殉教者ムグニイェによるレバノン南部解放作戦指揮の未公開映像
2020年05月26日付 Hamshahri 紙


 軍事通信(アル・イウラームルハルビー) [ヒズボッラーの軍事報道機関]の広報部は初めて、イマード・ムグニイェ(Imad Mughniyeh)[訳注:ヒズボッラーの創設に関わった人物。対イスラエル作戦に尽力]により指揮されていたレバノン南部解放作戦の映像を公開した。

【ハムシャフリー電子版】メフル通信によると、2000年5月24日[1379年ホルダード月4日]にシオニスト政権[イスラエル]はレバノン南部からの撤退を余儀なくされた。この措置はレバノンの人々の18年間にわたる抵抗の末に達成された。

 この日はレバノンでは、「自由解放記念日」と名付けられている。これに際して、軍事通信は初めてレバノン南部解放作戦のビデオを公開した。このビデオでは、殉教者イマード・ムグニイェ(ハージ・ラドワーン Hajj Radwan)が作戦室からこの作戦を指揮している。

 ヒズボッラー軍の作戦は「アル・ビヤーダ(al-Biyada)」基地に対するもので、2000年5月18日、つまりシオニストがレバノン南部から逃避する72時間前である。
アル・ビヤーダはレバノン南部における戦略的地域の一つであり、シオニスト政権が1978年にこの地点の攻撃に至り、1982年にここを占領していた。

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( 翻訳者:OK )
( 記事ID:49197 )