今日、タクシム・モスク開扉
2021年05月28日付 Milliyet紙


レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の出席で今日実現したタクシム・モスクのオープニングセレモニーの前に、タクシム広場やモスク付近にウスパルタ市からやってきたバラ水を散布した。

最新ニュースによると、タクシムでの歴史的な開扉の数時間前、ウスパルタ市からタクシム・モスクと周辺に25トンのバラ水が撒かれた。ウスパルタからバラ水を運んできたと伝えたウスパルタ副市長ファフレッティン・ギョズギュン氏は次のように述べた。

「市長の指示のもとに、今タクシム・モスクの開扉に際してタクシム広場とタクシム・モスクにバラの香りを漂わせるよう望みました。オスマン朝の伝統です。モスクが礼拝にひらかれるとき、たしかにバラ水で清められてました。我々も今日タクシム・モスクの開扉に立ち会うことを望みました。今、あたりはバラが香り始めました。ベイオール区とともにイスティクラル通りも含め25トンのバラ水の香りを漂わせようとしています。」

■イスタンブルで歴史的な一日

タクシムで4年前に定礎が行われ、一度に4000人が礼拝できるモスクは、工学的な点で新しい特徴を数多く持っている。タクシム・モスクでは、トルコ及び世界で限られた数のみ導入されているトップ・ダウン方式が採用された。タクシムにモスクを築くことは、かつてエルドアンがイスタンブル広域市長に就く際の公約の一つであった。

エルドアン大統領の参加を得て行われたタクシム・モスクの開扉セレモニーは、金曜礼拝に続き執り行われた。タクシムにモスクを作ることは、かつてエルドアンがイスタンブル広域市長に就くための公約の一つであった。

エルドアン現大統領は、1994年1月19日にタクシムでモスクが建てられる場所に言及している。彼は今一度広域市長が選ばれなかった中で、エルドアン大統領の公約の一つであったこのモスクは…、27年後に実現した。

タクシムでモスクが建てられることは、史上争いの様相を呈していた。改革勅令の公布の後に歴史上「93戦争」として知られる大戦争でロシア人が勝利した2年後に、タクシム広場に現れたアヤ・トリアダと言う名の教会の建造が完了した。この教会はロシア人らによって作らされたのである。

ナーズム・ヒクメット氏は、1921年に占領下にあったイスタンブルで、地域の唯一のモスクであったアーア・モスクを見て、「以前はこの哀れな状態を理解できなかった、ああ、哀れなモスク、お前をこのように見ると、私はかわいそうな子供のように信仰にとらわれた。神の御名をより一層心より唱えた…。」という詩句を書いた。

■1952年に

民主党政権において、タクシムにモスクを建ようとする試みが1952年に行われた。メヴラーナの子孫である医学教授であるフェリドゥン・ナフィズ・ウズルクを長とする記念物協会は、イスタンブルをはじめとする多くの都市でモスクを作った協会であった。1955年、協会に対し、イスタンブル市がタクシム・ モスクのために必要な土地を割いたという情報が入ってきたが、計画は実現しなかった。

2回目の試みは、1960年代半ばに行われた。この取り組みの先導者は実業家たちであり、モスクは模型の準備がされた。1965年当時のスレイマン・デミレル首相は、タクシムにある勧農銀行および国庫所有の土地を、モスク建設を条件にワクフ局に売却するという決断を下した。

1979年、スレイマン・デミル首相時代に閣議決定によってタクシムにモスクが建てられることが決定されたが、1980年9月12日のクーデターの直後に閣議決定は破棄された。1983年、祖国党政権とともにタクシムにモスクを建てる意図と取り組みが再び議題となった。今日、タクシム・モスクの建設に身を捧げるZ・アルタン・エルマスと兄弟たち(ジェム・ハカン・エルマス、ウフク・エルマス、アティッラ・エルマス)の、イスタンブル選出国会議員であった父、故エラアッティン・エルマス及び伯父ハイレッティン・エルマスの両名は、時の首相であったトゥルグト・オザルに願い出てタクシムにモスクを建設したいと願望した。

当時、時期尚早だとして認められなかったが、この願望は家の年長者のエルマスと兄弟たちに遺産として残った。タクシムにモスク建設の計画は1991年に実業家イブラヒム・アルスランを代表として設立されたタクシム・モスク文化・芸術財団によって再び議論された。86人から成る財団協議会には、レジェプ・タイイプ・エルドアン、ヴェフビ・コチ、ラハミ・コチ、サブリ・ウルケル、サークプ・サバンジュ、セミハ・シェキル、シャルク・タラ、オスマン・ボイネル、エクメレッディン・イフサンオール、ケマル・ウルジャク、アスム・コジャブユク、エサット・ジョシャン教授、イブラヒム・ジェヴァヒル、タヤール・アルトゥクラチ、アフメト・カバクル、タハ・アクヨル、フアト・ボル、ネジェティ・オズファトゥラが在籍していた。

すぐに行動を起こした芸術財団とワクフ局の間で議定書に署名された。議定書は、土地に関する計画を練り直すために共に取り組むこと、建設されるモスクの処分権をワクフ局に委ねることを想定していた。1992年、ワクフ局は、再びイスタンブル市に対し計画の再検討を訴えたが、市から回答を得ることはできなかった。1994年3月27日の地方選挙でタクシムにモスクを建設すると公約して当選したレジェプ・タイイプ・エルドアンは、「タクシムにモスクを建設する許可を与えます。デミレル大統領と共にモスクの定礎式をおこなう。」と述べた。正道党との連立政権の首相で、福祉党の党首であるネジメッティン・エルバカンもタクシム・モスク建設の準備を整えると述べた。行政的・法的な手続きのため、タクシムにモスクは建設できなかった。

手続きの中、1997年2月28日のポストモダンクーデターによって連立の政権は解体された。2013年、時の首相レジェプ・タイイプ・エルドアンは、タクシム・モスクと砲兵兵舎を建設すると述べたが、諸々の事件が発生したため、タクシム・モスクの建設は再び延期された。2016年7月15日のクーデター未遂の後、エルドアン大統領はタクシムのモスク建設の目標を停止地点から再開した。

2017年1月19日にイスタンブル第二文化財保護委員会の同意を得るまで、この件に関しては措置が講じられなかった一方で、エルドアン大統領は、2016年7月15日のクーデターの企ての直後、7月18日にクスクルでクーデター企てに抵抗した人々に向けての演説の中で、「タクシムにモスクを建てる時がやって来た。」と述べ、モスクの建設に再び言及した。この演説をみたアルタン・エルマスが、タクシムにモスクを建設するのが夢であり、すべての費用を慈善家として賄うとして建設を望むことを、エルドアン大統領の側近、当時のエネルギー天然資源大臣ベラト・アルバイラク(エルドアンの女婿)に伝えた。

■150年の来歴

エルマス家は、エルドアン大統領の同意の上で家の年長者たちから受け継いだこの大きな夢を実現し、150年の来歴のあるタクシム・モスクの建設を引き継いだ。当時のベイオール区長であるアフメト・ミスバフ・デミルジャンは、2017年2月10日に行った発表で、建設計画の設計者がシェフィク・ ビルキエ、スル・ヤプの社長であるエルマス家がこの計画の建設と費用を引き受けて従事することを公式に発表した。タクシム・モスクの象徴的な定礎を2017年2月に行ったが、記念碑委員会の監督下で発掘作業を行わせたモスクの建設は、2017年6月に開始された。

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(翻訳者:関口ひなた)
(記事ID:51121)