ある船頭の話:「幸福は資本主義には存在しない」―オダギリジョー監督アンタルヤ国際映画祭独占インタビュー
2019年11月03日付 Cumhuriyet紙


第56回国際アンタルヤ金のオレンジ映画祭において最優秀映画賞を獲得したオダギリジョー監督と共に、資本主義の破壊的な影響と現状の展望、そして映画愛について語り合った・・・

「消費社会の一部分であることは非常に疲弊させることで、私たちはそれに抗わなくてはなりません」と、日本人俳優オダギリジョーは語る。今回はカメラの後ろに回った『ある船頭の話』(訳注:トルコ語題は『時間はあらゆるものを消し去る』)という映画によって第56回アンタルヤ金のオレンジ映画祭の国際部門で最優秀映画賞を獲得する前に、日の差すある日のアンタルヤで私たちは出会った。今年ヴェネツィア国際映画祭で初公開された映画は、150年前のある村に暮らしている老いた一人の船頭の静かな人生を、突然に現れたある少女と新しく作られた橋を通じて「近代化」の時代に失われてしまった様々な価値を丹念に
描き出している。オダギリ氏と資本主義の破壊的な影響と、今後に関しての様々な展望と映画愛について語り合った。


-日本ではあなたの物凄い数のファン層があり、あなたはスター俳優のお一人ですね。映画界において(デビューから)20年後にカメラの裏手に回るという決定は、どのようにおこなったのでしょうか?

実際のところ私は最初から今まで、ずっと監督になりたかったのです。そしてこの勉強のためにニューヨークに留学をしました。しかし白状すると、その学校の登録係のミスで私は俳優コースに入学して、自分を流れに任せることにしたのです。カメラの前に立つことや自分自身を発見することは幸せなことだったのですが、人はあるときから自分自身を振り返るようになり、そしてこの世界で残った時間で一体何をしたいのかということが見えてくるものです。それは私にとっては一本の映画を撮影することでした。

-また同時にポップカルチャーの「反逆児」像として、あなたは若者たちの間でアイドル的な存在ですね。そのようなことを鑑みると、あなたが巨大なキャンバスと静謐なリズムの支配する価値に基づいた映画作品を制作するというのは、全く予想ができなかったことのように思えます。

私が思うに、皆「現代的な」世界の悩みを高速で理解しようと必死になっていて、私に対する期待というのもこのような方向でのものなのかもしれません。だけれど私は古典的な映画作品の、小津安二郎のような名匠のファンなのです。スピードを理解するためには、速度を落としてみる必要があるのではないでしょうか。カメラを引っ切り無しに動き回して、焦燥感を煽って物語るのは私の仕事ではありません。落着きがあって、広い枠組みの中で生活のリズムを捉えることは、私にはずっと興味深く感じられます。

-この作品では素晴らしい撮影監督であるクリストファー・ドイル氏が参加していますね。とりわけ『花様年華』のようなウォン・カーウァイ監督と共に制作した映画作品の数々における素晴らしい空気感に至るまで、カメラの様々な実験的なアングルの使い方も思い起こします。あなた達の協力関係とは、どのようなものだったのでしょうか?

彼は私の古い親友なんです。実際に彼は時折私の書いたものを読んでくれて、この映画を制作するためにも私のその情熱をもたらしてくれたのです。彼は卓越したベテランのカメラマンですが、にも関わらず私たちの間でエゴの争いは起こりませんでした。「私は100%奉仕する役だ」と言って、私のアイディアの数々と私のシナリオを映像化するための素晴らしい感覚と共にやってきたのです。疑いないような素晴らしい創造プロセスでした。

-映画作品は、明治時代に、つまり封建的な日本社会の「西洋化」のプロセスにおける、
ある一つの村で起こるのです。現在でも日本のように発展を遂げて、かつ様々な伝統と結びついているように見受けられる「現代的な」社会においては、あなたの考えでは何の欠落がもたらされるのでしょうか?

特にこの時代を描きたかった理由のひとつは、古きものを賛美するということではなくて、私たちが手に入れていたものを、どのように喪失してしまったのかということを思い起こすことでした。現在、私は世界を支配している資本主義に関しては、非常に不快感を感じていますし懐疑的です。皆が気が付いているように資本主義は、協力的になるのではなく競争を煽る社会を作り出しました。私たちに必要なものについてではなく、消費のサイクルに適応するような形で人生を生きているのです。もはやありとあらゆるものが、時間とお金に換算されています。生活を送る人々に目を向けると、人間的な様々な価値について全く関心がないのです。


-とりわけ資本主義のありとあらゆる責任が私たちの上に降りかかり、「働くのだ、勿論あなたもでしょう」という思い込みによって誑かすというのも、また別種の非人道的な行いなのではないでしょうか?

文化と伝統が忘れられてしまったある世界においては勿論、私たちは自然をも破壊してしまいます。価値があるものもまた、目の前から取り除いてしまうのです。このような環境において幸福になるのは果たして可能なのでしょうか?

-映画において本当の平穏を、私たちの悪魔を、私たちが自分自身を審判することを物語っていらっしゃいますね。あなたは本当に幸福なのでしょうか?

この問題について、私には様々な感情が存在しています。私たちは非常に価値のあるものを失いましたし、失い続けています。希望を持つことは疑いなく良いことなのですが、それでも私たちを覆う現実世界が存在します。この映画においても船頭のキャラクターを通じて
、本当の幸福と平穏を理解しようと努めたのです。

-船頭とおっしゃいましたが、この俳優陣もまた素晴らしいものです。あなた自身が俳優であるは演者の方々と仕事をすることは、より容易になったのでしょうか?

非常に有益でした。一人の俳優として、カメラの前で起こる躊躇いと不安の数々を知っています。しかしながら、ベテランの方々と一緒に仕事をしたので特に指導をおこなう必要はありませんでした。演技の監督とシナリオ執筆の段階は私が映画において最も愛していることです。しかしながら、撮影の諸々、つまりはセットが私はあまり好きではありません。緊張してしまうのです。音楽と音声も疑いなく、非常に重要でありましたし、それらに取り組むことは素晴らしく非常に楽しいものでした。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:48015)