4人の親友、謎の集団自殺
2021年02月02日付 Milliyet 紙


届いた最新の報道によれば、マニサのアフメトゥリで自動車の傍で隣り合った状態で遺体が発見されたセルカン・ザンガル氏(23)、従弟のウミト・ザンガル氏(20)、ムハッレム・ゼンギン(22)そしてネシェト・ダルグン(24)の死の秘密のベールが調べられ始めた。4人の若者を最後に見た人が語った。以下が最新の詳細である・・・

アフメトリのケステッリ地区のビンテペレル・アクチェシュメ地区において、1月31日の月曜日17:00時頃に次々にやってきた銃声を聞いた市民たちは、軍警察を呼んだ。通報を受けて地区に向かった隊員たちは、駐車されている状態の自動車の傍で隣り合っている状態の亡骸を発見した。

行われた捜査によって、若者たちが高校時代からの友人であるムハッレム・ゼンギン氏(22)、理髪師のネシェト・ダルグン(24)、電気機器修理士のセルカン・ザンガル氏(23)、そして従弟のウミト・ザンガル氏であるという事が明らかにされた。若者たちのうち、ウミト・ザンガル氏の頭部が砕かれ、その他の3人はポンプアクションライフルによって頭部を撃たれて命を落としたということが明らかにされた。死体の傍には単射式ライフルが発見された。

軍警察は調査のためにライフルを入手する中、イズミルの法医学所で行われた検死の後で、遺体は遺族に引き渡された。セルカン・ザンガル氏、そしてその叔父の息子であるウミト・ザンガル氏とネシェト・ダルグン氏の遺体は故郷であるマニサのアラシェヒル郡で昨日午後の礼拝の後にハジュベイ地区のカヴァラ・ジャーミーにて、ムハッレム・ゼンギン氏の遺体は、昨日の午後礼拝の時刻を待つことなくケステッリ地区ジャーミーにおいて行われた葬儀礼拝の後に埋葬された。軍警察が事件現場から広範囲の捜査を始める中で事件現場で発見された猟銃が若者の一人であるムハッレム・ゼンギン氏の父親でオリーブ商人の、スアト・ゼンギン氏(47)のものであり、免許が発見されなかったということが突き止められた。

■兵役への送別会に集まった

若者たちの死における秘密のベールが調べられ始めた。アフメトリ郡軍警察司令部の調整において行われた調査の枠組みにおいて入手された情報によれば、若者たちは、1月30日土曜日の午後に、兵役へと向かう友人たちの家に集った。


■遺体は自動車に乗せて運んだ

兵役への見送りの後で混雑が閑散とする中、アラシェヒルからやって来たネシェト・ダルグン氏とセルカン-ウミト・ザンガルの従弟たちは父親でオリーブ商人であるムハッレム・ゼンギン氏と共にゼンギン家の所有する貯蔵室へと向かった。訴えによれば4人の友人は明け方まで遊んだ後に、ネシェト・ダルグン氏の2月1日である誕生日を祝った。4人の友人たちのうちウミト・ザンガル氏は、未だに明らかとなっていない理由のために首を折られて命を落とした。遺体を自動車へと運び込んだ3人の友人も貯蔵室にあるスアト・ゼンギン氏のものである無免許のショットガンを創作して500メートル先にあるアクチェシメへとやってきた。

■集団自殺をした

ウミト・ザンガル氏の遺体を、ここで自動車から下ろした3人の友人は、飲んだアルコールの影響によって順番にライフルで頭を撃って自殺した。若者たちのうち二人の額から、
事件の場所で発見されたライフルで使用されたカートリッジは、ムハッレム・ゼンギン氏の父親のスアト・ゼンギン氏の所有する家で行われた捜索において押収されたカートリッジと同じであるということが明らかとなった。


■「これは一体どういうことなのか、理解できていません」

兵役への見送りに参加した若者の一人のケステッリ地区の村長エクレム・ギュルブズ氏の息子のギュヴェン・ギュルブズ氏(31)は、「死体となって発見された私たちの友人のうちムハッレム・ゼンギン氏そしてセルカン・ザンガル氏を最後に17:00頃兵役への見送りの際に見ました。私たちの地区のうちの友人の一人が兵役に行く事になっていました。私たちはそこで集合しました。その傍にはまたアラシェヒル郡の「セルカン」という名前の友人がいたのです。その日はいつも一緒に席に付き合って、お喋りをしていたのです。16:30ごろに、皆一緒に出て、兵役へと見送りためにアフメトリへと向かいました。17:00ごろに兵士の皆様をバスに乗せて、見送りました。私たちの傍には、更にのちに死んだ状態で発見されたムハッレム氏と友人のセルカンもいました。その後に皆で一緒に、私たちの家に散会しました。私もまた地区へと戻りました。その後の一部始終については私はよく知りません。父親はまた同時に、村長であったために私たちは事件の知らせを得たのです。私たちは状況をすぐに警察に知らせました。事件現場へと私たちが向かったところ4人の遺体がありました。私はショックを受けました。「これは一体何という事でしょう」私は理解ができませんでした。なぜならば私たちの地区においては、今日までこんな事件は全く起こらなかったのです。死者のうちムハッレム氏とセルカン以外の人々を私はよく知りません。更に前にも全く見たことがありませんでした。兵役への見送りにおいて、兵役へと向かう人の兄弟もまたその間にいた5-6人だったのです。」と語った。

■「音楽がかかりっぱなしの自動車で移動する時に見ました」

遺体となって発見されたムハッレム・ゼンギン氏の従弟のアフメト・ゼンギン氏(17)はネシャト・ダルグン氏の所有する自動車が、事件の発生した日曜日の4:10分ごろに大音量で音楽が鳴りっぱなしの状態で地区の一角を巡るのを目撃したということを説明しながら、「最後に兵役への見送りの楽しみの席で一緒でした。楽しみました。兵士の方をアフメトリから見送りました。皆が別れ別れとなりました。4:10ごろに私は彼女とお喋りをしていました。通りを一台の車が通り過ぎました、音楽が鳴るのを聞いたのです。出てみるとまずは、誰だったのかは分かりませんでした。自動車を見ると私は彼らであるということが分かりました。私が彼らのことを見たのはそれが最後でした。私はいかなることにも疑ってはいません。ムハッレム兄さんは、まっとうな人間でした。あなたのことを、ここで見かけたならば、知り合いではない人に対して必ず「あなたはお腹がすいていませんか?」と尋ねたのです。彼はとてもよい人でした、誰とも問題は起こしませんでした。」と語った。

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:50622 )