プーチンのオスマン朝発言、歴史家に問う
2022年02月23日付 Hurriyet 紙


ロシアのプーチン大統領は、昨晩全世界に向けてのウクライナ談話にてオスマン朝についても言及した。ロシアの帝政、ソビエト時代の政治について語ったプーチン大統領は「過去には18世紀、黒海沿岸地方をトルコやオスマン帝国との戦場として使用した。」と話した。プーチン大統領のこの発言を歴史家たちに問うた。

■自身を皇帝にたとえているのかもしれない  

イルベル・オルタイル教授:「政治家たちはたいてい歴史を知らない。プーチンも、歴史を悪く切り取っている。あの場所は、オスマン帝国の黒海(カラデニズ)州であった。征服王メフメト2世が、あの場所をトルコの内海とするために大変尽力し、成功したのだ。今、ロシア人たちは勝手に黒海をロシアの内海としたがっている。ロシアには今まで一度も、良い海への連絡口、出口がなかった。それはずっと彼らの夢であったのだ。ピョートル大帝の時代から黒海への南下政策を始め、18世紀にはそこでたくさんの戦争があった。黒海はどの時代にもロシアの内海とはならなかったのだ。分け合うことを知るべきだ。政治家たちの演説は滑稽だ。プーチンのように頭が良く、知識のあると疑わない者でさえ、こういったことをやりかねない。自身を皇帝にたとえているのかもしれない。ピョートル大帝のようになることを考えているのかもしれない。だが、世界は同じ世界でないし、時代も同じ時代ではない。これを忘れてはならない。」 

■その時代、ロシア人らはいなかった

フェリドゥン・エメジェン教授:「今日の問題は、今日に従って解決する必要がある。歴史はいつも根拠として使われるが、歴史にもそれぞれの状況がある。黒海は16世紀以降オスマン帝国の内海であった。その時代、ロシア人たちはそこにはいなかった。18世紀以降に活動していたのだ。オスマン人たちは黒海を守る立場にあった。つまり役割が異なっていたのだ。オスマン人たちは黒海を守るために、そこにいたコサック軍団の攻撃を避けるように努めた。コサックはウクライナ人の先祖にあたる。オスマン人たちは、ロシア人と戦うより先にウクライナ人(コサック)と戦争状態にあった。政治家たちはメッセージを発する際に歴史上の出来事をしっかりと勉強するべきである。」

■ウクライナ人の先祖との戦い

ケズバン・アジャル教授:「黒海の大部分は1480年代以降、オスマン帝国の支配下となった。オスマン人たちはこの時代の前も後も、現在のウクライナ人の先祖であるといわれており、”コサック”として知られる人々と戦った。とても勇敢で力強い軍人らであった。1670年代までロシアの支配下には入らなかった。時には、オスマン帝国とロシアの戦いでオスマン帝国側につくこともあった。オスマン人たちは黒海の南部分の支配者となるため、まずにコサックと戦った。その後1680年代以降、オスマン人たちは、ロシア人たちと衝突しはじめた。そのため、ウクライナ人の先祖たちは沿岸地方を守るために、オスマン帝国と戦った。時には、ロシア人たちとともに再びオスマン人たちと敵対して戦った。1670年以降、ウクライナは完全にロシアの支配下に置かれた。そのとき、ロシア人はいつもオスマン帝国と戦った。このことを考えると、プーチンが言っていることも正しい」。

ロシアのプーチン大統領は、ウクライナとNATOを非難する際、以下のように表現した。

「過去には、18世紀に黒海沿岸地方をトルコやオスマン帝国との戦場として使用した。今、あの者たちは、この名前をなくしたいのだ。有名な司令官たちの働きをなかったことにし、黒海への通路を破壊したいのだ。」

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:大畠梨紗子 )
( 記事ID:52665 )