国家へのタリ-カ教団の浸透、危機的状況
2021年10月24日付 Cumhuriyet紙


国家内部へのタリ-カ教団の浸透に関する議論が続いている。この問題を解説するのは、『Katli Vacip(殺人の義務 副題:タリ-カ教団の極秘殺人ファイル)』の著者であるフェティ・ユルマズ氏。同氏は「この状況がこのまま続けばトルコは、新たな"7月15日"(註:2016年7月15日のクーデター未遂事件)を経験することは避けられない」と述べた。

ジャーナリストのフェティ・ユルマズ氏が同氏の著書『Katli Vacip(殺人の義務)』(クルムズ・ケディ出版)について行った注目すべき発言は、同氏がビルギュン(BirGün)紙のジャン・ウール記者のインタビューに対して語った、トルコにおける多数のタリ-カ教団関連殺人とその背景にある政治との関係についてのものである。

ユルマズ氏は、「ひとつのFETO(註:ギュレン教団)が消え、別の千のFETOが現れた」という言葉を引用し、タリーカ教団の国家への浸透を国の統治者が妨がなければ、新たな「7月15日」が発生する可能性があると述べた。

以下がそのインタビュー:

-御著書は歴史の流れに基づいたものですが、この文脈では、宗教諸団体と右派政権との関係はどのように解釈されるのでしょうか? またどういった関係がありますか?

実際のところ、今日頻繁に世論を騒がせているタリ-カ教団に関する議論はオスマン帝国にまで遡ることができる。共和国建国に携わった人々もこの問題について議論し、解決策を考え出した。そして独立戦争を経て、社会生活に平等主義の秩序を確立し、国民をつくり上げるに至った。タリーカ教団は、今日そうであるように、当時もそうした(建国の)目的の前に障害として立ちはだかっていた。もたらされる状況に多くのタリ-カ教団指導者が不満を抱いていた。実際1925年にテッケ(教団修行場)やザーヴィエ(教団修道場)が閉鎖される際には、彼らはそれを支持したほどだ。 考えてもみてほしい。今、私が『Katli Vacip』のなかでタリーカ教団による殺人について語っているし、1925年に法律が議論されていた時に、キュタヒヤ県のヌリ・ベイ議員はタリーカ教団には彼らが手を下した数多の殺人に責任があると述べていた。

1950年代、トルコ共和国は、社会生活の基本に世俗主義を据えた創設者の精神構造から逸脱した。そして民主党政権到来とともにタリーカ教団が再び姿を現した。 もちろん我々は、いつの時代においても右派や保守政権からのタリーカ教団への支援を目の当たりにしている。このタリーカ教団への支援を通じて、その教団コミュニティの信者は選挙における支持者となり、望むままに利用できる人間集団にもなっていた。

そうした相互支援が右派政党とタリーカ教団双方の権力の継続を担保してきた。 実際この利害関係は「win-win」ベースだ。しかし70年以上にわたるこの関係性のせいでトルコは多くを失った。

-(御著書の中で)米国とタリーカ教団との有機的な関係(緊密な関係)について言及されています。この部分について説明いただけますか?

もちろん……。冷戦時代、イスラム教徒が人口の過半数を占める国々において、タリーカ教団の組織化に賛同したのは、当然米国だった。実際、トルコがNATOに加盟したタイミングと、タリーカ教団への政治的支援がなされたタイミングも一致している。作家ファイク・ブルトゥはこのタイミングの一致にさらに踏み込んで、NATO加盟ガイドラインのうちのひとつがタリーカ教団への支援だったと述べている。

その後の経過を見ると、トルコの「反共主義協会」等、米国が支援するあらゆる組織の中にタリーカ教団/宗教団体がある。1960年〜1970年代、米国とのこうした結びつきに依存していた教団(組織)メンバーがいかに殺し屋となり、殺人を実行し、にもかかわらず守られていたかを我々は目撃している。話を過剰に広げるつもりはないが、この最新の事例として我々は7月15日のクーデター未遂事件を目の当たりにした。今も米国の装置であったり、あるいはそうなろうという意思をもつ宗教団体構造が存在する。

-(御著書の中に)革命運動の活動家だったバッタル・メヘトオールが1969年12月15日にヌルジュ・グループによって殺害された事件が出てきます。興味深いのは、事件当時の襲撃実行犯の一人であるアリフ・オネムリのことを、現在の親イスラム政党であるAKP(公正発展党)スレイマン・ソイル内務大臣が、式典等で「abi(お兄さん)」と呼んでいることです。これは単なる呼びかけ表現なのか、あるいは当時から続いている何かを反映しているのでしょうか?

スレイマン・ソイル内務大臣とアリフ・オネムリの関係には当然、歴史がある。オネムリは幼少期にヌルジュ教団に入っていたようだ。その後、彼は多くの罪を犯して収監され、刑務所内では社会主義者にかなりの苦痛をもたらした一人である。その件に関して、本作にはユルマズ・ギュネイ(注:脚本家・映画監督・俳優・小説家)の刑務所時代の友人であるアフメット・アトゥルムシュの言葉も載せている。

オネムリとソイル内務大臣は同じ政党の伝統を受け継いでいる。オネムリ収監中、数多くの公正党議員が彼の元を訪ねた。 1980年9月12日クーデター後、アリフ・オネムリは1993年まで正道党(DYP)に所属し区支部会長を務めた。その後も彼はDYPイスタンブル県規律委員長を続けていた。スレイマン・ソイルもそれと同時期にDYPで政治活動を行っていた。彼らの親密さは同じ政党で長年ならんで政治をしてきたことに由来している。52年前、当時の内務大臣がバッタル・メヘトール殺害実行犯と呼んだオネムリのことを、現在の内務大臣ソイルが「お兄さん」と呼ぶことは興味深い。

-この本に書かれているノルシンのシェイフ(タリーカ教団の指導者)殺害事件も衝撃的なはなしです。両者が対立関係に陥るや、裁判所に行くのではなく「シャリーアへ行く」、つまりシェイフのもとに……。そして経済的な対立関係が続き、一方の当事者がノルシンのシェイフを殺害しています。政府関係者はこの死の後に声明を出しました。この関係スパイラルにおいて経済的な関係はどこに位置付けられ、「シャリーアへ行く」という有効性を両当事者はどこから手に入れているのでしょうか?

まず、「シャリーアに行く」という表現は、法廷議事録の中の証人の発言にみられる。 地元の人々はシェイフが設ける法廷(シャリーア法廷)に行くことを「シャリーアに行く」と言う。 ノルシンのシェイフだったアブデュルケリム・チェビクがシャリーア法廷を設立し、当事者の片方がこの決定に異議を唱えてシェイフを殺害している。 シャリーア法廷を設立したシェイフに最初に哀悼の意を示したのはアブデュルハミト・ギュル法務大臣とスレイマン・ソイル内務大臣である。

市民は力をもたない。そのため、つくりだされた無法状態やそうした政治に支配される過程で、そこなら力があると思ってタリーカ教団へと向かう。タリーカ教団は何十年にもわたって受け続けてきた支援のおかげで経済的に財閥化し、弟子・信者数もかなりの数に達した。 もちろん政府から切れ目ない支援がある。人々の前に裁判官ではなくシェイフを立たせ続けたら、こうした状況が起こることは避けられなくなる。

-御著書の中には、法廷議事録にも記載されているタリーカ教団の情報があります。この箇所に教団メンバーはなにか反応を示しましたか? あるいはあなたから彼らにこの件を尋ねましたか?

彼らの名前は明かさないが、多くの宗教団体メンバーが感謝の電話やメールをくれた。ただ実際には、彼らの中には、こうした状況にひどく不満を持つグループもある。ある意味、インタビューの最初に戻ってきたのではないか? 約100年前もあらゆる場所で同じ状況が起きていた。私が「彼らは国に多くのものを失わせた」と言うときの「もの」とはまさにこれに当たる。

執筆中、私は多くの人々に接触しようと試みたが、タリーカ教団というのは非常に閉鎖的な構造を持つ。弁護士やその周辺関係者に連絡を取ろうとしたが、常に似たような反応、つまり脅しを受けた。「首をつっこむな。トラブルに巻き込まれるぞ」とか「力のある人がおまえを生かしてはおかない」とか、「おまえに恥をかかせてやる」といった何十回もの脅しを。

-各タリーカ教団間や教団内部で様々な清算をする際(話をつける際)に、いずれもモスクが選ばれていることを私たちは知っています。この分野に関心を寄せる一人として、これらの人々をそのように行動させるものは何なのでしょうか?


それに関して、トルコにある多くの宗教団体はその名を歴史的なモスクからとってきている。イスケンデルパシャとかイスマイル・アーといった具合に。そして宗務庁イマームである人々が、そのモスクに集まる信徒や自身の弟子をシェイフに育ててきたことを我々は知っている。

「シェイフは飛ばない、弟子は飛ぶ(註:シェイフは飛ぶことはできないが、弟子は、シェイフは飛べると言う=信奉者はその対象を実際より偉大と考える」ということわざがある。タリーカ教団の弟子たちは、神の力がシェイクに宿っていると考える。そしてこれも常に耳から耳へ会話によって広まっていく。宗教団体において弟子のシェイフへの忠誠の強さはここからきている。もちろんここでも政治指導者の関与は大きい。大統領としての立場は国家のトップを示すものだが、ご覧のとおり、トルコの大統領はタリーカ教団シェイフを訪問する際に、その姿を現しているのだ。

このようにして抽象的な力を持っていたシェイフに実際的な力も加わった。シェイフにまとわせた神性と政治権力の鎧を弟子たちも見ている。こうした状況では、シェイフからの指示がたとえ殺人であったとしても、それは当人(弟子)からすれば『Katli Vacip(殺人の義務)』という教えであり、教義に則った命令となる。

-「宗教的偽善(宗教の利己的利用)」はタリーカ教団が最も力を発揮する分野です。 タリーカ教団がこれほど力を持つに至った他の要因は何だと思いますか?

先ほど右派・保守政権からの支援について話した。一方、タリーカ教団はトルコの近年の歴史における腐敗や疲弊の過程でより拡大してきたことがわかる。もしあなたが宗教的偽善(宗教の利己的利用)をするつもりなら、新しい人々に近づく必要がありますね?

タリーカ教団にとって最も危機的だったのは1980年9月12日の軍事クーデターだった。なんと彼ら自らそう言っています。あの時代、左派・社会主義の闘争に対し新たな社会工学というものが始まった。新たな社会構造のなかで宗教がより優勢的要素として前面に押し出されたのだ。しかし常に裏計画をもつタリーカ教団はそれに満足しなかった。この分野で長い間調査を行ってきたジャーナリストとしてはっきり言えるのは、タリーカ教団/宗教団体の裏計画には常にトルコ共和国転覆という目的がある。

そのため、学校を介して独自の「黄金世代」を育て、かつそこから国家組織に入り込んだ人々を利用し、いろいろな構想とともに自らの弟子たちに前途を開いた。

さて10年前に戻ろう。国のあらゆる機関はFETOの手に渡っていた。求職者さえFETOを頼り、家庭では子どもたちが大学に合格できるようにとFETOの運営する塾へ通わせていた。

まさに今「ひとつのFETOが消え、別の千のFETOが来た」と言われている。 国家を運営する権力としての省庁、司法、安全保障をタリーカ教団に明け渡し、市民にもタリーカ教団のほうを向けさせ、おまけにこの状況がこのまま続けば、トルコが新たな「7月15日」を経験することは避けられない。

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(翻訳者:原田星来)
(記事ID:51746)