カドゥキョイで59年の歴史を持つ映画館REXX閉館!「子供を失った気持ち」
2020年04月16日付 Hurriyet紙


閉鎖されてしまったカドゥキョイの最も重要な映画館の一つであるREXXの59年に渡る経営者であるヴィロン・アナス氏は、「安全ではなかったために、非常に難しいことではあったのだが、このような決断を行った。子供を失ってしまったように感じている。」と語っている。

カドゥキョイと言われれば、真っ先に脳裏に浮かぶ映画館であり、トルコのストリートのレベルからの入り口である、希少な映画館の一つであるバハリイェにあるRexx映画館が閉館をした。1996年にRexxという名前を得て、カドゥキョイの沿岸で最も由緒ある映画館の閉館の理由は、ただコロナウィルスの流行のために突入したこの不安定な時期によるものではない。

ドイツで私たちがコンタクトをとったRexxシネマの運営者であるヴィロン・アナス氏は、閉館の決定の背後には統制されていない賃貸料の値上げがあるということを強調している。「実際のところ私たちは、二年前に出払ってしまうはずだったのです。その時に出た賃貸法に基づき、私たちは10年以上の間借り人なので、追い出されたようなのです。その後に打ち捨てられたのです。しかしながら、このプロセスにおいて何度か賃料が引き上げられてしまいました。自分たちの支払いでさえもまともにおこなうことができなかったのです。私たちは二年間で150万リラ相当の支払いをおこなったのです。私はそれでも十分なお金の余裕はありませんでした。需要がないのです。私は金融コンサルタントです。私はドイツでの仕事に従事しています。ここでお金を稼いでそこへの支払いをしているのです。
そこは私の子供のような場所なのです。私はそこで暮らしていました。建物は父親が建設しました。私が12歳の頃でした。59年間私たちの一家がその場所を経営してきたのです。そこは私の人生そのものなのです。まるで自分の子供を失ってしまったかのように感じています。そのために損失にも、また目をつむっていたのです。しかしながら私の手に確かに信用のおけるものは存在しなかったのです。物件の有者であるルム・ワクフは59年間に渡ってそこに1クルシュたりとも入金をすることなく、ただ賃貸料だけを受け取っていたのです。私は地震を最も恐れています。地震のために補強をしよう、投資を行おう、そのための契約のサインをしよう、それに対しても彼らはアプローチをすることがなかったのです。あぁ神よ、どうかお許しください、どうか地震が起きてしまえば、そこにいる人たちに何かが起こってしまうとそうすると私は眠りはすっかり吹き飛んでしまうことでしょう。
どこかのケバブ屋か、ナイトクラブに貸し出せることをとにかく私は望んでいます。今は先行きの見通しが立ちにくい時期へと入ってしまいました。私たちは目の前を見ることも出来ません。私たちの信用がないために非常に厳しいことではありますが、このような決断をしたのです。私の子供が失われてしまいました、しかしながら一体どうすればよいというのでしょうか。」

ヴィロン氏は、「不安定な時期が終わり、物件の所有者と 和解が出来れば、また戻りたいと思うでしょうか?」という問いかけにも、「勿論のこと戻ります。理にかなった契約ができるでしょう、それを信頼しながら私もまた投資を行います。申し上げましたように、その場所は私の人生なのです。」と返答した。

■歴史は1870年代にまで遡る。

実際のところRexx映画館の歴史は1870年代にまで遡るものだ。なぜならばここはカドゥキョイの最も歴史ある劇場であるアポロン劇場があった場所であるからだ。カドゥキョイのローマ人コミュニティによって1873年に建築されたアポロン劇場は、トルコ演劇史上の代表的な人物の一人で「初のムスリムの女性役者」であるアフィフェ・ジャーレ氏が今からちょうど100年前(1920年4月22日)に初めてステージに上がり、更にはステージに上がった際に逮捕された場所なのだ。何年にも渡って数多くの演劇が上演された場所であり、1930年代にはハーレ・シネマという名前を得て、未だに電気がアナトリアの沿岸へとやってこなかった時代に、自家発電によって電気を得て、映画愛好者と演劇愛好者へ尽くしてきたのだ。建物は、1950年代の最後に完全に壊されたが、その代わりに1961年にレクス映画館がオープンした。1966年にRexxという名前を得た映画館は、通常興行の映画作品と同時にイスタンブル映画フェスティバルのカドゥキョイ沿岸での上映会場としても使用された。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:49199)