国民の意志へのクーデター「2月28日事件」から24年
2021年02月28日付 Milliyet紙


トルコ政治史において「ポストモダン・クーデター」として位置づけられる1997年2月28日クーデターから24年が経った。同クーデターは国家安全保障会議での警告表明がきっかけとなった。

■国民の意志へのクーデター「2月28日事件」

2月28日に至るプロセスは、1995年12月選挙で「国民の視座」派が21%の票で獲得したことから始まった。1996年6月には福祉党が、投票数が最も多い第二党であった正道党(DYP)と連立政権を担っており、「国民の視座」リーダーのエルバカンが首相、DYPのタンス・チルレル党首が副首相に就任した。

■スィンジャン市に戦車

1996年、エルバカン首相のリビア訪問が、議会内での「不信任決議」に至るプロセスに火をつけた。そして1997年1月30日にアンカラ県スィンジャンで催された会合『エルサレムの夜』が「体制論争」を引き起こす。 1997年2月2日、『エルサレムの夜』に関係し、個々の捜査が始まった。2月4日、スィンジャンは戦車の音で朝を迎えた。スィンジャンの路上に戦車15台、装甲車両20台が出現。1997年2月28日、デミレル大統領により国家安全保障会議が招集された。そして、国家安全保障会議から、歴史上に 「ポストモダン・クーデター」として記されることになる20項目の警告が表明される。3月5日、エルバカン首相は、衝撃的な決議が示されたこの表明文への署名を余儀なくされた。また福祉党の活動停止をめぐって訴訟が起こされた。国家安全保障会議の決定でエルバカンは首相を辞任し、福祉党とDYPの連立政権は崩壊した。そして最高裁判所での裁決により、1998年1月16日福祉党は閉鎖。エルバカンは政治参加を5年間禁止される結果となった。

カルン報道官「すべてを明らかにしている」

大統領官邸のスポークスマンであるイブラヒム・カルン報道官は、2月28日付の国家安全保障会議の警告表明に関してAA通信が行った取材で次のように述べている。
「(警告文は)共和国の価値を強調しながら、国民をほとんど無視している。共和国にとっての価値を、自身の階級の利益のため、さらに(共和国の)後見人であるというメンタリティを正当化するために利用するということが、すべてを明らかにしている。

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(翻訳者:原田星来)
(記事ID:50731)