イラン映画:アスガー・ファルファディ、新作『英雄の証明』にスキャンダル!―盗作の告発と私たちの救いがたさ
2022年04月09日付 Milliyet 紙


二つのオスカーを受賞しているイラン出身の映画監督アスガー・ファルファディ氏について投げかけられた、「盗作」の主張は、文化・芸術世界にまるで爆弾のような衝撃を与えた。ファルファディ氏を告発した人物は、かつての学生であるアザデ・マシフザデフだ・・・
もしくは、ファルファディ氏の伝説は終わってしまうのだろうか?


文化・芸術世界において2022年で現在に至るまで最大の「ショック!ショック!ショック!」の進展は私たちの隣人であるイランからやってきた・・・『別離』そして『セールスマン』の映画によって完全に初めて『最優秀国際長編映画賞』(かつての名前は「最優秀外国語映画賞」)部門でオスカーの賞を受賞した、映画フェスティバルのフェイバリット・ネームの一人であるイラン人監督アスガー・ファルファディについての自殺の主張がニュースに爆弾のように落とされた。最後には、カンヌ映画祭において『グランド・プリクス』を受賞した『ア・ヒーロー』(トルコ語タイトルは『カフラマン(訳注:トルコ語で英雄の意)』を監督したファルファディ氏は、この映画のシナリオがかつての教え子であるアザデフ・マスフザーデ氏の『オール・ウィナー・オール・ルーザーズ』というタイトルのドキュメンタリーから盗用したのではないかと告発している。監督のかつての学生は、ファルファディ氏について、「盗作」をしたという主張をおこないながら非難をおこなった。ファルファディ氏は盗作の告訴のために証言をするためにイランで裁判所に召喚された。

■かつての映画にも疑問符が・・・・

ファルファディ氏が、シナリオを執筆してまた監督を務めた映画『英雄』は、今年最も愛された作品の一つとなった。さらにはそのように多くの人にとってはオスカーの「国際映画賞」においてロングリストに残ったにも関わらず、最初の5作品は自身が位置することがなかったにも関わらず、映画は「ファルファディ氏のクラシック」であった。全てのファルファディ氏の映画作品のように、個人的そして社会的なレファレンスに、そして衝突に位置を与えた映画は、少なくとも『別離』において見受けられるほど、完全にファルファディ氏の映画作品であった。
監督が、その映画と相反する場所にとどまることがなく、そしてまさに「ファルファディ氏」の映画であるということもまた、監督が『別離』に対して、『エリーについて』へ、『セールスマン』に至るまでの疑問符を作ることになる。果たして、それらの映画作品においても、似たような盗作は起こったのにも関わらず、覆いがかぶせられてしまったのだろうか?」と、人は疑問を持たずにはいられない・・・

■『英雄』にも困難な状況がもたらされた

ファルファディ氏は二つのオスカーを獲得した重要な映画監督だ。そして彼のような存命の最も重要な映画監督の一人が深刻な罪状と直面すること-それが不当なものであろうとなかろうと―本当にうんざりするような状況である。文学世界における「ゴーストライター」を知らないわけではない。しかしながら、この問題が、映画であることでそこには、かなり大きなチームによる仕事が存在しているのだ。例えば、アミール・ジャディディ氏だ。映画『英雄』の「ヒーロー」である主役を演じているアミール・ジャディディ氏は、本当に素晴らしいパフォーマンスを行っていた。しかしながら、ファルファディ氏が盗作をおこなったと証明された場合に、このような映画作品において非常に素晴らしいパフォーマンスを提示することもまた、自動的にゴミになってしまうだろう。その労力に対して、残念なことではないだろうか?ファルファディ氏がのエゴが爆発したことに対して、そしてまたその成功を持続させること、3-4年間で一本の映画を作りあげて、お金と様々な賞を手にするとためにエゴに飲み込まれてしまったとは私は信じたくない。なぜならば、彼は私にとっては、
ミヒャエル・ハネケ、そしてヌリ・ビルゲ・ジェイラン氏とともに存命の最も重要な映画監督のうちの一人であるからだ。しかしながら、様々な真実は遅かれ早かれ明らかになる、ということも忘れないようにしようではないか。もしファルファディ氏が、実際に不当であれば、この高名な各種の賞を返還させられるにまで至る可能性があり得る。そしてそれが、もしも不当でないのであれば、とにかくその時には私たちは空虚な中に、その幻滅にたどりつくことになるであろう。しかしながらファルファディ氏は―自然法則の帰結として―かならずこれらの主張とともに、話題に上り続けることになるであろう。しかしながら、現在のところ確かであるのは、以下のこととである。ファルファディ氏のような賢い映画監督、そしてシナリオリストがこのような事件によってその名を思い起こされるのであっても、
その結果がなんであったとしても、現在の構図というのは映画ファンにとっては十分すぎるほどに問題含みである。ロシア―ウクライナ間の戦争ののちに、かなり後退をしてしまった東西関係がもう一つ相対化されるのを、私たちは映画業界においても見ることになるのだろうか・・・

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:53310 )