「お茶しかないが、飲まないか」はアシュク・ヴェイセルの言葉か?
2021年01月27日付 Cumhuriyet紙


アシュク・ヴェイセル・シャトゥルオ―ル氏の孫であるギュンドュズ・シャトゥルオ―ル氏は、SNSでよくシェアされている「私があなたに与えられるものは、実際それ程多くはない。もしも飲むのなら、お茶がある。好きなのであれば、私がいる。もしも向かうのであれば、道がある。」という詩行はヴェイセル氏のものではないということを明らかにした。

シャトゥルオ―ル氏は、行った発表において祖父のアシュク・ヴェイセル氏の忌日が近づいたために彼のサイン付きでSNSで行われた数々のシェアが再び活発になり始めたと語った。

「最近、取り分けソーシャルメディアにおいて頻繁にシェアがなされる『私があなたに与えられるものは実際それほど多くはない。あなたが飲むのならチャイがある。私がいる、もしも好きなのであれば。道がある、もしも向かうのであれば』という詩行が、出版された157の作品にも、未出版の6つの作品にも含まれていません。」と語るシャトルオール氏は、孫としてこの詩行が、アシュク・ヴェイセルのものではないということを伝えるのが、故人が正しく記憶されることを保証するための責務であるということを信じているということを伝えた。

アシュク・ヴェイセル氏が、人々にとって財産となり、人々の心に残る重要な人物となったということを強調したシャトゥルオ―ル氏は、このために人々は美しい韻文をアシュク・ヴェイセルと結びづけたのかもしれないと述べた。

シャトゥルオ―ル氏は、アシュク・ヴェイセル氏のものではないこの類の詩行をシェアした人々に訴訟をおこしたり、彼らを咎めるつもりにはなっていないと強調しつつ、「この韻文は祖父の感情の状態や、人間や自然や生命に対する眼差しともよく合っています。人々が愛してそして価値を与えたためにこの言葉は祖父のものとされているのです。
これは全く自然なことであり、非常に人間的で、そして私たちの文化にもかなり重なり合う状況です。アシュク・ヴェイセル氏の孫、そしてその文化に育った一人として、その反対のことは考えることはできません。このような行動は、国民の愛情を否定するという意味になります。」と語った。

■「アシュク・ヴェイセル氏が人間へ、取り分け女性に対してどれ程価値を与えたのかということを示している」

シャトゥルオ―ル氏は、全ての人々に受け入れられているアシュク・ヴェイセル氏が、逃げた奥さんの靴下の中にお金を入れたということに関しての事件もまた、実際のところ真実ではないと語った。
問題となった事件はアシュク・ヴェイセル氏の人生を物語ったバイオグラフィ映画のシナリオに掲載されたフィクションであると伝えたシャトゥルオール氏は、以下のように述べた。
「人々は、祖父がこれほどに愛情に満ち溢れ、愛する者や愛に価値を置いた人間であったことを知っているのでこういうことも行っただろうと信じているのです。祖父は、逃げて更に後に再び村に戻った妻が病気になった状況において、常に彼女の助けとなりました。なぜならば彼は村出身の人間であり、手助けをする必要があったのです。
祖父が彼女が苦しんでいることを嬉しく思うというような非人間的な感情に囚われるということは決してなかったのです。実際のところ、この状況は祖父アシュク・ヴェイセルの人に対して、取り分け女性に対してどれ程価値を与えていたのかということを示しています。これは、女性の殺人事件が増えた、女性が疎外された今日において皆の模範となるようにと祈っています。」
シャトゥルオール氏は、父親の日記を用いて一冊の本を用意したということを述べながら、この仕事と共にアシュク・ヴェイセル氏の出版できなかった6つの作品も公式に共有する予定であるということを伝えた。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:50588)