東京パラリンピック・ゴールボール金メダル立役者カラス、インタビュー
2021年09月16日付 Hurriyet紙


ゴールボール女子トルコ代表チームは東京2020パラリンピックの決勝戦でアメリカを9対2で破り2度目の金メダリストとなった。チームのスター選手やコーチのギュルテキン・カラスとチームの勝利について語った。選手たちは視覚障碍を持つ子供のいる家族にこのように呼びかけた。「人生のなかでいつも隣に誰かいるのではなく、一人で何かを達成させることも必要です。そういう意味でスポーツは大きな刺激になる。人間に多くのことを経験させる」と述べていた。

ゴールボール女子代表チームが東京2020パラリンピックで金メダルを獲得して帰ってきた。ゴールボールは視覚障碍者が参加するチームスポーツ。私たちは次々とメダルや優勝を重ねるにつれてこの種目について知り始めた。2015年、2019年のヨーロッパ選手権で優勝を果たした女子Aチームは2016年のリオパラリンピックでもトルコに金メダルを獲得してきた。今年の金メダルに至るストーリーは少し例年と異なっている。なぜなら前回メダルのために奮闘したチームの6人中5人の選手が入れ替わったから。新しいチームがリオでの勝利を再び実現するために8か月間集中トレーニングに入った。努力は実り、6人の選手たちは金メダルを獲得できた。東京から帰国後すぐに、彼女たちの闘いのストーリーについて伺った。コーチのギュルテキン・カラスとこの安定した勝利の裏側にある秘訣について語った。「私たちはたくさん、誠実に練習して若い世代が何を実現できるかを見せた」と述べていた。

■MVPに選ばれ、ゴールクイーンのタイトルを勝ち取る

セヴダ・アルトゥンオルック(27歳)
盲学校で体育の先生に勧められてゴールボールを始めた。家族はたくさんサポートしてくれた。視覚障碍を持ち、かつスポーツをやりたい女の子にとってはこれはすごく重要。彼女たちおかれる状況は、この国においては厳しいものだからです。私たち出場選手は12月から練習を始めた。スポーツに没頭することが求められる期間となったが乗り越えることが出来た。私は前回のパラリンピックでもチームの一員だった。今は全く新しいチームでこのメダルを取れて最高の気分です。2016年のリオ大会そして2020年の東京大会でもMVPとして選ばれ、ゴールクイーンになった。連続で2度のパラリンピックで優勝した後もこの偉業を守らなければならない。対戦相手は私たちを刺激するだろうが、チームメンバーはとても若い。それも私たちの最も大きい武器だ。私はこのスポーツを通して自分のアイデンティティを見つけた。私はこのスポーツが大好きでやっている。このスポーツにおける世界トップ選手の一人だと自負している。
2016年のリオパラリンピック、及び2020年の東京パラリンピックでトルコに金メダルを持ち帰ってきたチームに所属するセヴダ・アルトゥンオルック。15年間プロとしてゴールボールをやっている。
出身地:トカト
競技開始年齢:12歳

セヴダ・アルトゥンオルックは、東京パラリンピックで7試合に出場し、46ゴールを決めた。

■姉のおかげで…

セヴタプ・アルトゥンオルック(26歳)
私は盲学校に通い始めてゴールボールを始めた。姉のセヴダ・アルトゥンオルックのおかげで、オスマン・カラル先生の協力のもと16歳の時に始めた。私も視覚障碍があったが、盲学校には当初通っていなかった。家族は私がこのスポーツを始めようとする時、継続しようとする時、姉の時と同様にたくさんサポートをしてくれた。このスポーツのおかげで私は自分を見つけた。周囲の人や友人そしてトルコ及び世界に自分のことを受け入れてもらえることが出来た。それがとてもうれしいです。
出身地:トカト 競技開始年齢:16歳

「ゴールボールは1946年に戦争で視覚障碍を患った退役軍人のリハビリのために提案された。1976年以降パラリンピックの種目として行われている。3人制チームが鈴のついているボールを転がし、相手のゴールラインに入れようとする競技である。プレイ時間は約50分。」

■「私はゴールボールの世界で自分を見つけた」

ファトマ・ギュル・ギュレル(17歳)
私はチームのなかで一番若い選手です。初めてのトーナメントでパラリンピックでした。このスポーツは2017年にカフラマンマラシュで盲学校に通っていた時に始めた。家族は常に私を応援してくれていた。私の友達作りに寄与するだろうと家族は考えていた。このスポーツのおかげで新しいコミュニティができた。海外へ行き、多くの都市を巡り、大会を見た。このスポーツを通してたくさんいいことがあった。パンデミックの最中も練習を続けた。表彰台でトルコの国歌が流されることは私たちの夢だった。それを叶えることができた。金メダルを取ってトルコに帰れたことはとても誇らしい。トルコ全土で応援があり、感謝している。
今の目標はヨーロッパ選手権です。私たちにはプレッシャーがある。なぜなら2回も金メダルを私たちは取り、3個目のメダルを求めていて、そしてそれが可能だと信じているから。私よりも小さい子へのアドバイスとしてはこのように言う。「スポーツは全ての人の人生にあるべきだ。家で過ごすよりもスポーツをやってください。ゴールボールは私の人生の大部分を占めている。なぜなら私はこのスポーツを自分の人生そのものだと思っているから。私にとって別の世界であり、その世界で自分を見つけることが出来た。」
出身地:カフラマンマラシュ 競技開始年齢:12歳

■「自分だけかと思っていた」

カデル・チェリキ(20歳)
10年前まで私たちはアール県に住んでいた。エルズルムにある盲学校があった。プロジェクトの一環で町や周辺県を巡り、そこで見つけた生徒たちをエルズルムの学校に連れて行った。この学校でゴールボールが教えられていた。体育教師たちはゴールボール選手として適した生徒がいないか観察し、勧誘していた。私もスカウトされて始めた。家族は常に応援してくれた。そもそも寄宿生としてこの学校に通わせもらうこと自体、家族の支援は必須です。ゴールボールを始めてから私の人生は身体的な面でも、社会的な面でも大きく変わった。精神の状態も良くなり、もっと自由に感じる。このスポーツを始める前は私のように視覚障碍を持つ人がいることを知らず、自分だけだと思っていた。これは精神的にも人を疲れさせ、絶望させることです。試合や大会に参加するなかで、自分と同じような人がいるのを見れた。ゴールボールは私の人生に良い影響をもたらし、自分に自信を持てるようになった。パンデミックは基本的に厳しい時期だった。初めのうちはスポーツ用品を家に持って帰り、自宅で練習をしていた。一緒に働くトレーナーの方々に練習プログラムを送ってもらった。私たちは東京2020に、2016年の勝利を背負って向かった。前回獲得したメダルを自分たちも見逃してはならなかった。私たちにはその責任があった。彼らはトップを取り、2位などは偉業とは言えないからです。今私たちは新しい道、そして目標がある。目の前に現れる相手は毎回違うが、直近の大会に向けて私たちは頑張ります。
出身地:アール 競技開始年齢:9歳

■「私たちはトルコへ帰ると反響に気づいた」

シェイダ・ヌール・カプラン (21歳)
4年生の時にゴールボールを始めた。小さいころ、大会に行っていた。視覚障碍者として、以前よりも自分に自信は持てるようになった。新しい人と出会い、交友関係を築き、新しい場所に訪れ、何か成し遂げられると気付いた。その後ナショナルチームに入ってから、仕事はさらに増えた。物理的にも精神的にも生活が変わった。コミュニティは広がり、人が私を見る目変わり、敬意を持たれた。大学に向けて準備をしていた時ナショナルチームから一時抜けたが、練習は続けた。オリンピックのために準備を始めた時、大会まで一年残っていた。私たちは短い休みを入れながら1か月間、20日間の合宿を行った。日本でも合宿をした。私たちは2016年のリオ大会で優勝者となったチームを代表していた。その責任を背負って出場した。金メダルを取れた時の感動はすごかった。みんなに祝福されました。実をいうと私たちは帰国後大会の反響に気づいた。私たちは盛大に歓迎された。母国に金メダルを持ち帰れたことは素晴らしい気分だった。全員がそこで国歌を聴いた:母国の国旗が振られた。言葉にできない感動だった。今は二つの金メダルを取り、既にパリ大会での金メダルについて考え始めた。ゴールボールは視覚障碍者しかできないスポーツです。それも大きな特権です。視覚障碍を持つ子供のいる家族はスポーツすることに対して心配するかもしれない。私たちの社会生活も重要です。なぜなら人生のなかでいつも隣に誰かいるのではなく、一人で何かを達成することも必要です。そういう意味でスポーツは大きなはずみになります。人間に多くのことを経験させる。この競技がより多くの人に知られ、プレイされればされるほど、私は嬉しく思います。
出身地:デニズリ 競技開始年齢:11歳

■「このスポーツのおかげで自分に自信が持てた」

レイハン・ユルマズ (20歳)
ゴールボールは、12歳の時デニズリにある盲学校で、体育の先生のおかげで始めた。家族は最初は障碍を理由に躊躇した。ゴールボールのことを知らず、私を守ろうとしてくれた。しかし後ほど私が活躍すると確信し、一番のサポート役になってくれた。家族は私がスポーツをやってるときどれほど幸せかを見て、活躍するだろうと気付いて応援してくれた。小学校は普通の学校に通い、とても内向的だった。障碍を理由に疎外されたり、卑下された。このスポーツのおかげで私は自分に自信を持て、他の人と交際し、友達を作ることができた。みんなの私の見方が変わり、尊敬されるようになった。ゴールボールのおかげで人生が楽しくなった。5年間ナショナルチームに所属してきた。2017年以降パラリンピックで優勝することを夢みてきた。パラリンピックはアスリートの目指す頂点であり、最も強い選手しか行けない。私はそのうちの一人となったこと、誇りに思えた。そこでさらに優勝することは、全く異なる気持ちであり、モチベーションです。私は殉教者たちが私たちを見ていると信じてきた。2016年に代表チームはチャンピオンになった。2020年になり、私たちの番が来た。そのためより熱意をもって練習に励んだ。2024年大会は2倍のプレッシャーがかかっている。3度目のチャンピオンとなれば私たちのチームにとって最高だろう。
出身地:ウスパルタ 競技開始年齢:12歳

■「トルコはこの競技における『学校』になったというところまで来た」

ギュルテキン・カラス、ゴールボール女子ナショナルチーム コーチ
前回のパラリンピックでトルコは金メダルを取った。チームは大会優勝後解散した。オリンピックの8か月前に私のところに新しいチームを作るという提案がきた。とても難しい決断でものすごく考えた。国民の責務であるという考えのもと、依頼を受け入れた。私たちは素晴らしいチームワークでこの結果を手に入れた。パンデミックによって練習試合もできず、経験の浅い若者からなるチームとともにパラリンピックに出場した。選手には「2位なんかは私たちにとって敗北だ」と言い、大変な任務があることを伝えた。私たちは一つになり、勝利への挑戦を始めた。最初の予選は主催国日本と戦った。一番好きな試合だった。7対1で圧勝し、我々の選手たちの強さを気づかせた。前回勝ったチームとは言え、油断を見せず安定していたといえる。前回大会のおかげで若者はこのスポーツに惹かれ、盛り上がっている。連続のメダル獲得によってトルコはゴールボールにおける学校のようなものになっている。昨年初めて優勝となったが、2度目の金メダル以降はもはやゴールボールというとトルコがまず頭に思い浮かぶ。以前はフィンランド、アメリカがそれぞれ強国だったが今や私たちが世界でトップの位置にいる。私たちは体系的に、計画的に、戦略的に取り組んだ。全ての選手たちに個人のトレーニングメニューを作成した。12月から9月5日までの期間に私たちが休みを取り家で過ごしたのは15日から20日間に過ぎない。どんなサクセスストーリーでも頑張っていたことが話されるが、私たちも本当に努力をした。私たちはチームとしてチャンピオンシップを意識していなかった。とても不思議な気持ちです。選手たちも私も初めてこのようなことを経験した。私もこれまでパラリンピックまで行ったことがなかった。その意味では私にとっても初の経験だった。トルコ全土が突然私たちに注目した。あまり知られていないスポーツだったがゴールボールが突如とトルコで話題に上がるようになった。たくさんの応援メッセージをもらいました。それは私たちを勇気づけた。「私たちを応援し、試合を観戦し、祈ってくれている方々がいるなか、個この大会で優勝以外の選択肢がない」と私たちは話した。2024年のパラリンピックの激励にもなった。私たちはしっかり取り組みながら若い世代が何を実現できるのかを見せた。今回の大会優勝は2024年そして2028年の先触れでもある。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


(翻訳者:山下鈴奈)
(記事ID:51583)