オーストリア・チロル地方のトルコ村―人口の大半トルコ系
2020年08月19日付 Hurriyet 紙


ここはヨーロッパの中心部にあるトルコ人の町である、オーストリア・チロル地方のインスブルック市に属するテルフスという町の人口の相当数がトルコから来た人々で構成されている。特に中部アナトリア地域やコンヤ出身のトルコ人移民などが住んでいる小さな町を訪れた人は、アナトリアの町とさほど変わっていないのを目にする。では、このような興味深い町の物語とは?どうしてこれほど多くのトルコ人が住んでいるのか?それでは日常生活の断面と興味深い話とともにテルフスを紹介する。

オーストリア・チロル地方のインスブルック市のテルフス町は、トルコ人の人口が多いことが顕著である。オーストリアのインスブルック市から33km、ザルツブルク市から215km、ドイツのミュンヘン市から138kmの距離に位置するテルフスは、緑や静けさ、整然とした町並み、産業や観光の収入で注目を集めている。

・1万5000人の人口のうち3000人がトルコ人
およそ1万5000人の人口を抱える町の20%近くがトルコ系の市民で構成されている。テルフスにおよそ40年前に繊維産業に携わるために来たトルコ人労働者は、その後この小さな町に親戚を連れてきた。時とともに増加したトルコ系人口は、3000人近くなっている。当初、繊維産業に携わっていたトルコ人たちは、その後サービス産業や、金属・観光産業、レストラン経営や小売業といった分野に移行した。

・トルコ語は日常生活の一部である
トルコ語は日常生活で頻繁に話されている。企業名でもメニューでもトルコ語の単語が使われているほか、全ての年代のトルコ人が自分達の間では母語でコミュニケーションをとっている。

テルフスで営業しているマーケットの棚ではトルコから輸入された製品が売られている。町の中心地でマーケットを経営している市民は、棚でトルコから輸入された製品に場所を割いているし、レストランのメニューにもドネル、ケバブ、ラフマジュン、ソーセージ(スジュク)、ほうれん草入りのピデなどの食事が、トルコ人だけでなくオーストリア人の客に向けても提供されている。

市に住んでいる人の多くが中部アナトリア地域から来た市民である。コンヤや隣県であるアンカラ、クルシェヒル、アクサライ、ニーデから来た市民は、テルフスのトルコ人人口の大部分を占めている。それと同時に、黒海や東部アナトリア地域から来た市民もテルフスで暮らしている。

・首長:素晴らしい形で共存している
テルフスのクリスチャン・ハーティング首長は、市の複合的人口構成を強調した。ハーティング氏は、「テルフスは昔は繊維産業が主産業の町であった。チロル地方で3番目に大きな所である。その後、繊維、金属、観光分野に転換した。これとともに外国人労働者たちがテルフスにきた。彼らとともに安定的かつ真摯で素晴らしい形で共存することに努めている。現在テルフスには2500人のトルコ系市民が住んでいる。私たちにとって全員がテルフスの人だ。ここには80以上の国から来た人々が住んでいる。多くがトルコ人である」と述べた。

テルフス自治体議会の議員でトルコ系の政治家であるギュベン・テクジャン氏は、トルコ系市民の投票で2期にわたり議員に当選したと話した。暮らしの面ではとても素晴らしいと言うテクジャン氏は、「テルフスに住むことは格別である。ここに初めて来てから35年から40年経っている。私たちは移民の第3世代にあたる。最初に来た人たちは、繊維産業に携わるために招かれた。現在テルフスには1万6000人が暮らしている。そのうち2500人がトルコ系である。トルコ人はとても冒険心が強い。様々な分野で働いている。小売業をしている人たち、レストランを経営している人たち、観光関係者、家具製造の分野で働く人たち、工場で働く人たちがいる」と話した。

トルコ人同士のコミュニケーションは良いと言うテクジャン氏は、「テルフスの住民は村のような生活を送っている。集住している。そのためトルコ語が頻繁に話されている。子供たちも流暢なトルコ語を話し、関係も良好である。私たちの暮らしは素晴らしいものである。結婚式から葬式まで一緒なのだ。一人の政治家として、私が嬉しくなるのはトルコ系の市民がオーストリア人とうまくやっていることだ」と述べた。

およそ4年前に宗務庁よりテルフス・エユップ・スルタン・モスクにイマームとして赴任したムスタファ・アルサン氏は、自分の家族がトルコにいると述べ、 「家族はトルコにいるがオーストリアでは孤独ではない。信徒のコミュニティがある。彼らは関心を寄せ、その関係性で私の孤独を忘らせてくれる」と話した。

オーストリアで改定された法律により、トルコから宗教関係者が来れなくなってしまったとするアルサン氏は次のように述べた。「宗務庁がサポートしているモスクである。宗務庁は宗教関係者を支援している。2015年に施行された法律の後、トルコからオーストリアにある64のモスクに宗教関係者が来れなくなってしまった。私たちが最後の宗務派遣者である。」

・小売業者:小さなトルコを作った
町で様々な分野でサービスを提供している小売業者の中でマーケットを経営しているセラミ・ビリジ氏は、テルフスに小さなトルコを作ったと話した。ビリジ氏は 1995年にテルフスに来たと話し、「貿易に関わっている。自然や人々が美しい町で暮らしている。トルコ系の経営として、経済的に政府のサポー トを受けることはできないが、自分達なりにやっている。客の60%はトルコ人で、40%がオーストリア人である。時が経つにつれオーストリア人がトルコの食材のみで暮らしていくことになると思っている。私たちの味に慣れたからだ」と述べた。トルコ人は人口の重要な比率を占めると説くビリジ氏は、 「1995年に始めて来た時ドイツ語を習う必要は生じまいと思っていた。25年後人口は2倍になった。ここに小さなトルコを作ったのだ。生まれたての国のように」と述べた。

・「トルコ料理の虜になっている」
レストラン経営者のメティン・オネン氏は、オーストリア人はトルコ料理を気に入っていると述べ、「テルフスの人口は1万5000人だ。様々な国から来た人々が住んでいる。大体5000人の外国人がいるが、そのうちの3000人がトルコ人である。豚肉を使わないため客の80%がトルコ人だ。オーストリア人もトルコ料理に興味を示している。デュルム、ケバブ、ラフマジュン、ピデの虜になっている」と話した。

故郷を懐かしいと思うと強調したオネン氏は、「30年ここで暮らしているが、トルコがとても恋しい。いつか可能なら戻りたい。このような計画がある」と話した。

・「客はとても満足している」
美容師のキョクサル・カヤ氏は町のビジネスのうち25%をトルコ人が運営していると述べ、次のように話した。「ヨズガト出身だ。27年間ヨーロッパに住んでいる。12年間自営である。美容師をしている。働いている人は全員トルコ人だ。私たちの文化を人々に見せると、客もとても喜んでいる。私たちの文化が好きなのだ。そのためトルコ人自営業者としてテルフスのある一定の場所に来た。町のビジネスのうち25%をトルコ人が経営している。」

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( 翻訳者:瀬戸慈弘 )
( 記事ID:49766 )