アブデュルハミト2世の孫、ダマスカスで死亡、90歳
2021年01月20日付 Hurriyet 紙


オスマン帝国のスルタン・アブデュルハミト2世のシリアに住んでいた孫で、オスマン家の後継者であったデュンダル・オスマンオール氏が90歳でシリアの首都であるダマスカスで亡くなった。歴史家のイルベル・オルタイル氏は、「彼はオスマン家の中でダマスカスやベイルートに住んでいる者たちの一人である。シリアで戦争が始まり、残念ながら非常に厳しい状況になってしまった」と話した。

胃の問題を抱えており、血清により栄養を得ていたデュンダル・オスマンオール氏は、血圧が通常よりも高くなり、意識不明の状態になった1月6日に、3年前に亡くなった妻の親戚によりダマスカスの私立病院に運ばれた。容体のある程度の回復が見られ、数日後に退院したオスマンオール氏は、1月18日月曜日の夜に再び容体が悪化し亡くなった。

■2人の子供がいる

デュンダル・オスマンオール氏は1930年12月20日にダマスカスで生まれた。父親はメフメド・アブデュルケリム氏で、スルタンであったアブデュルハミト2世の長男のメフメド・セリム氏のたった1人の息子であった。1924年にオスマン家の人々が海外追放になった際に、ベイルートに渡った。メフメド・アブデュルケリム・オスマンオール氏は、ダマスカスで結婚した。1930年と1932年にデュンダルとハルンという名前の二人の子供が生まれた。長い追放期間により、生きるために必死だった家族の中でハルン・オスマンオール氏は、1974年にオスマン家の人々の市民権の回復が認められた直後に家族でダマスカスからイスタンブルに渡った。デュンダル・オスマンオール氏はというと、以前にトルコ国籍を獲得したにもかかわらず、ダマスカスに残ることを選んだ。

■哀悼はアヤソフィア・モスクで

デュンダル・オスマンオール氏の弔いの礼拝は1月22日金曜日の金曜礼拝ののちにイスタンブルのアヤソフィア、ファーティフ・スレイマニエ・モスク、ヤヴズ・セリム・モスクで行われ、オスマン家の人々の礼拝や哀悼は12時にアヤソフィア・モスクで行われる。

■イルベル氏が説明:非常に上品な人だった

オスマンオール氏の死去に伴い、歴史家のイルベル・オルタイル氏は、ヒュリイェト紙に2年前にデュンダル・オスマンオール氏を訪れたにもかかわらず、彼が住んでいる建物が停電しており、エレベーターが動かなかったため電話で会話したことを話した。オルタイル氏は、「知っている限りでは、トルコに来たがっていた。試みは見られたが叶わなかった。彼はオスマン家の中でダマスカスやベイルートに住んでいる者たちの一人である。東の国に渡ったオスマン家の人々はヨーロッパに渡った人に比べると暖かく適切な環境を得ていたが、物理的な面で満たされていたのだろうか。それを知る由もない。シリアで戦争が始まり、残念ながら非常に厳しい状況になってしまった。私たちはいつも聞いていた、とても礼儀正しく、上品な人であると。お悔やみ申し上げます」と話した。

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( 翻訳者:瀬戸慈弘 )
( 記事ID:50523 )