、2005年公認政党に
2)バシール・ジュマイル氏、レバノン軍団の創設者
3)ハリーリー元首相暗殺の真相究明、治安当局責任者の解任、シリア軍の完全撤退、暫定的な選挙監視内閣の発足を要求した革命

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( 翻訳者:馬場響 )
( 記事ID:46695 )