ウミト・クワンチ氏から「フラント・ディンク」のドキュメンタリー
2022年01月14日付 Cumhuriyet紙


1月10日「働く新聞記者の日」の祝賀で、殺害された新聞記者が追悼された。メティン・ギョクテペ氏の追悼ののちに新聞記者のウミト・クワンチ氏が作成したフラント・ディンク氏のドキュメンタリー上映、そして追悼が行われる。


先週火曜日、1月10日の『働く新聞記者の日』を祝賀するためにイズミル新聞記者協会の招待を受けて私はイズミルへと向かった。

ディレク・ガッピ会長そしてメンバーは、バイラクル区の協力の下で、ある連続イベントを開催した。「働く新聞記者の日」は、ただ私たちの国に固有の日である。労働組合の仕事をする新聞記者たちの給料の引き上げのプロテストのために、雇い主たちは3日間にわたって新聞を発行しないことを決め、そしてそれを受けて私たちは発行しようじゃないか、という新聞記者たちが新聞を発行するのだ!現在のところ、例えばこのようなことはありえない。実際のところ、働く新聞記者たちよりもさらに多いのは働きたいと願ったとしても働くことのできない新聞記者や、仕事を辞めさせられた記者であるのだ。また勿論、実際に殺害された新聞記者たちの日を執りおこなう必要がある!一体誰がいないのだろうか、アブディ・イペクチ、ウール・ムムジュ、チェティン・エメチ氏、アフメト・タネル・クシュラル氏などである。メティン・ギョクテペ氏(訳注;1996年1月8日にイスタンブールで警察の拘留中に拷問死したクルド人のフォトジャーナリスト)の死を私たちは追悼したばかりであり、フラント・ディンクは、1月15日にアゴス紙の前で追悼される予定だ。

■『記憶は不十分』

新聞記者のウミト・クワンチ氏は、フラント・ディンク・ワクフの協力によって、「記憶は不十分」というタイトルをつけた一時間の長さのフラント・ディンクのドキュメンタリーを制作した。水曜日に試写会が開催されて、かなり好意的に受け止められている。好意的に受け取られないようなものではない。なぜならば素材が素晴らしいからだ。全体としては、フラント・ディンク氏が、様々な機会におこなったスピーチを使用しているのだ。ごくありふれたことを語っているようであるが、アイデンティティについて、ナショナリティについて、かなり深いところに入ることを語るフラントの言葉に、大部分を自身が撮影をおこなった日常風景から、しかしその意味合いは映像が彩りを加えている。また、関係者が思い出を語り彩りを添えている。フラントは大変に素晴らしい語り手である。新聞記者としての仕事のやり方は、「アゴス」を発行する際に学んだようであるが、その話しぶり、雄弁さというのは、
「私はいまだかつて罪を犯したことはない。誰一人として殺害をしたことはない。殴ったことはないし、盗んだこともない。しかしながら私を捉えて牢獄に入れたのである。トイレが壊れている牢獄にそのほかのアルメニア人たちとともに押し込めて、毎朝、独立行進曲を歌わせた。これは一体何の罪を犯したための、どのような罰なのであろうか?」と正当に問いただしている。「私はディアスポラではありません。トルコ市民である一人のアルメニア人なのです。」というのもまさに正当なことだが、最大の罪というのは、とにかく社会主義者のアルメニア人であるということ、そしてこの闘争をおこなっているということだ!ドキュメンタリー映画は大変成功を収めている。フラントのことはよく知らない、また(スピーチなど)を聞いたことがない人々にとっても非常に役立つものだ。ワクフの、そしてまたウミト・クワンチ氏のユーチューブチャンネルから視聴ができる予定だ。今日のトルコの状況では、これ以上を望むことは夢といえるだろう。

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(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:52239)