ギュレン派2月7日国家諜報局作戦から9年
2021年02月07日付 Milliyet 紙


FETÖの「2月7日国家諜報局謀略事件」から9年

FETÖが表立って実行した最初の計画とみなされ、国家諜報局(MİT)長官のフィダンを含む複数の公務員が証言に呼ばれた「国家諜報局謀略事件」に関する訴訟へ先月、検察庁は傍論(意見書)を提出した。

イスタンブル共和国最高検察庁が準備している起訴状で「フェトゥッラー派テロ組織(FETÖ)がトルコ共和国政府に対し、公然と実行した最初の計画」とみなされ国家諜報局長官ハカン・フィダンを含む複数の公務員の証言が求められた2012年2月7日の「国家諜報局の謀略」から9年が経過した。



治安及び司法機関に浸透したFETÖのメンバーはトルコ共和国がトルコ・クルド和平プロセスにおいて実施した政策を理由に、国家諜報局をクルディスタン労働者党/クルディスタン共同体同盟(PKK/KCK)との協力関係にあったかのように宣伝し、2012年2月7日に国家諜報局長官ハカン・フィダンをはじめとする複数の公務員への証人喚問と逮捕の決定という形で実行した謀略に関してうち15人が逃亡中である34人の被疑者に対して開かれた訴訟がイスタンブル第23重罪裁判所で行われている。

開かれた訴訟の被告である、FETÖのリーダー、フェトゥッラー・ギュレン、事件当時組織で「裁判イマーム」のムラト・カラブルト、「マルマラ地区イマーム」アリ・リザ・タキンカヤ、当時イスタンブルのテロ対策部隊副長セルダル・バイラクトゥタン、「警察秘密イマーム」ムラト・トカイ、ヒュセイン・ジバン、ムハメット・ベキャル、ラマザン・ユルマズ、国家諜報局・秘密イマームのスナイ・エルマス、「トルコ警察官・国家イマーム」カーミル・バイラム、元警部ヒュセイン・オズカン、弁護士ムラト・カルクンは「逃亡中」である。


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通信局長アルトゥンによる「2月7日国家諜報局事件」への声明

訴訟において被告である元警察局長のユルト・アタユン、エロル・デミルハン、アリ・フアト・ユルマズレル、ジャーナリストのムスタファ・ギョククルチ、ファイク・シャスマズ、ヌフ・メフメト・ダマジュ、アイハン・アルバイラクは拘留中である。訴訟ではさらに他の罪で拘留中である5人の被告も参加する。


イスタンブル第23重罪裁判所は訴状へ付け加えられた文書で国の軍や治安組織に関係する国家機密になりうるような文書になる可能性から、国家機密の認定し、この文書の公開と参照を裁判官以外の人物が行うことを禁じた。

6月22日に開かれた訴訟の最初の裁判では、国家諜報局側の弁護士が、裁判は非公開に行われるべきと主張した。判事達は社会の治安を危険にさらす書類や情報が表に出る可能性から、法の下で裁判が非公開で行われること、裁判の内容に関する情報公開を禁ずること、さらに国家諜報局を「原告」という名前で証人喚問することを全会一致で決定した。


32人が「被害者」、1人が「原告」として記載

イスタンブル共和国最高検察庁が準備を進める訴状において「被害者」として以下の名前が列挙された。


61代国家元首であるトルコ共和国大統領レジェップ・タイイップ・エルドアン、副首相ビュレント・アルンチ、アリ・ババジャン、ベシル・アタライ、ベキル・ボズダウ、エムルッラー・イシュレル、交通海事通信相ビナリ・ユルドゥルム、EU担当相エゲメン・バウシュ、科学産業技術相ニハト・エルギュン、労働社会保険相ファルク・チェリク、環境都市整備相エルドアン・バイラクタル、外相アフメト・ダウトオウル、エネルギー天然資源省タネル・ユルドゥズ、青年スポーツ相スアト・クルチ、食糧農業畜産相メフメト・メフディ・エケル、関税通商相ハヤティ・ヤズジュ、内務相ムアメル・ギュレル、
開発相ジェブデト・ユルマズ、文化観光相オメル・チェリク、財務相メフメト・シムシェキ、国民教育相ナビ・アブジュ、国防相イスメット・ユルマズ、林業治水相ヴェイセル・エロウル、メフメット・ミュエジンオウル、経済相メフメト。ザフェル・チャウラヤン、家族社会ファトマ・シャヒン、法務相サッドゥッラー・エルギン、当時国家諜報局事務次官であったエムレ・タネル、かつての副事務次官、職員ヤシャル・ハカン・ユルドゥルム とヒュセイン・エムレ・クズオウル

訴状では国家諜報局職員であるイニシャルM・Öの人物が「原告」とされている。

「FETÖが国家へ公然と反旗を翻した最初の計画」

訴状では7月15日クーデターの発生まで経過をたどると、FETÖ/PDYが最終目標を達成するためにトルコ共和国政府との権力闘争へと陥ったと説明する。


これに続いてFETÖが実行した謀略裁判からいくつかの例を挙げる訴状の中でこのような叙述がみられた。


「(組織の)最終目標を達成するために実行された作戦は、エルゲネコン、バルヨズ、ポイラズキョイPoyrazköy、イズミルの軍内部におけるスパイ活動、タフスィエ、セラム・テブヒド、国家諜報局スキャンダル、12月17~25日の事実無根の謀略裁判がその最初の段階であり、組織が行ったこの作戦の中で行われた2012年2月7日の国家諜報局事務次官であるハカン・フィダンの証人喚問により加速したと考えられている。国家諜報局に関する裁判は明確に信任されたトルコ共和国政府の破壊を目指した試みであった。」

トルコ共和国が和平プロセスに向け実施していた政策を理由に、国家諜報局をクルディスタン労働者党/クルディスタン共同体同盟との協力関係にあったかのように喧伝し、国家諜報局の職員への証人喚問、家宅捜査、法的な逮捕の決定が、当時首相だったレジェップ・タイイップ・エルドアンが手術を受ける日程に重ねられたことを強調する訴状では「このように計画された作戦は最終目標を信任され正当性のある政府を転覆するという目的を持った、治安組織、国家諜報局、司法組織へと浸透し、地位を得たFETÖがトルコ共和国政府に対し公然と行った最初の作戦である」との評価がなされた。

FETÖが和平プロセスを妨害していたと伝える訴状は、この目的に向け閉鎖されたイスタンブル特別職員共和国検察庁において検察として職務を行い、のちにFETÖのメンバーとして追放されたビラル・バイラクタルBilal Bayraktarとサドレッティン・サルカヤSadrettin Sarıkayaがクルディスタン労働者党/クルディスタン共同体同盟に関する裁判を進めていたことを指摘している。


訴状ではバイラクタルとサルカヤが裁判の中で複数の嫌疑で、国家諜報局事務次官でもあった国家諜報局長官ハカン・フィダン、元国家諜報局事務次官エムレ・タネル、元国家諜報局副事務次官ファトマ・アフメト・ギュネシュ、元国家諜報局職員ヒュセイン・エムレ・クズオウル、ヤシャル・ハカン・ユルドゥルムとムスタファ・オゼルに関して「クルディスタン労働者党/クルディスタン共同体同盟と認識したうえでの援助と裁判の秘匿性への違反」という罪で裁判を始めたことが記述されている。

訴状では2011年9月13日に世論調査で「オスロ会談」として知られる録音が報道機関にリークされたことが伝えられ、2011年12月20日に原告M.Ö.が裁判の中で国家諜報局の下で働いていたことが知られたことから家宅捜索および拘留に置かれたこと、被告のひとりビラル・バイラクタルにより、2011年12月23日に証言にたった原告が同日に釈放されたことを説明している。


国外への移動を禁じられたM.Ö.による検察庁での証言の裁判記録上における秘密の決定が発見されるという形で報道機関へリークされたこと、Taraf紙でさえウェブサイト上で原告の姓名とともに写真を公開していたことを引き合いに出した訴状では、このようにM.Ö.が国家諜報局で働いていたことを明らかにし、クルディスタン労働者党/クルディスタン共同体同盟にその目的が伝えられていたこと、命の危険にさらされたことが記述されている。


FETÖの「二月七日国家諜報局の謀略」から9年
「首相の手術延期で計画は失敗」

問題となっている謀略についての裁判により、FETÖ組織のメンバーが国家諜報局と世論において「クルディスタン労働者党との協力関係」という申立てを生み出したこと、2012年2月7日に国家諜報局の裁判により、司法機関を利用しながら、一方では組織メンバーではない国家諜報局職員を追放し、国家諜報局の掌握をしたこと、他方では同じ裁判を利用して国家がテロ問題を解決する目的で開始したクルド和平プロセスを停止させるために、作戦を実行したことを強調する訴状において、2012年2月7日の17時に国家諜報局事務次官ハカン・フィダンと4人の国家諜報局職員を電話で呼び出した検察が「証言するために私の地位が欲しい。」と話したことを伝えている。

訴状において国家諜報局の幹部また政府と首相が「テロ組織への支援」の罪状で告訴されることを望んでいたこと、ハカン・フィダンを拘留する狙いで動いていたこと、拘留とともに「邪魔者の首相から得た」当時の首相レジェップ・タイイップ・エルドアンと政府が辞職を迫られ、その崩壊さえ計画していたことが説明され、このでっち上げの謀略の裁判が、諜報機関職員に関する尋問の許可へ繋がり、また首相の手術の延期により失敗し防がれたことを指摘している


「2月7日国家諜報局謀略事件」のためにアメリカへ向かった者たちはその直後にアンカラで集まった。



組織の陰謀に関して行われた会合と会合の前に二人のFETÖの秘密イマームがアメリカを訪れていたことが確認されたことが記された訴状で、7月15日クーデター未遂事件の時のように組織の警察イマームで「コザンル・オメル」というコードネームのオスマン・ヒルミ・オズディルの補佐であり、フェトゥッラー・ギュレンと直接謁見した逃亡中の被告チェティン・オズギュルÇetin Özgürとイルヤス・シャヒンİlyas Şahinが命令を受け、組織のメンバーへ伝えるために渡米したことが明らかになったとの説明がされている。


訴状では、組織のリーダーから直接命令を受けたのち、組織の警察と司法イマームたちが国に帰還した直後にアンカラのクズルジャハマムで会合を開いたことが明らかにされ、ヒエラルキー組織であるFETÖリーダーの命令が警察ユニットへ伝えられたことが、組織の「マルマラ地域イマーム」である「アリフ」のコードネームを持つアリ・リザ・テキンカヤによって会合が設けられたことが説明されている。

訴状で、会合に組織の用語でいえば警察、司法に加え国家諜報局イマーム達が参加したことが、参加者の中にはロシア大使アンドレイ・カルロフ暗殺事件に関与した裁判で逃亡中の被告となっていたムラト・トカイとアフメト・クルンチアルスランとともにアメリカのハカン・アティッラ裁判の裁判官であったリチャード・バーチマンスを2014年イスタンブルに招待した法律事務所パートナーのムラト・カルクンもいたことが明らかになったと記されている。


訴状の一部である専門家報告書では「2012年1月13日にディヤルバクル民主市民党(DTP)の建物で行われた家宅捜査で得られたと主張されるオスロ会合に関する音声記録が残るハードディスクはFETÖが残したもの」と断定された。


元警察巡査Ş・Eの証言


訴状の中で、元警察巡査Ş・Eに関して追加の起訴をしない判決がなされた。判決ではŞ・Eの以下の証言が見られた。

「詳細な日時をすべて覚えているわけではありませんが、2月の中旬の副所長アイハン・アルバイラク被告Ayhan Albayrakがある会話の中で“ハカン・フィダンが証言に立つようなことがあればサドレッティン検事によって拘留されたのだろう”と言っていたのを覚えています。」

職を追われ、「2月7日国家諜報局謀略事件」裁判を取り仕切っていた検事ビラル・バラクタルとサドレッティン・サルカヤに関しては、最高裁判所において事件に関してすでに裁判にかけられていたため、不起訴の判決が下った。

意見書で求められた罪

イスタンブル第23重罪裁判所は逃亡中のFETÖ指導者フェトゥッラー・ギュレンが事件当日、組織の「司法イマーム」イルヤス・シャヒン、「警察イマーム」チェティン・オズギュル、「国家諜報局秘密イマーム」ムラト・カラブルト、「マルマラ地区イマーム」アリ・ルザ・テキンカヤ、当時イスタンブルのテロ対策部隊副長セルダル・バイラクトゥタン、「警察秘密イマーム」ムラト・トカイ、ヒュセイン・ジバン、ムハメット・ベキャル、ラマザン・ユルマズ、国家諜報局・秘密イマームのスナイ・エルマス、「トルコ警察官・国家イマーム」カーミル・バイラム、元警部ヒュセイン・オズカン、弁護士ムラト・カルクンと一名の逃亡中の被告の文書を準備した。


裁判の過程で、裁判に参加する検事は1月15日の裁判の理由に関する意見書を裁判所へ提出した。

意見においては被告の元警察署長ユルト・アタユン、アリ・フアト・ユルマゼル、カズム・アクソイKazım Aksoy、エロル・デミルハン、ヌフ・メフメト・ダマジュ、アイハン・アルバイラク、オウズハン・ジェイランOğuzhan Ceylan、エルカン・ウナルErkan Ünalが「暴力を用いたトルコ共和国政府を破壊する試み」、「職務上作成する立場にあった公文書の偽造」そして「裁判の機密違反」の罪状で、それぞれに無期刑および4年6か月~12年6か月の懲役が求められた。

ファイク・シャスマズ


意見書でジャーナリストの被告ムスタファ・ギョククルチが「暴力を用いたトルコ共和国政府を破壊する試み」と「裁判の機密違反」の罪から無期刑と1.5年~4.5年の懲役が主張された。

被告ファイク・シャスマズ、ファジル・アドナン・イズギ、メフメット・デベジ、ベリ・トゥルイに対し「武装テロ組織のメンバー」という罪状から7.5年から15年の懲役刑を求める意見書では、被告アイクト・グチルが「暴力を用いたトルコ共和国政府を破壊する試み」の罪状から、また別の被告であるセバハッティン・カプラン、ムサ・メティン、ビラル・イリジェとアフメト・クルンチアルスランが「トルコ共和国政府を破壊する試み」「「裁判の機密違反」」と「公文書偽造」の罪にかんして無罪判決が求められた。


被告と弁護士は先の日程で行われる裁判において傍論(意見書)に対する弁護を行う。弁護ののち、裁判官による訴訟の判決へ続くことが予定されている。

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( 翻訳者:小林佑輔 )
( 記事ID:50650 )