中央アナトリアの砂嵐、1950年台へ逆戻りの恐怖
2021年12月02日付 Hurriyet紙


先日、コンヤ、アクサライ、ニーデで発生した砂嵐がいくつかの地域で生活網を麻痺させた。交通事故の原因ともなった嵐は道路を封鎖した。久しぶりに発生した砂嵐は、私たちに中央アナトリアが砂と戦った1950年代を思い出させた。以下、トルコの砂との試練、専門家らの予測である。

コンヤのカラプナル地方で、1950年代に影響が出始め、新聞の紙面のニュースともなった砂嵐は、当時の農業、運輸、教育に遅延をもたらし、病人を増やした。

1956年からカラプナル地方で発生した砂嵐は、1962年に時速110kmのスピードの風と合体し、砂嵐となり、その存在を今一度思い起こさせた。

カラプナル市と、農地が砂の塊の下敷きとなる危険性が生じると、当時の政府は総動員令を宣言し、地域での熱心な活動を始めた。

地方の移転も考えられたほどであったが、軍をはじめとして行った、防風フェンスの設置や植林活動をもって砂の動きは止められた。

1972年に終了した活動によって、16000ヘクタールの土地が救われた。植林活動では、イトスギ、松の木、レバノンスギ、しだれ柳、ヤナギバグミ、野生のアーモンドのような種類の木々が選ばれ、植えられた木々は水やりのおかげですぐに成長した。

植林活動は、その後も続いたが、近年、カラジャ山方面から砂がカラプナルへまっすぐ飛んできている様子が、再び目撃されるようになった。

先日、コンヤ、アクサライ、ニーデで発生した砂嵐は、カラプナルの例を思い起こさせた。

■ゲズギン博士は最新状況を解説

長年、当該地域での活動に携わっているセルチュク大学農学部のサイト・ゲズギン教授は、最新の状況をヒュリエット紙に解説した。

■私たちの土地の有機物の不足が嵐を招いている

最近発生した砂嵐は、南西からの強風が原因であると話したゲズギン教授は、以下のように話した。「非常に強い南西からの風の浸食が発生した。南西からの強風で、アフリカの砂漠と、私たちの土地から運ばれた砂が、ちりの嵐を形成した。この大きな原因のひとつが、私たちの土地の大部分で有機物が不足していることにある。つまり、私たちの土地の構造を成している粒が、強力な形で結合していないのだ。これに関連して、風とともに砂嵐が起こる可能性が段々と増加している。」

■アフリカからやってきた砂

砂嵐の一番初めの起源として、アフリカの砂漠からきた砂であることを話したゲズギン教授は、「砂漠における砂は互いに結合していない。そこから、ちりの状態となってここまでやってきているのだ。」と話した。

ゲズギン教授は、以下のことを明らかにした。

「私たちの土地での有機物の不足が原因となり、また、さらにこれに間違った無意識の土地利用が重なり、風とともに土が崩れていっている。これは起こるべきでないことであり、今私たちが経験していることは、完全に普通でない状態だ。残念なことに短期間で解決されうるような問題ではない。」

「トルコでは1960年代に、カラプナルで風による浸食が発生した。その時代に行われた活動でこの風の浸食は止められた。カラプナルへ行くと、エレーリ出口に砂の塊がある。これらは南の砂漠からきた砂である。一部分は私たちの土地から浸食されたものだ。今日でも、この浸食はまだ増加していた。」

■取られるべき予防策

「土の表面を、絶え間なく植物で覆うことが必要だ。私たちの構造を治療するようななんらかの活動をするべきである。まずは、土地に有機物を与えることが必要となる。

さらに、藁を焼くこともこのような状況をよく引き起こしている。カラプナルへ行くと、この時期にはトウモロコシの収穫がされているのを目にする。収穫が行われたあと、いくつかの畑で残ったものが焼かれているのを確認しているが、まさにこれらの行いは推奨されていない。」

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(翻訳者:大畠梨紗子)
(記事ID:51940)