シャベ・ヤルダーにおけるガズヴィーンの風習(その1)
2019年12月04日付 Hamshahri 紙


 「フンチェイェ・チェッレ」、「シャール・アンダーフタン」、「コルスィー・サリー」はシャベ・ヤルダー【訳注:冬至の夜】におけるガズヴィーンの風習である

ハムシャフリーオンラインによると、ガズヴィーン【訳注:イラン北西部】の人と秋の最後の夜(冬至)について話すと、この夜は彼らの間では「シャベ・ヤルダー」と言うよりも「シャベ・チェッレ」【訳注:同じく「冬至の夜」】でのほうがなじみがあることを理解するだろう。イランの他のほとんどの地域のように、この州でも印象的なこの夜は親戚や親類が年長者の家に集まり催される。そして、ガズヴィーンにおけるシャベ・ヤルダーの慣習は、古来より、(この地域に)沢山の果樹園があるため、こういった果樹園や、販売や冬の間自分たちで消費するための貯蔵庫と密接な関係がある。

この印象的な夜に、ガズヴィーンの子供は祖父母の家に集まり、乾果や(夜中に食べる)ドライフルーツを食べ、ゲームや団欒を楽しむ。古い日々の記憶を持つ大人たちも、「夜のコタツ」に潜り、冬至の夜中起きて、一族の素晴らしい物語やハーフェズの詩を聞いて楽しむ。

古来からの風習
「シャベ・チェッレ」の夜は、秋の最後の日であり冬の最初の日でもある。その晩以降は昼が長くなり、夜が短くなっていく。この夜はガズヴィーン地方における古くから続く民衆文化における地位を常に保ってきた。
 
 この夜までは、昼は次第に短くなり夜は長くなっていく。我々の祖先は光を信仰し、暗闇を悪魔的とみなしたので、夜をとても嫌っていた。この理由で、日照時間が長くなる日が来ることを祝うのである。

「シャベ・チェッレ」の準備
ガズヴィーンの人々はシャベ・チェッレの風習のために10日以上前から準備する。冬至近くになると、親しい人や親戚、隣人にまで特別なこの夜の食べ物を集めるために奔走する日々となり、これはシャベ・チェッレが来るまで続く。ハーフェズ【訳注:14世紀に活躍したペルシア古典詩人。ドイツの文豪ゲーテによる作品『西東詩集』に大きな影響を与えたと言われている。】の詩集による占いは、ガズヴィーンの人々のシャベ・ヤルダーにまつわる新しい習慣の一つである。またガズヴィーンの人々は冬至までの数日間で3、4マン【訳注:マンイラン国内で用いられていた重量の単位。地方により異なるが、1マンで3キロから7キロぐらいくらい】のナンを作る。それゆえ、かつては冬の終わりまでナン(を作る)は必要ではなく、残ったナンは若干濡らした後に食べられていた。

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( 翻訳者:TK )
( 記事ID:48449 )