カモンド階段物語
2021年11月04日付 Hurriyet紙

石も地面も歴史が薫るイスタンブルのあらゆる街角は、映画の脚本に着想を与えるドラマチックな物語であふれている。それらのうちの1つは写真愛好家たちには欠かすことのできない「愛」、またの名をカモンド階段という。

カラキョイでヴォイヴォダ通りとバンケル通りのぶつかるところにあるカモンド階段の物語は1870年に始まる。建設に13年の時がかかった階段の物語は非常に興味深い。

カモンド階段は、その名前を当時の有名な富豪一家であったカモンド家から取っている。一家の長老の1人であるアブラハム・サロモン・カモンドが階段を建設させる。その後、階段は人々によって恋人たちの階段としても称されている。

イスタンブル出身者たちの間で、名前を恋人たちの階段として呼ばれるアール・ヌーヴォー様式の階段の建設理由は、「孫への」愛である。

階段を建設させたアブラハム・カモンドの孫たちは1870年代にオーストリア高校で学んでいた。孫たちはバンケル通りの反対側にある家に行くためには長く、とても過酷な坂を登り続けていた。

これに気付いたアブラハム・カモンドは孫たちをこの坂から解放するために、この階段を建設させることを決めて、13年に及ぶ工事を始めさせる。

カモンド階段がねじれるように、2つの部分からデザインされている理由は、上から誰かが落ちてしまったときに、最低でもある地点で止まることができるようにするためである。建築家によると、孫たちの快適さを考えていたカモンドじいさんは、孫たちに起こりうる事故を防ごうとしていたという。

ポストカードの景観で人々の関心を引く階段は、もちろん孫たちだけでなく、当時主にガラタ地区に住んでいたレバント人たちによっても使われたそうだ。人々は店から家へ戻るとき、階段のおかげではるかに早く、そして快適に行きたい場所へたどり着くことができたそうだ。

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(翻訳者:伊永勇人)
(記事ID:51792)