越境文学:トルコ文学へのイラン文化の接触-イラン人トルコ語作家シャフザーデ氏の文学的冒険
2021年07月21日付 Cumhuriyet紙


「テュルク語に根付いた数多くのペルシャ語の単語が存在しています。私の小説作品においては、二つの言語の間にこれらの単語によって結び目を作っているのです。
トルコ人の、イラン人たちが知っている言葉とともに、私の詩行を、それぞれに結びつけているのです。;これはペルシャ語とトルコ語の結婚として定義をすることが出来ます・・・」


「私の言語の限度というのは、私の世界の限度を明らかにするのです。」と語っている。 言語論を哲学と混ぜ合わせつつ、私たちの種自身、そして世界を理解する旅へと光を当てる偉大な哲学者であるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは。その反響は、テヘラン-イスタンブル-バルセロナの三角形において息をしている。30年間に渡ってトルコに暮らしているイラン人社会学者そして作家であるシャフザーデ・ニレジェム・イグアル氏は、その後に学んだトルコ語で生み出した高い文学的価値をもつ作品によって現代の人間の無限のクリエィティビティを代表している。彼女自身の読者層は、作家生活そして各作品に関しての一般的な知識を有しているだろう、そのため私たちが行ったこの愉しい会話は、むしろイグアル氏の仕事に命をもたらしている文化的そして哲学的なコードにもまた問いかけがなされている。

―イランでお生まれになり、長い間トルコで生活をされましたね。そしてその後でそれほどには短くはない時に、バルセロナに暮らされましたね。これらの要素を明りの下にしたとき、移動そして移民であるという概念はあなたにとって一体何を表現しているのでしょうか?


人間の運命において移住が存在すれば、人生へは、移動の哲学とともにアプローチをします、もしくは移動することが、人生の真実となります。これもまた、継続的なある進む状況、向かう望み、ある場所でずっととどまり続けることのできない本能とともに現れでています。移住というのは、一時期ののちに、生活の種類の状況へとくることがありえます。人間は、この要素を、食事をすること、水を飲むことと同様に、気が付くことなしに内面化がなされながら、自らの血肉へとすることが出来るのです。この状況、この姿勢に対して移民ということが一体どれほどに正しいのか私には全く確信がもてません。:そのために。進行といいましょう。進むことに慣れ親しんだのであれば、常に進むことを望むでしょう。あなたの目的地となる特定の都市はありません。暫くのちに、向かうということが自身にとっての最も主要な目的の状況となるのです。

■「私たちは彼らからは欠けてしまっている位置にいるようだ」

今日にあなたが生活をされているスペインは、東と西の文明が沸騰している地点の一つです。そこはあなたにとってはどのようなことが、慣れ親しんだものとして感じられるでしょうか、そしてまたスペイン人の目から東洋はどのように見えるのでしょうか?

私たちが知識人ということのできるであろう、さらには平均的な教育を受けたもしくは知識を持っているスペイン人たちは、東洋には、正しいルートから学びながら、つまりは真実を知りながら更なるシンパシーとともにアプローチを行っているのです。しかしながら、日々の生活のありふれた場面において、私たちが出会う人々とは東洋について会話ができると期待するのは贅沢というものです。

例えば、非常にシンプルな問いかけをしてみると、東洋における文化的な生活にはそれほどまでには意識的にはなっていないということが見て取れるでしょう。例えば、スペイン人のある美術史家がいたとして、その人は古きイラン芸術であるミニアチュールについて、また一人の言語学者もしくはある文学部の卒業生だとしても、ナーズム・ヒクメト、もしくはフェルドウスィーのシャーナーメを知らないかもしれません。アルハンブラ宮殿の庭というのは、実際のところペルシャ風の庭園であるということ、またアンダルシアの水道システムはといえば、ペルシャ人の建築家のものであるということを;19世紀の後半に、登場したネオアラーベとして彼らが名付けたネオ・クラシックの建築様式の種類のテーマの基本はといえば、セルジュークとサーサーン朝の建築であるということを知っている必要性を感じることがないかもしれません。

スペインにおいては、国内文学においてもまた非常に内向的なアプローチを見てとれることができます。一般的にいえば、西ヨーロッパそしてベストセラーが支配しているアングロ-アメリカンの文学の生水の中で泳げれば、彼らにとっては十分なようなのです。そうであれば、ダンテの『新曲』を知る人々は、そのインスピレーション源となったシャーナーメもまた知らなければならないのです。もしも特別な関心分野でないのでしたら、スペイン人の誰かと、世界の東洋について長い会話をすることはできないでしょう。説明をする間には、驚きをもってあなたのことに耳を傾けてくるでしょう。これはまた、私たちの欠点なのでしょうか。もしくはこれら全てのことは知る必要などないのでしょうか。私にははっきりわかりません。しかしながら、私たちは彼らにおいては欠けてしまっている位置にあるようなのです。

私が出会った最も一般的な態度というのはこのようなものです:中東を、トルコ系、ペルシャ系、アラビア系が一つになっているものとみなして、この全てにおいてマグリブの文化と混ぜ合わせてそして、脳裏に残る古いプロトタイプの中へと落としこんでしまうのです。更に多くのことを知る事の必要性を感じることなく、学ぶことなく生活をしているのです。しかしながらこれもまた、スペインにだけ特殊なことではありませんが。

■「困難な諸条件は残る結果を生み出す」

―あなたのお仕事はどのように進んでいるのでしょうか?今日では次第に(規制が)取り除かれているとしても、隔離の時期においては生産性の困難さに直面しましたのでしょうか?

隔離の時期は暗黒で、更には私たちの精神状態をネガティブな状態へと引き摺りこみました。その後で慣れてしまいました。実際のところ、人間が、その生活で慣れることのないものなどないのでしょう。拒絶とパニックの段階はとにかく、すぐさまおいやってしまいましたし、メディアが私たちにもたらした、恐怖をあおる、朽ち果てた都市のイメージにも私たちはとっくに慣れてしまいました。初めはアーティストたちは、勿論のこともはやもはや食べていけないのではないだろうかと恐れていました。私もまた最初のころにはそのような人間の一人だったのですが、そのうち認めてしまいました。特に何もすることなくに、待つことを決めるというような慣れのフェーズが始まったのです。このプロセスの中で一つの小説、二つの劇作を、また更には物語を生み出す作業をスタートしました。

この規制の数々は、芸術活動に従事する人々にもまたその精神にも、とてつもない影響をもたらしました。通りや、海岸をあるくことが出来ないこと、旅行ができないこと、かつては悦びとともに行ってきたことをもう再びできなくなってしまうであろうと考えることは、彼らを恐れさせました。しかしながら、圧力は芸術を生み出すのです・・・

様々な規制が宣言されて、世界中で何段階もの制限が実行されました。通りに出る数々の規制がはじまりました。仕事場が閉じられて、作業の形またそのテンポが、完全に残る形で、変化をしたのです。これら全てのことが、芸術をどのように生み出したのかということが短期間のうちに理解がなされるようになれ始めました。同じことを申し上げるのが有効でしょう:勿論のこと、私たちの一人一人が黒死病において比類なき作品群を生み出したシェイクスピアという訳ではありません。しかしながら、蓄えられたこのネガティブなエネルギーを、ポジティブな結果へと転換することは勿論のこと、可能なはずです。少なくとも、私にとってはそのようになりました。困難な諸条件に直面することは、人間に闘争の力を与えるのですし、そして私はこの諸条件において現れ出た結果が、更にしっかり残る結果を生んでいるという風に考えている人間の一人です。

■「一種のルネッサンスが起こるでしょう」

世界的なパンデミックののちに時期において文化そして芸術活動をどのように御覧になっていますでしょうか?人類はこの地点から大きな跳躍によって新たなルネッサンスを生み出すことに成功は果たしてできるのでしょうか?

コロナウィルスのパンデミックは、今世紀の芸術の観点から重要な転換点となりました。なぜならば、今日の人間は更に前にこのような事態に遭遇はしなかったのです。今日において、生きている各世代は、以前に体験をしなかったようなことを体験したのですし
、ある種の再生、ある種のルネッサンスがもちろんのこと生まれることでしょう。2021、22、23年は芸術そして旅の年となることでしょう。

■あなたが行われましたイラン行きの文学ツアーの中から少し言及をしてもらえますでしょうか?

以前に、招待を受けてイランに向かった数多くの重要なトルコ人芸術家たちそして作家たちが存在しました:ヤシャル・ケマルそしてノーベル賞の受賞後に文化省によって招待されたオルハン・パムクがこれらのうちの二人です。私はといえば、文学ツアーの名でそれ以外のことをおこなっています。イラン出身の女性作家として、トルコ人作家たちをイランと邂逅させているのです。

この旅行には、明確なテーマは存在していません。イベント一つだけに集中をすることはありません。基本となる目的は共に旅行をする事です。旅行をする際には、ペルセポリスを、ゴレスタン宮殿を、フォルーグ・ファッロフザードの墓を、ファーフェズの、フェルドゥスィーの、ウマル・ハイヤームの墓を見ています。日々の生活を観察するのです。

正しく申し上げますと、非常に長い間に渡ってプロジェクトのもとで頭を悩ませていました。トルコ語の二つの小説が出版となりました。イランをありとあらゆる機会において、各種の関心へと物語る一人の作家、一人の語り手として、私自身が成功をしたとカウントをするために作家の友人たちが私と旅行をするようにと説得をすることが出来るようにもっと多くのことを行うことが必要だったのです。実際の成功というのもまた、旅から戻った後
において表に出る作品とともにやってきました。例えば、ネーディム・ギュルセル氏は、イランについて一冊の小説をそしてまた雑誌『マグマ』において、トップページに掲載された広範にわたるあるイラン旅行記においてもまた主要な文章を執筆したのです。アイシェ・クリンは、イランについてジュムヒュリエト誌のために長いある旅行記を執筆したといったことです。メディアにおいては、数多くのルポタージュにおいてわたしたちの旅行記が大きな喜びをもらったと言及していました。私たちの旅は続くことでしょう・・・

「隣人を知りましょう」というキーワードとともに出発をして、『イランを一人のイラン人と知りましょう。』というテーマとともに私たちが広げたこの文学の旅路のプロジェクトによって生み出したいと思っていた主要な目標は、トルコにおける芸術愛好者たちへ、歴史上ずっと最も近い隣人のうちの一人であったイランを伝える事、そして二つの隣人の間における関係性を更にも良好化させようとすることだと、思っています。

■イランについて『星の流れる果て』よりも沢山のこと

私が知っている限りでは、トルコ語は後になってから学ばれたのですよね。にも関わらずトルコ語を用い作家活動を行っていますね。しかも文学的な価値が高い作品の数々を生み出しています。この状況について説明していただけますでしょうか?

少し前に、あるイランの新聞に対しておこなったルポタージュで話しましたように、シャーナーメ、『千夜一夜物語』というようなイランの古典をペルシャ語で読んで、解釈をして、翻訳をすることが出来ます。しかしながら私の小説におけるキャラクターたちの感情をそれぞれの言葉に移すことが出来るようにするために、トルコ語を用いて生み出した文章に必要性を感じています。私はトルコで成長しました。イランを、イラン人たちをももっとよく知っていますし、そしてこれもまた私には非常に大きなアドバンテージをもたらしたのです。

これらのこととともに、トルコ諸語に根付いた数多くのペルシャ語の単語が存在しています。私が各小説において、常に二つの言語間の結びつきを各表現へともたらしています。トルコ人たちが、イラン人たちが知っている単語と、各表現をそれぞれに結び付けています;これをペルシャ語そしてトルコ語の結婚であると定義することもできます。これは、私に対して、説明できないような喜びをもたらしますし、このことと共に読者もまた関心そして賞賛をもたらしています。イランの、『星の流れる果て』(訳注:1991年制作のアメリカ映画。イラン人の医師と結婚し、医らに一時帰国し現地で習慣の違いなどから壮絶な体験をしたベティ・マムーディ氏のノンフィクションの映画化)よりも沢山のことを、西側ソースの暗いニュースよりも、もっと沢山のことがあると知られなければならないのです。

■少しばかりあなたの最新小説の、『イスファファーンの涙(İsfahan'ın Gözyaşları)』について語ってみましょう。そこで、読者たちに対して伝えたいと思っていた隠されたメッセージとは一体なんでしょうか?

『イスファファーンの涙』は恋愛小説であり、しかしながら一般的な表現を用いればバラ色の恋愛小説ではありません。何百年もの時を隔てた、若いカップルの叶わない愛を取り上げているのです。

その間に何百年もの時があるのです。一見するとそれぞれが非常に似通っていて、また同時に全く似通っていない二組の若いカップルの愛を取り上げているのです。社会が個人の振る舞いをどのように形づくるのかということを、目の前に提示しているのです。『イスファファーンの涙』を、この方向ではプロテストの小説として定義することもまた可能でしょう。

小説は、『愛を障壁をどのように崩すことができるのか』そして「社会的な規範は幸福にどのように障害をもたらしえるか」という問いかけを大きな声と共に尋ねるという方向で、ある内的な声を私たちに注入します。

また一方では、中心に据えている二つの並行する恋愛のモノグラフとともにイスファハーンからスタートをして、忘れることのできないイランの旅へと私たちを出発させます。

さらに以前にも、イランを訪ねたことのある人々にとってはかなり、懐かしい記憶を味わわせるものである中、その地を全く訪れたことのない人々にとっても、想像をすることを可能にする幅広いプロジェクションをもたらしている。

『イスファファーンの涙』は、イランの古典・現代文学からの引用に加えて偉大な名人であるナーズム・ヒクメトが彩を添えている悲しい別れを映しだしている。ほら、卓越した芸術家のナーズムもこう言っている。

「ある別れの物語」

『女性が黙りこんだ、

抱きしめあった・・・

一冊の本が落ちたある場所に,

窓が閉じられた,

そして別れていった・・・』

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


(翻訳者:堀谷加佳留)
(記事ID:52419)