歴史を超え、跡形も無きものの内なる世界を探し求めて(2)
2021年12月05日付 Hamshahri 紙


——「この出来事に関する史料や書物はどのくらい入手されたのでしょうか。またヘジュリーさんがこの書物を入手される過程で、何か問題や障害はなかったのでしょうか?」

ヘジュリー氏:この分野における史料や書物は非常に少なく、私たちはここ数十年の間に生まれた物語を参照しております。なぜなら、現代のようにニュースや報道の自由がなかった時代に、この出来事が起こったからです。さらに当時、ジョルファー地域は旧ソ連軍の支配下にあり、この出来事の証人として証言を得られるような一般人の往来は禁止されていたのですからね。もちろん、アゼルバイジャン出身の旧ソ連軍将校のうち1人が、この3人のイラン人国境警備官による抵抗を受けたと報告したという話もあります。しかし、私は活字でこの記録を見てはいないのです。長らくの間、この殉教者のうち1人の名前が誤って彼の墓石に刻まれていました。ですから、アラスの跡形も無き物語に跡形をつけるため、私は小説の世界へ逃避せざるを得なかったのです。もちろん、この物語の細かな部分が歴史の目次のページにある表題とは矛盾しないよう、肝に銘じておりました。

——「この作品の主人公であり、およそ80年前に存命していたジョルファーの国境地帯に駐在するイラン人国境警備官3人のキャラクターを確立させるにあたり、ヘジュリーさんはどのような資料や手段を活用されたのでしょうか?」

ヘジュリー氏:自身のキャラクターに対してどのような特徴を考慮すべきか、書き手は歴史的な出来事の方向性によって決めます。「このキャラクターはこのような経緯を辿っていたのだな」と、読み手に信じていただけるようにです。実はこの3人の国境警備官は普通の兵士であり、そのうちの1人である故モスィーブ・マレク・モハンマディー氏は伍長であった、という史実の情報があったのです。ですから、この三人は貴族や名士の出ではなく、むしろ一般大衆の出であったと推測できます。例えば仮に、もしこの三人が高官だった場合、キャラクターを確立させるにあたって、私は別の枠組みに着目しなければならなかったでしょうね。しかしこの三人は何の変哲もない人であったにもかかわらず、望まれた抵抗をしたということは、このような英雄叙事詩を書くことができる性質や特徴が三人にはあったはずなのです。言い換えれば、普通の人々が皆、中央政府が衰弱していた状況下で、自身の敵から尊敬されるような方法で、自身の主体的な意志によって戦術的に大それたことを成し遂げられるわけではないのです。ですから私は長い間、この望まれた行動の根底にはどのような三人の性質があり得るのかを考えました。いずれにせよ、アーザルバーイジャーン地域は何世紀にもわたり、外敵や侵略者との対峙に関する英雄叙事詩的出来事を多く目撃してきた地域です。一方で、この地は文学や芸術と結びつきがあり、イランに英雄たちを送り出した地域でもあります。また立憲革命においても、ここは先駆けて新しい考えや風潮を取り入れた地域の1つでもあり、それはアーザルバーイジャーンの知識人層のみならず、市井の人々を見ても明らかです。サッタール・ハーン[訳注:イランのサルダール・キャンディー出身。イラン立憲革命の中核を担った人物]やバーゲル・ハーン[訳注:イランのタブリーズ出身。イラン立憲革命の中核を担った人物]は、立憲革命で主役となる人々に寄り添う形で、アーザルバーイジャーンの一般市民の中から立ち上がりました。ですから、アーザリー系のこの国境警備官三人にもこのような特徴を受け継ぎ、この歴史的な特徴があったからこそ、このような英雄叙事詩で語られてきたのだと推測することができるのです。

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( 翻訳者:OI )
( 記事ID:52311 )