トルコ映画:マフムト・ファズル・ジョスクン氏の新作映画『アナウンス』で描かれる1963年の幻の軍事クーデター未遂とは?
2018年09月07日付 Milliyet紙


第75回ヴェネツィア国際映画祭のオリゾンティ部門でワールドプレミアを敢行した『アナウンス(Anons)』の映画監督マフムト・ファズル・ジョスクン氏と共に語り合った。


『彼方の可能性(Uzak İhtimal)』、そして『ヨズガト・ブルース(Yozgat Blues)』によってトルコ映画界の代表的な映画人の一人となったマフムト・ファズル・ジョスクン氏の新作映画である『アナウンス(Anons)』は、ワールド・プレミアを第75回ヴェネツィア国際映画祭のオリゾンティ部門で行った。1963年のあるクーデター未遂の間にテーメン・スィナーシ、ビンバシュ・ケマル、ビンバシュ・ルファト、そしてアルバイ・レファがイスタンブルのラジオでクーデターの通告を読む任務を実行しようと奮闘する様を描いた映画の出演者には、アリ・セチキネル・アルジュ、タルハン・カラギョズ、ムラト・クルチュ、そしてセンジャン・ギュレルユズ氏が参加している。映画祭においてジョスクン氏とともに映画について私たちは語り合った。

-タラト・アイデミル氏のクーデター未遂は、『アナウンス』の物語においてどれほど基盤を成しているのでしょうか?

勿論のこと、スタート地点となったのは歴史的な事件でありクーデター未遂なのです。それらに基づいて作られた映画なのです、しかしながら私はこれを再現すること、更には議題として取り上げようという意図はありませんでした。このために映画をアイデミル氏の行為とは分け隔てたものにしようとしたのです。この問題をあまり俎上に載せることはしませんでした。その日に起こった物語からインスピレーションを受けながら執筆されたシナリオなのです。しかしながらこの未遂事件の「重さ」は含んでいないのです。

-なぜ60年代に向かおうとされたのでしょうか?

『アナウンス』の元となった物語には、私は非常に魅了されました。その時期においてラジオに関しての通信の問題が存在していました。軍人たちがラジオを手中に収めれば、本当に(クーデターが)成功する可能性があったのです。つまりはラジオというのはその時代にとっては中心的な存在であり、ラジオを手中にするものが、成功をしていたということなのです。ラジオから『私たちは成功しました』と言われれば、国民はこれに説得されます。さらには、タラト・アイデミル氏の歴史的な言葉があります。『私たちはラジオに食べられてしまった。』と言っています。つまりはこの物語は、まさにその時代でこそ物語られることが出来たということなのです。

-映画では官僚機構についてのユーモアが前面に出ています。トルコそして官僚制の歴史をあなたはどのように見てらっしゃるのでしょうか?

官僚機構は実際のところ、特に私の興味の領域に入ってきたものではありません。映画における男たちは、完了なので映画は自然の帰結としてそれとの関係があるわけなのです。また一方では、完了の歴史というのは、組織化そして近代化の歴史にも関連する事なのです。
これをいつも共和国の問題であると考えられるとしても、オスマン帝国において始まったシステムであり、しかしながらいかなる時においても、確立したものにはなりませんでした。一種自然なこととして、そこからはユーモアが溢れますし、それは私が好むところなのです。

-『ヨズガト・ブルース』の後の、『アナウンス』においてもブラックユーモアがかなり前面に出ていますね。ブラックユーモアはトルコにおける一大ジャンルです。あなたはご自身を、トルコのブラックユーモアの伝統と結びついて御覧になるのでしょうか?

トルコにおけるブラックユーモアの問題以前に、私の個人的な嗜好と関連するものであり得ます。作品においては皮肉めいた側面があると思います。私は少しばかり人生をその窓から覗き込むことが好きなのです。事件を深刻に議論をする代わりに、そのユーモアの側面を見ること、そしてこの方向によって関心を持つことが更に私にとっては喜ばしいのです。

■「ノスタルジーは避けた」

-1960年代に起こった映画を制作することは、芸術デザインとして興奮することだったのでしょうか?

私は1960年代の世界が好きです。しかしながらノスタルジックなものを作りたいとは思いませんでした。私はそうすることは避けました「時代の映画」というのは少しばかり私には怖いものです。ある時代を信じられるものにする主張する力のあるものだからです。取り分け僅かばかりの予算を用いておこなうにはふさわしくありません。可能な限り、それが起こった時代の強調は行わないように努力しました。これは非常に楽しいテーマでした。昔の写真の数々を眺めることでさえ、非常に楽しいことだったのです。ライク・ラースロー氏の甚大な貢献があったのです。芸術監督であるオスマン・オズジャン氏と共に仕事を行ったのです。ライク氏は、ただそれに留まりはしませんでした。当時の映画についても私は多くの協力を得ました。

■「映画は7月15日クーデター未遂事件とは異なる」

-配慮が行き届いたフレームワークそして固定画面によって進行する映画手法について言及をしてもらえますでしょうか?

固定画面の問題は、この物語を語る時に考え始めたことの一つです。
映画は、軍人たちとクーデターに関連するものであるかのように思われるものであったとしても、私の脳内にあるもの、風刺をしようとしたことは、あるイデアを信じる人々のことです。あるイデオロギーを信じている人々と言いましょう。これは全ての人間、全てのグループの事であり得ます。つまりはこの人々の世界における自身の環境というのが存在しており、またその環境は素晴らしいものでなくてはならないのです。その素晴らしさはまるで固定されているかのようであり、更には全ての人間がこの環境の中に存在する必要があるのです。しかしながらもっと深いところから声を出して、この枠組みが更に巨大なものであるということを強調しようとしました。映画の閉所恐怖症的な作りというのは、実際のところこの枠組みがどれほどまでに、例え素晴らしいものであれ、まさに閉所恐怖症を引き起こしそうなものであるのかということを提示するためのものでした。実際のところ、全てのもののイデアというのは、「素晴らしい世界、素晴らしい国もしくは素晴らしいイデア」ということです。
私はその素晴らしさというのが、どれほど退屈でかつ息の詰まりそうなものであるか、ということを物語りたかったのです。

-あなたの兄のアフメト・ハーカン氏の物語からシナリオを生み出すプロセスというのはどのように実現したのでしょうか?

この物語については、私には彼が教えてくれたのであり、彼の説明してくれたことをベースにしました。その後でシナリオをエルジャン・ケサル氏と共に執筆しました。スタート地点から今日に至るまで物語としてはあまり変わる事はありませんでした、しかしながら私の語りの手法はかなり変化しました。

-ヴェネツィア映画祭の上映の後にはどのような返答を得たのでしょうか?質問は、7月15日クーデター未遂と関連付けられたものだったでしょうか?

はい、「7月15日クーデターに関連するものなのでしょうか?」といった質問の数々が沢山私にやってきました。私もまた「この映画はもっと前に執筆されたのです。物語は、クーデター未遂の二年前に執筆されました。これは、一つの偶然です。」と説明を行おうとしました。政治的な質問が多く来ましたし、私はそのことは無視をしようとしました。なぜなら映画がそのことに矮小化されることは望まなかったのです。トルコに関しての数多くのニュースが報道されています。そしてまた新聞のニュースを追っている人たちにとって興味を引かれる問題であるというのも理解できることです。私もまた、関心がないという事を説明しようとしたのです。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:50161)