トルコ文学:作家オルハン・パムク、新作小説『ペストの夜』を解説
2021年04月07日付 Hurriyet紙


パムク氏は「最近10年間の間、検疫がどのように行われるのか、検疫に対してどのような反対運動が行われたのかという興味が沸き始めました。今日では、細菌については全員知識を持っていますが、19世紀では人々はこれらのことを信じてはいなかったのです。小説においてもまた検疫の歴史について関心をもちました。」と語った。

ノーベル賞作家のオルハン・パムク氏は、最近出版された『ペストの夜(Veba Geceleri)』というタイトルの物語を読者に共有をおこなった。

D&Rの主催で、オイルム・タル氏が統括したトークイベントは“dr_dunyasi"というタイトルのインスタグラムアカウントから、生放送で放映された。

パムク氏は、あるペストの大流行が発生する歴史ジャンルの小説のテーマを約40年間に渡って考えてきたと語った。

ペストに対して、数多くの文明の態度が変容したということ、そして小説において、そのことを精査したかったと述べるパムク氏は、「ヨーロッパ人は、ムスリムの人々について『彼らは大して対策をしないだろう、運命論者たちだ』という言葉で貶めていたが、この言葉に対して『なぜ彼らはこのように言うのか』という問いかけを行いながら、私は一つの小説を考えました。隔離の対策をとることのない、様々な人々について少しばかり、政府がこの意味において厳しくなったもしくは崩壊したといったことが頭に思い浮かびました。私は長い間このことについて考えたのです。」と語った。

小説を書き始めた時には世界では未だ新型コロナウイルスのパンデミックが始まっていなかったということに注意を引いたパムク氏は、パンデミックが始まってから小説の80%を新たに執筆したということを明らかにした。

パムク氏は、この大流行の時期に起こった事件の数々を剽窃しないために、小説を最も少ない分量に抑えたと述べて、以下のように続けた。

「ペストの大流行においては、死の恐怖とパンデミックに対しての職人、宗教人、世俗派の人々、そして科学に近い人々の反応、それぞれとの闘争を、矛盾について思考していました。私は最近10年間に渡って一体、検疫はどのようにおこなわれるのか、人々は検疫に対して一体どのように反乱をしたのか、反乱をおこしたのか、というこの問題が私の関心を引き始めました。そして世界においてもまた検疫に対しても反対する運動が発生しました。最も大きかったのはヨーロッパにおいてです。今日においては、全員に細菌に関しての知識が存在しています。しかしながら19世紀においては手探りの中で微生物が発見されたために、人々はこれらのものを信じてはいませんでした。私はこの問題についての関心を持ちたかったのです。結果として、私は小説においても隔離の歴史、そして諸問題にも関心を持つようになりました。」


卓越した作家は、コロナウイルスのパンデミックの時期の初めに96歳の叔母を亡くしたということを述べながら、『私たち皆が動揺したのです。私の内なる世界に戻りました。私たちは葬儀に向かうことさえできませんでした。驚きましたし、恐ろしくなりました。その後で私が感じたその恐れを、執筆した登場人物たちに見出すことが出来なかったのです。このためにパンデミックが始まったことは、私の主人公たちに対して更に恐れを与えることを教え込んだのです。』と話した。

本の価値とは、調査によってではなく、想像力に基づいているものであると強調をしたオルハン・パムクは、小説のキャラクターたちに対して以下のような情報を与えた。「小説には3人の夫婦が存在しています。オスマン帝国の県の一部で想像上の島の知事であるサーミ・パシャそして彼の秘密の愛人の物語があるのです。私たちはその後を追いかけます。そのようにして読者たちは島における顛末を知るようになるのです。サーミ・パシャもまた、彼自身興味深い人間です。私たちの本における語り手に手助けをする姉に手紙を書くムラト5世の娘が存在しています。しかし彼女は想像上の少女です。彼女の前には2人の妹が存在しています。その名前は本物です。3人目は私の創作です。また彼女の夫も存在しています。検疫の問題において専門家となった医者なのです。オスマン皇帝もまた彼女たちを結婚させました。また、更に一人の若いオスマン帝国の役員が存在しています。ミンゲル島で生まれて、その後でオスマン帝国の軍隊で成功を収めたそうです。1897年のギリシャ戦争において、メダルまでも獲得したというのです。ある理由から島にやってきたそうです。彼は母親と会い、島生まれの一人の少女と母親を介して結婚をするのです。この夫婦の物語もまた、本では追いかけているのです。これらの夫婦の物語を読者に対して信じられるような形で物語りたいと思っていたのです。しかしながらペストの大流行が起こった場合、政府は一体何をするというのでしょうか。国民はどのようなことに怒りを感じるのでしょうか、また、職人たちは、なんというのでしょうか、病院はどのようにしてすぐに埋まってしまうのでしょうか。死者はどのように埋められるのでしょうか。噂とは一体なんだったのか、私はこれらのことについて執筆しました。そして書き上げたものを私の近しい人たちに読み聞かせたのです。私は一方では、夫婦たちを書いていました。またその一方では、ペストの大流行における社会の状況を見たいと思っていたのです。ほんのわずかとはいえ、私の小説には歴史的な側面も存在しているのです。」

パムク氏は、『ペストの夜』には推理小説の側面が存在しているという点を指摘しながらも、「私は自分の小説に推理小説の要素を付け加えることが大好きなのです。私の小説をより気軽に読んでもらいたいと思うからです。しかしながら私は小説をただの推理ものとして書くことはありません。私には推理小説家という肩書もないのです。私の3-4作の小説においては、また推理小説の哲学にも興味を抱くようになりました。」という表現が用いられた。

■「私の目的は読者の脳内でそのシーンを映像化することなのです」

各小説において物語を執筆する際には、同時に脳内において映像のデザインもおこなっているということに注意を引いたパムク氏は、以下のような評価も述べた。「私はこの問題については、『純粋で思慮深い小説家(Saf ve Düşünceli Romancı)』という短い本も書きました。つまりは、一人の小説家は一体何を行うことができるというのでしょうか?私は各場面をまるで映画であるかのように脳内で描き出します。少なくとも私はこのように仕事をしています。その後に、その場面を適切な単語を用いて解説します。各単語というのは、単なる道具でしかありません。私の目的というのは、読者の脳内でその場面を再現することです。歴史というのもまた私の考えでは歴史が重要であった場所なのです。私の小説の舞台の1901年には、オスマン帝国のアブデュルハミドが写真が大好きでしたしまた、沢山の写真家を様々な場所に送り出すと、彼らはアルバムを制作しました。私はまたこのアルバムについても少しばかり仕事をしました。歴史の様々な写真家たちを様々な場所へとおくりだし、彼らのアルバムを作り上げたのです。私はまた、このアルバムについても少しばかり仕事をしました。歴史的な写真を見ると私は子供のような喜びに浸れます。」


ヤプ・クレディ出版社から出版される『ペストの夜』は同時に、本の装丁デザインを手掛けるアフメト・ウシュクチュ氏が用意を行ったということを伝えたパムクは、今後の時期では、ウシュクチュ氏の諸作品を展示する事も考えたと述べた。

オルハン・パムク氏は、彼が説明を行った全てのキャラクターたちといつでも同一化したいということを強調しつつ、各小説の執筆プロセスはゆっくりと進んだという事、また早く小説を書くことはできなかったということ、そして「小説はどのように書かれるのか」というテーマについての本もまた執筆したいと思っているということを言葉に加えた。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:51162)