ベイルート大爆発、貨物船の知られざる物語
2020年08月06日付 Hurriyet 紙


レバノンの首都ベイルートで8月4日(火)に何百人もの死者及び何千人もの負傷者を出した恐ろしい爆発の詳細が明らかになってきた。以下は、2750トンの硝酸アンモニウムが保管されていた「浮遊爆弾」とも呼ばれる貨物船の知られざる物語の中の目を見張るような事実である。

レバノンの首都ベイルートで8月4日(火)に少なくとも135人の死者及び5千人を超える負傷者を出した大爆発が起こった。爆発した2750トンの硝酸アンモニウムがモザンビークの炭鉱で使用される予定で発注され、船員の賃金を支払えなかった船舶が過剰積載の状態で目的地ではないにも関わらずレバノンに寄港していたということが明らかになった。

その後船員の苦情を受けて訴訟が起こされ、ロシア連邦大統領ウラジミール・プーチン氏に援助を求めたものの回答を得られなかった船長が、モルドバ船籍のロシア人の所有する船を放棄していたことが明らかになっている。

ニューヨークタイムズとCNNの報道によると、2014年にジョージアのバトゥミ港からモザンビークに向けて出港したMV Rhosusという名の船舶の話は以下の通りだ。

■船長「弁護士を雇えるように燃料を売った」

公的な記録やボリス・プロコシェブ船長の話によると、船は燃料を補給するためにギリシャに寄港した。

キプロス共和国に住む船のロシア人所有者イゴール・グレチュシュキン氏は、ここでロシア人とウクライナ人の船員に対し、資金が尽き、収支を合わせるため追加の積荷を載せざるを得なくなったと伝えた。

船は追加の積荷を載せ、ベイルートに寄港した。

ロシアの海事関係者協同組合は、「深刻な業務違反」、港湾使用費の未払い、及び船員の訴えを受けて、MV Rhosus号がベイルートに到着するや否や留め置かれた、と伝えた。

船はそれきり出航しなかった。

■「プーチンに毎日連絡した」

8月5日(水)、エコー・モスクワ・ラジオで話したプロコシェブ船長によれば、船員は11ヶ月間船上におり、食料も減っていた。

プロコシェブ船長は、「毎日プーチン大統領に連絡しました。最終的に弁護士を雇うため船の燃料を売らざるを得なくなりました。なぜなら、救援を求める声に対する返答が得られなかったのです。船の所有者は我々に水や食料を与えませんでした」と述べた。

■「浮遊爆弾」

協同組合によると、船はその後放棄された。賃金を支払われなかった船員らは、母国へ送られた。

協同組合の説明では、「船の積荷は危険だった。港の管理局は、積荷を下ろし他の船へ移送させることを許可しなかった」と述べられた。

2014年にあるロシアの報道機関が、その船を「浮遊爆弾」と表現した。

プロコシェブ船長と船員を弁護するレバノン人弁護士シャルベル・ダーゲルの間でやり取りされた文書によると、硝酸アンモニウムは2014年11月に裁判の決定により船から降ろされ、港の倉庫に運ばれた。

■港の管理局は6回にわたり裁判所に訴え

酷い条件下で管理されると、爆発の恐れのある硝酸アンモニウムは、6年間この倉庫に放置されていた。

レバノン税関長官のバドリ・ダヘル氏は、硝酸アンモニウムが持つ危険性に関して6回にわたり文書で注意喚起したにもかかわらず、裁判所はこれに配慮しなかったと述べた。

CNNが入手した資料によれば、ダヘル長官と港湾局長は、硝酸アンモニウムを最終手段としてレバノン軍に売ることを提案した。

これに対しても前向きな返答はなかった。

ダヘル長官は、「船の積荷を港に下ろす許可は下されるべきでなかった。なぜなら積荷は我々のものではなくモザンビークのものだったからだ」と述べた。

港湾局長も爆発に関する重要な説明を行った。

港のハサン・コライテム局長は、8月5日(水)地元のテレビ局OTVにて「裁判所の決定によって積荷を12番倉庫に運んだ。それが危険物であることは知っていたが、これほど危険なものになるとはわからなかった」と述べた。

コライテム局長は「税関と警察は揮発性のある硝酸アンモニウムを撤去しようと試みたが、問題は解決されなかった」と述べた。

また、「爆発の数時間前、昼ごろに国家治安当局の要請で、倉庫の扉が1つ修理された。しかし午後に何が起きたのか見当もつかない」と述べた。

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( 翻訳者:佐藤くるみ )
( 記事ID:49699 )