トルコ・ラップ:疎外された人々が、世界へラップミュージックで声を上げる
2021年04月28日付 その他紙


イスタンブルにおいて、貧困そして迫害といった問題が数多く存在している地区は、同時にラップ音楽もまたよく聴かれている場所の一つである。ボアズィチ大学政治学・国際関係学部で研究員をしているウムト・ミシェ氏は、この地区のうちスルクレそしてバージュラルに集中した研究において、ラップ音楽は若者たちが疎外を表現するために用いた一つのツールであると主張している。しかしながら、ミシェ氏が見たところではバージュラルのラッパーたちは、スルクレのラッパーたちと比べ、著名になり、かつお金を稼ぐためにその言葉における批判的なトーンをやめることなくそしてまた市場の論理の諸条件に対して従順である。

ボアズィチ大学政治学と国際関係学部に201年に卒業をしたウムト・ミシェ氏は、2015~2018年の間で同じ学部で修士課程を修了した。同じ学部で博士課程教育を続け研究員としても仕事をしているミシェ氏は、メルト・アルスナルプの指導のもとで執筆をした修士論文をイスタンブルにおいてラップ音楽の疎外の道具としてどのように用いられたのか、ということを取り上げている。この枠組みにおいて、スルクレそしてバージュラルにおいて66っカ月にわたるフィールドワークを行ったミシェ氏は、この地区に生活をする若者たちが都市化、貧困そして差別を表現するためにラップ音楽を手段化したと主張している。ウムト・ミシェ氏と共に過去に‟Antropology of East Europe Review”誌において公開された研究について語り合った。

■このような研究をおこなうというアイディアはどのように出たのでしょうか?

私は実際のところラップミュージックに関心をもつ人間でした、そしてまた2015年に学部を卒業した頃には、ラップ音楽を政治化されるという形で表現することができるような雰囲気が存在していました。私もこの雰囲気の影響を受けながら自分の修士論文においてこのテーマを研究することを選んだのです。

あなたの論文においては、トルコ語ラップ音楽は初めてどこでどのような条件で登場したのか、ということについても言及をされていますね、そしてこの点において『グローカル化/グローカリゼーション』というアイディアから影響を受けられたのですね。この概念について少し説明をしていただけますでしょうか?

これは実際のところ文学において存在している概念でした。取り分けアイハン・カヤ氏がこの概念を用いながら行った重要な仕事が存在しています。トルコ語ラップ音楽として初めにドイツで「カーテル」というグループにより登場しています。そして実際のところそこに暮らすトルコ人の存在のための闘争を、直面をした差別を解説しています。ラップ音楽というのは、ドイツ人もしくはトルコ人が生み出したものではありません。実際のところはアメリカ人が生み出したものです、しかしながらカルテルはラップを自身の土地の問題を表現するために用いているのです。その他の表現では、土地の諸問題をグローバルなジャンルとともに言及しているのです。スルクレそしてバージュラルにおいては似たような環境が存在しています。そこに暮らす若者たちもまた、実際のところそこで生まれたわけではない音楽ジャンルとともに、自身の問題を表明しているのです。

■『同じ音楽は、異なる土地において意味を変えている』

さて、カルテルとともに、そしてそののちにトルコ語ラップ音楽というのは一体どのような変化を遂げたのでしょうか?

カルタルがどいつで行ったのは実際のところトルコ人たちがそこで晒されたナチズムに基づく問題の数々を言及することでした。これを行う際にもまた、各楽曲においては非常に濃密なトルコ人性の強調が存在していました、そしてまたトルコにおいてもまたこの理由のためにものにされたのです?
ここにおいてまた、興味深い点というのは、実際のところアンチーナショナリズムとして登場したある音楽が、トルコにおいてはナショナリストの文脈において使用されたということです。同じ作品がことなる土地においてその意味を変えることになるということは、このために調査する価値があることです、さらにのちに登場したサゴパ、ジェザ、フアトといったラッパーたちについてもまた、研究が存在しています。しかしながら、この仕事においてもまたイスタンブルにおいて作られた関係はさらにも個人的なものなのです。ボヘミアン、そしてペシミスティックなトーンなのです。都会においてすっかり押しつぶされてしまったかのような感覚を有しています。今日における楽曲においては、都市化、差別、麻薬といった問題について直接的に言及をしています。

調査フィールドとしては、なぜスルクレそしてバージュラルを選んだのでしょうか?

私は、実際のところスルクレから誕生した“破壊と反乱(Tahribad-ı İsyan)”という名前のグループを聴いていました。このグループは、スルクレにおける都市化が発生した時期に登場をして、そして非常に反体制的な言語をわが物としていました。実際のところ、フィールド調査を行う前に、スルクレそしてバージュラルの間でこれほどの差異があるとは思っていませんでした。まずは、方法としては、ただ深く掘り下げるために面談の方法を用いることを計画していました。しかしながら、そこに通うようになるにつれて、さらには人々と親しくなるにつれて、参与-観察の方法によっても参加をしたのです。
あなたがお話になった人々というのは、あなたのことそしてこのような調査を行うということに関してはどのように受け止めたのでしょうか?

この点においてスルクレそしてバージュラルの間での区別が存在しています。スルクレにおいて若者たちは実際のところ一つのアクティビズムの中に存在しています、しかしながら更に以前には彼ら自身について撮影されたドキュメンタリー映画も存在しています。この理由のために、私のことを非常にアツく出迎えてくれたのです。バージュラルにおいては、状況は少し異なっています。そこではラップ音楽を行っている何人かは非常に有名ですが、また他の何人かはいまだに有名ではありません。そして有名になることを大変望んでいるのです。私のこともある意味、彼らを有名にする人間かのように思ったようです。一体、いつコンサートに出してもらえるのか、という質問がまずやってきました。しかしながら私は彼らに対しこのようなことはないと言ったのです。それでも彼らの中へと入っていくことは困難なことではありませんでした、ただ議論のルートが異なっていたのです。バージュラルの若者たちにアプローチをするためにソーシャル・メディを非常にアクティブな形で使用しました。

バージュラルではラップ音楽は有名になるための一つの手段として使用されている

バージュラルそしてスルクレで行われるラップ音楽の言語においては差異があるとおっしゃられていますね、この差異というのはなぜ表に出てくるのでしょうか?

私はこの差異の基盤に二つの理由があると見ています。第一には以下のようなものです。
スルクレにおいては非常に激しい都市化がありました。バージュラルにおいてもあります、しかしながらそこでは、人々の生活にスルクレほどに入りこんだというわけではないのです。スルクレでは、人々は毎日壊れた建物に対して警告を発していたのです。何カ月間にもわたって、そこでイスタンブルの数多くの地区から都市化に反対する人々が集合した雰囲気が存在していました。1950年代より後に、ロマ民族がスルクレに居住をすることによって、ここへ自由な文化と帰属の繋がりもまた、作り上げたようなのです。バージュラルにおいてもまた、地区と作り上げた関係というのはさらに異なっています。そこでは、これほど濃密な帰属の感覚というのはありません。このような理由とともにスルクレにおいては、音楽が自身のある闘争の領域という状況になったのです。

バージュラルにおいては、ラップ音楽を生み出すということは、さらに多くのお金を稼ぐことにおいて築かれたものなのです。スルクレにおいてそうであるように、人々を啓発させるということはありません、またラップ音楽をする人たちというのは、自身の領域においても、連帯は存在しません。例えば、私が論文において言及をした、『夜の影を放っておけ』というタイトルの非常に有名な楽曲が存在しています。バージュラルにおける若者たちの目的というのも、このような楽曲を作りましょう、そうしてYoutubeでもっと聞かれるように、そして有名になってそこに行こう!という形で要約をすることができます。つまりは、Youtubeにおいてもっとクリックがされるように、時とともにラップ音楽において使用される言語というのもまた、穏健なものになっているのです。

■この点においてソーシャルメディアではどのような役割があるのでしょうか?

YouTubeというのは、この点においてバージュラルにおける若者たちは、自身の領域において構築することのできるポテンシャルのある連帯がうち壊されることにおいて非常に重要です、なぜならばそこに楽曲をアップロードすること、楽曲を編集すること、ビデオの編集をするといった作業は一つの技術的な知識を必要とするのです。バージュラルには、これをおこなうことのできる人間というのが一人存在していました、そして楽曲を作りたがる人たちというのは、そこへ向かっていたのです。その他の人が学ぶことがなければ、次第にそこにおける競争は増大をしていきます、そして彼らの言葉が壊れていってしまう理由となっていたのです。実際のところ、この若者たちというのは教育を欠いていて、犯罪割合が高い、また貧困といった問題もあるのです。そして大部分が、またその他の場所で仕事をしているのです。ただラップ音楽だけをしているというわけではありません。この理由とともに、一つの楽曲とともにポピュラーになってお金を稼ぐということは、彼らにとって簡単な方法として見受けられるというのは非常によく理解ができることなのです。

■ラップ音楽を同時にできるというのは非常に重要

トルコの歴史を紐解いた際に、アラベスク音楽というのも一時期非常にポピュラーになったと見受けられます、二つの音楽ジャンルは消費されるという観点から、どのような差異があるといえるのでしょうか?

アラベスク音楽というのは、実際のところはより村から、都市へと移動して、そこで抑圧された人々が聞いている音楽ジャンルだったのです。中身としては、さらにもっと個人的なテーマを含んでいるというのが見て取れます。問題に対して罵倒していますが、この点においてはある力を許容しません。ラップ音楽というのは非常にアクティブなものです。
私の考えでは、人々はラップ音楽をただ聞くだけではすまず、実際に作ることができるというのがこの点において非常に重要です。皆、美しい楽曲をうたうことができるのです。しかしながら、みなある形で存在しているインフラをつかいながら、ラップ音楽を演奏することができるのです。つまりは、音楽を通じて自身の問題を反映させながら、また一方では音楽を演奏することにおいてもまた、力をつけたというわけなのです。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:51735)