アヤソフィアのフトゥバ、剣とともに―その意味は?
2020年07月24日付 Cumhuriyet紙


ハック・ウヤル教授が「エルバシュ氏が刀を持っていた真意は、我々に『征服の道はまだ終わっていない』と伝えることだ。」と語った。

アリ・エルバシュ宗務庁長官は、アヤソフィアで最初の金曜礼拝の説教を行った。ミンバル(説教壇)に上ったエルバシュ氏が手に刀を持っていたことが注目を集め、その刀は何を表すのかという議論を呼んでいる。

我々はエルバシュ氏のこの振る舞いについて、ドクズ・エイリュル大学の教員で、歴史家であるハック・ウヤル教授に尋ねた。彼は以下のように語ってくれた。

「エルバシュ氏は刀を持ち出すことで、我々に『征服の道は終わっていない』というメッセージを伝えている。」「現共和国以前、つまりオスマン帝国時代を指している。これは、アタテュルクの『国に平和を、世界に平和を』という言葉に反する考えだ。『我々は共和国ではなく、オスマン帝国を参考にしている。』と言っているのだ。この宣伝装置がまた別のことを表しているとして考える必要がある。アタテュルクは1923年、『トルコは今後征服主義国家とはならない。』と言った。しかしそうなるだろうと彼は言っているのだ。」

■ウヤル氏は小紙に次のように語った。あの刀の意味するところとは。

「“刀の権利”は、宗教用語として用いられる言葉だ。現代の世界で使われる場面はない。宗教が支配していた中世社会のものである。スペインがアンダルシアでやったことや、イスラエルがエルサレムでやっていることを我々は非難しているのだ…。現代世界とは宗教的に寛容で、征服のような伝統は終わっている世界である。実際にアタテュルクは、オスマン帝国と共和国を以下のように区別している。

1923年1月23日にイズミットでイスタンブルの記者たちに向けて、イズミルで行われる予定だった国家経済会議の情報を発表する際、このように言った。
『新トルコ政府の基礎は、銃剣でではなく、銃剣の歯が立たないような経済で作られる。新しいトルコは、征服者的な性格の国家ではない。その代わり、新トルコは経済国家になる。』

オスマン帝国とトルコ共和国の間にある根本的な違いはこれである。アタテュルクは、トルコが近代世界と人道的な世界の立派な一員となることを望んでいる。アヤソフィアは、一つの調和の象徴や世俗化の一部分として、博物館なのだ。

現共和国以前に一つ戻るということは、オスマン帝国時代ということだ。これは、アタテュルクの『国に平和を、世界に平和を』という言葉に反する考えだ。『我々は共和国ではなく、オスマン帝国を参考にしている。』と言っているのだ。この宣伝装置がまた別のことを表しているとして考える必要がある。アタテュルクは1923年、『トルコは今後征服主義国家にはならない。』と言った。しかしそうなるだろうと彼は言っているのだ。」

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(翻訳者:大谷菜々)
(記事ID:49611)