アサド政権、ハタイ奪還を叫ぶ
2021年12月02日付 Hurriyet 紙


アサド体制指導の下のシリア人民議会は、ハタイがトルコに編入してから82年目にして「ハタイ奪還のために手を尽くす」という声明を出した。

長年、ハタイをシリアの国境線内に入れた地図を用いたり、幾度となくこの種の声明を出してトルコを挑発してきたアサド政権は、再びハタイ問題を持ち出してき た。ハタイがトルコに割譲されてから82年目を迎えたところで、シリア人民議会は公式ルートを通じて書面で声明を出し、ハタイはシリアの領土であると主張した。

■フランスも標的に

驚くべき声明の中では、「ハタイを奪還するために手を尽くす」、ハタイの街が「占領されたシリアの土地の一部である」と述べられた。またフランスの委任統治領時代、第二次世界大戦時にトルコと同盟を結ぶためにハタイは賄賂として与えられたと主張し、「ハタイをトルコの手に止めず、奪還するために可能なこと全てをやる」と明記された。トルコからこの問題に関してまだ声明や返答は出されていない。

■有名無実の議会

アサド体制の立法機関とされているシリア人民議会は250名の議員からなる。前回の選挙は2020年9月19日に行われた。進歩国民戦線は187議席を勝ち取り、多数派となった。187議席のうち167はアサドのバース党員からなる。何十万人も亡くなった内戦により国外に移住した有権者が何百万人もいる状況下にあって、れっきとした反対勢力も存在しない。

■82年前トルコに割譲

1921年10月20日付けで結ばれた[大国民議会とフランス間の]アンカラ条約でトルコの国境外となったハタイ(イスケンデルン県)は、シリアとともに自治領としてフランスの委任統治に入った。1935年にシリアとレバノンの委任統治権を放棄したフランスは、1936年11月9日にシリアと条約を結び、その結果ハタイの全権をシリアに移譲した。しかしトルコは移譲がアンカラ条約に反すると主張し、この決定に反対した。アタチュルクもハタイ問題を重要視しトルコが圧力を強めた結果、1937年1月27日に国際連盟によってハタイの独立が承認された。1939年6月29日に40名の議員からなるハタイ国民議会はトルコへの編入を決定した。1939年9月7日にハタイ県が制定され、1939年9月23日にフランス軍もこの地域から完全撤退し、国民誓約[に示された]国境線内に位置するハタイはトルコ領に編入された。

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( 翻訳者:山下鈴奈 )
( 記事ID:51939 )