トルコ文学:サバハッティン・アリ『毛皮コートのマドンナ』の再評価の秘密
2020年01月12日付 Milliyet紙


サバハッティン・アリの小説『毛皮コートのマドンナ(Kürk Mantolu Madonna)』は、ベストセラーリストから外れることがない。小説に関して修士論文の準備を行っているボアズィチ大学博士課程の学生であるメリイェム・セルヴァ・インジェ氏は、70年代において右翼、左翼ともに愛したということ、また作家が「神秘的そしてロマンティック」な肖像へと転換させられて、ソーシャルメディアの影響によってもポピュラリティを次第に増していったと述べた。

執筆された時代に、文学界隈においては好評価をうけることがなかったサバハッティン・アリ氏は、殺害後に殆ど完全に忘却された小説『毛皮コートのマドンナ』は、今日におけるベストセラーリストから外れることがない。小説の秘密を、この点において修士論文を執筆し、現在もボアズィチ大学トルコ語文学部において博士課程の作業を継続しているメリイェム・セルヴァ・インジェ氏と共に語り合った。インジェ氏は、殺害の後に「犠牲者」ではなく「嫌疑のある」そして「有罪」であるとされた作家が、70年代において右翼・左翼
両方のグループによって愛されたということ、イデオロギーのアイデンティティから分け隔てられて「神秘的でロマンティックな肖像」へと転換したということを明らかにしている。インジェ氏が突き止めたところによれば、この進展に並行して毛皮コートのマドンナも1990年代にヤプ・クレディ出版社(YKY)によって出版された後、ベストセラーリストから外れることはなかった。ソーシャルメディアの影響によってもそのポピュラリティは次第に増したのだ。

YKYは、最近に「毛皮コートのマドンナ」の第100刷をおこなったということ、小説が236万8734人の読者に届いたということを伝えた。ベストセラーリストから外れることのなかったこの小説に関連してメリイェム・セルヴァ・インジェ氏は、昨年ボアズィチ大学で一本の論文を執筆した。この論文は、近くに書籍としても読者と邂逅する予定である。インジェ氏の与えた情報によればこの小説の冒険は、1940年12月18日~1941年2月8日の間にハキカト紙上で連載することによってスタートした。小説が新聞上で発表された後にサバハッティン・アリ氏は著作権を得ることが出来ず、新聞社のオーナーとの間で揉め事が起こっている。「揉め事の結果、サバハッティン・アリ氏は新聞社に対して手紙を書いています。新聞社のオーナーはサバハッティン・アリに対して小説を所有し続けることができなかったと伝えた。サバハッティン・アリは、「所有し続けることができなかった理由は私の特性によるものなのか、それともあなたが読者の特徴を掴むことができなかったからなか?」と咎めています。

■初めは気に入られなかった

連載された小説は、二年後に書籍化された。:「本は彼の周囲では好意的に受け入れられませんでした。ナーズム・ヒクメトは、小説の第一部を気に入ったということ、ブルジョワの家族が典型化することを物語っていて、自身の観点にとって相応しい小説であるということを語っている。第二部はというとロマンティックだということを述べている。ベヒジェ・ボラン氏は、「これはロマンティックな愛の物語となったようだ、大衆市場の小説を思い起こさせる。」と語っている。ペルテヴ・ナイリ・ボラタヴ氏もまた主流の潮流の外に留まっているために気に入らなかったと語っています。」

■ユスフの陰に

当時の文学の理解は以下のようなものである:「一方ではナショナリズムのコードが支配していて、その一方では社会主義リアリズムの影響下にある時期でした。当時の作家たちは毛皮コートのマドンナを、社会派リアリズムの観点によって読み解かざるを得なかったのです。この時期において小説が気に入られることのなかった理由は、サバハッティン・アリ氏が、取り分け小説『クルユジャクのユスフ(Kuyucaklı Yusuf)』によってアナトリアの現実を物語る、社会主義リアリズムの路線でカテゴライズされたためです。」

サバハッティン・アリは、1948年にクルクラーレリ県のある村の、ブルガリア国境に近い一帯で殺害されている。インジェ氏によればサバハッティン・アリ氏は、その死後無視されているという。:「17年間という期間があるのです。このプロセスにおいて作家が執筆したものに関する事以前に、どのように殺害されたのかという話が前面に出るのです。ある罪を犯した人物が立ち現れるという訳です。」殺人者が、サバハッティン・アリ氏を「祖国の裏切りもの」として処罰すること、そしてメディアにおいてサバハッティン・アリ氏に対して「コミュニストのラベル」が貼られたことは、60年代に至るまでサバハッティン・アリ氏の名前を文学界隈から遠ざけてしまっている。

■右派に対して開かれる

メリイェム・セルヴァ・インジェ氏は、60年代の後半には政治的な環境の影響力によってこの状況が変化したと言っている。またサバハッティン・アリの文章がヴァルルク出版社によって出版されている。当時の右派の立場の出版社であるハレケト出版社はトルコにおいて初めて「サバハッティン・アリ」というタイトルの本を出版している。「この書籍においてサバハッティン・アリはナショナリストとして紹介されている。このようにしてその分野における「忌避される」見方というのは取り除かれている。」

■「胸を痛ませないで」の影響
1970年代に殺害された地域においてサバハッティン・アリ氏の追悼式典が開催され始めています。サバハッティン・アリ氏の「刑務所の歌(Hapishane Şarkısı)」という題の歌詞もまた「胸を痛ませないで(Aldırma Gönül)」というタイトルで1977年に作曲されている。「忘れられた作家がポピュラーな楽曲を介して皆の言葉に上がり始めたのです。歌が作家の前面に出たという訳です。」

■花の傍にある小説!

メリイェム・セルヴァ・インジェ氏は、ソーシャルメディアにおける広がりそして、ソーシャルメディアにおける小説に対する影響を以下のように説明している。

「2013年にスタートしたある流れがあるわけです。 “ブックポーン(bookporn)” 、”ブックシェルフ(bookshelf)”です。インスタグラムでは本が今や風景であり、美的価値という訳です。あなたが訪れた土地に本を持ち込んで写真を撮影すること、本に美しい形を与えて写真を撮影すること・・・これもまたポピュラリティを増やすことになります。Youtubeにおいて文学に関するトークとメイクテクニックをミックスした「マリア・プデル(小説のヒロイン)」のメーキャップビデオが存在しています。ソーシャルメディアのユーザーがここに加わることは、小説を非常に異なる地点へと持ち込んでいるのです。『毛皮コートのマドンナ』は、インターネットにおいて花の傍で売られているものなのです。」

■各版において新たなイメージが

小説の著作権は、作家の死後70年が経過したために昨年取り除かれた。既に全ての出版社は、著作権料を支払うことなく本を発行できる。サバハッティン・アリ氏の書籍は著作権が切れるまで5つの異なる出版社から発行された。インジェ氏によれば、全ての出版社は、作家を新たな読者層へと紹介し、そして新たなサバハッティン・アリのイメージを作り上げた。

■最初のバージョンは1940年12月18日に出版された

「毛皮コートのマドンナ」は、1940年12月18日にハキカト紙において一章ずつ掲載が始まった。ジャンルは「小説」ではなく「大きな物語」としてカテゴライズされた。小説の最終部は1941年2月8日に出版された。

■90年代に爆発的な売り上げを記録

インジェ氏は、小説がYKKに移ったのちに発生した爆発を以下のように纏めている:

「出版社のポリシーがとても影響しているのです。それはどのようなポリシーだったのでしょうか?本の価格を低く保ちながら、更に多くの読者へと邂逅させること、本の流通を行う事です。これらに関する文章は、編集者がルポタージュにおいて語っているのです。アウル県にまで行って本を拡散したといことを述べています。小説がスーパーマーケットチェーンにおいて販売されていることは、そのポピュラリティを増しているという事です。2010年、そしてその後において毛皮コートのマドンナの読者となるという事は重要なことなのです。一つの代表という評価があるのです。地下鉄において、バスで胸を隠すかのように思いっきり開くことの出来る本なのです。あなたはそこでいかなる恋愛小説も読むことは出来ないでしょう、しかしながら毛皮コートのマドンナであればお読みになることが出来るという訳です。作家の特権が存在しているという訳です。つまりはあなた自身をこういう風に仕立てることができるという訳です。
「そうですね、美的にはあまり称賛されるものではありません。ですがあのサバハッティン・アリです!」魅惑的な愛の物語なのです。当初は好まれない理由だったことは、その後にポピュラー化する理由となるのです。」

■マリア・プデル氏とは誰か?

小説におけるマリア・プデルというキャラクターが一体だれなのかという疑問は、一時期小説に関して議論がなされる唯一のこととなった。インジェ氏が与えた情報によれば、サバハッティン・アリ氏の妻であるアティエ・アリは、マリア・プデルとは彼女自身であると言っているという。イズミルではサバハッティン・アリが愛していた少女が存在していたともいう。タクシムのマジャル・オーケストラのバイオリニストだったとも。ペルテヴ・ナイリ・ボラタヴ氏によれば、ドイツにいた、サバハッティン・アリが愛してやまなかった‟28”といった女性のことだという。
「『毛皮コートのマドンナ』の草稿では「28」と書かれています。実際オーバーラップするという訳です。女性は、小説においてはユダヤ人であり濃い目の茶髪の持ち主です。しかしながら草稿において、また文章の幾つかにおいてはブロンドなのです。アリイェ・アリ氏そして28が金髪であるということに関係しています。」

■詩と死の間の結びつきが気付かれている

墓場が失われてしまっているサバハッティン・アリ氏が殺害された場所は近親者たちに対して何年も後に娘のフィリズ・アリ氏によって父親の「私の頭は山、私の髪は雪/私の暮らしている場所は山である」という詩の一節が書かれた石が置かれている。:「その後の全ての追悼において作家が墓を持っていなかったということ、詩について実際のところある種の展望をおこなっていたということの間の結びつきがつくられるようになるのです。
作家のイデオロギー的な側面ではなく、人間的な側面が前面に出るようになりはじめるのです。友人たちと共に、妻と、そして娘と築いた関係とはどのようなものだったのでしょうか?娘の食事に、掃除に、何を読むのかということについて、着用するものに至るまでありとあらゆることに関心を持ち続ける人物という訳です。ある偶像へと転換するのです。恋に落ちることを知るよい父親という訳です。「その死の後に嫌疑のある、そして罪を犯したということを宣言された作家は、何年も後に「神秘的でそしてロマンティック」な人物なのだという状況になったわけです。


■翻訳における女性たち

小説は、世界的に著名な出版社であるペンギンブックスによって英語で出版されたのと同時に中国語、ロシア語、イタリア語、フランス語、ペルシア語といった数多くの言語へと翻訳がなされた。ブックカバーにおいては一般に、マリア・プデル氏を象徴する文化コードにおける美意識に適した女性のイメージが含まれている。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:50384)