テヘラン大学の考古学者がサーサーン朝期の拝火教神殿を発見
2022年07月01日付 Hamshahri 紙


テヘラン大学の考古学者らのグループはサーサーン朝の重要な宗教建築を飾っていた、幾何学模様・植物・人のモチーフで装飾された漆喰の遺物を発見した。

【ハムシャフリー電子版】テヘラン大学の当局によると、同大学の考古学者であり、考古学部・バーゼフール史跡考古学研究委員会長であるメイサム・ラバーフ・ハーニーキー准教授は、これらの発表に際して以下のように述べた。「マシュハド市ラバートセフィード村のバーゼフール史跡での第五期考古学調査において、サーサーン朝期の遺跡の発見に至った。」

同氏は、「今期の考古学調査は、文化遺産研究所の認可と支援のもと、ドフタル砦の建築物群の使用法の解明、遺跡の年代特定、建築物の保存を目的とし、イスラーム化以前のホラーサーンにおける重要な遺物収集作業を行った。」と述べ、「ドフタル砦での調査の中で最も重要な発見は、サーサーン朝期の幾何学模様・植物・人のモチーフで装飾された漆喰の遺物であり、イランのサーサーン朝のイラン美術史に新たな章を開いた。」と加えた。

また同氏は以下のようにも述べている。「今期の発掘調査の結果、掘り出された建築群は、サーサーン朝時代の主要な拝火神殿であり、4棟の煉瓦造りのドームと柱のあるホールから構成されていて、これらはアルサケス朝からイスラームの初期まで使用されたものであることが明らかになった。」

ラバーフ・ハーニキー氏は、このホールの柱が漆喰で精巧に装飾されており、ヤシの木の図柄が各柱の上に施されていることに触れた上で次のように述べている。「ドフタル砦の拝火教神殿の様々な空間の壁面は多くのモチーフの石膏で装飾されており、脇の部屋は壁画で装飾されている。」

考古学研究会会長である同氏は、加えて「遺物内でこの集団の印章が多く発見されたことは、この宗教的集団が組織化された体制で活動していたことを物語っている。また高品質な素材と装飾が使用されているのは、サーサーン朝の中央政権の下この施設が重要であったことを表している。このようにこの集落でサーサーン朝期のパフラヴィー語碑文が発見され、専門家がこれらを読むことにより、サーサーン朝期におけるホラーサーンの歴史の重要な真実が明らかになるだろう」と述べた。

同氏は、歴史地理学の分野で行われた研究によれば、バーゼフールは古代都市ボストに位置しており、この地域はサーサーン朝期に「ポシュト」と呼ばれていた地域と一致しているとしたうえで、以下のように伝えた。「古都市ポシュトは、宗教的な文書においては『ポシュテ・ゴスターシュパーン』という名で知られており、またサーサーン朝期の3つの重要な拝火殿のうち1つがあるアーザルバルジーン・メフルという名でも知られている。」

考古学者である同氏は、「崩れた十字架、孔雀の尾、雄羊の群れといったミスラ神【訳注:または「ミトラ神」、ゾロアスター教の太陽・契約・牧畜の神】の象徴図と、さらにバーゼフールのドフタル砦の拝火神殿におけるサーサーン朝中央政府の直接管理を示す証拠は、この拝火神殿がアーザズルジーン・メフルと同一である可能性を強めている。」と述べた。

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( 翻訳者:SA )
( 記事ID:53831 )