被災地で何が起こっている
2023年02月09日付 Cumhuriyet 紙

現在までアンタキヤについて何を聞き何を見たとしても、忘れてください。街はそれ以上の災禍に見舞われている。誰もがこれからどうやって生きていけば良いのか考えられない状況です。

何から書き始めて良いのかわからない。

地震被災地域であるカフラマンマラシュ、アダナ、アンタキヤ、イスケンデルンを巡った。1999年の8月17日に発生した地震がいかなる大災害であれ、今の状況はそれ以上であると言える。

最初の地震のショックに次いで、大統領府通信庁の協力によりアダナに向かった。ガズィアンテプ自動車専用道路を使ってカフラマンマラシュに辿り着こうと努めた。しかし高架橋が崩れ落ちていたため、自動車専用道路はオスマニイェから先は通行止めになっていた。一般道経由でヌルダウ(ヌル山)を車で登った。雪混じりの雨が降り凍てつく寒さだったと言わねばならない。

何時間もかかってカフラマンマラシュ(注)に辿り着くと、カオス状態に出くわした。瓦礫の中の人たち、何とか抜け出した人たちも放心状態であった。

■理由をお考えください

漆黒の闇、瓦礫の下から助けを求める叫び声、周りには水も助けに来る人もいない。日中もそこで過ごしたのち、他の地域で起こっていることを見るために再びヌルダウを登りアダナに向かうため出発した。道は破損していた。8時間にわたって閉鎖された道路上で、降雪の中待たざるを得なかった。電話が電波をとらえず、インターネットも接続できない環境、その状況をご想像ください。交通渋滞を越えアダナへ、その後イスケンデルンに移動した。イスケンデルンでは海水が浸水し、道路は高さ10-15センチの水に覆われていた。イスケンデルン港での火災が続く中、人々の表情の中に悲観的なものがうかがえた。理由を、心持ちを考えてみてください。

■寄る辺ない遺体の数々

そこここにある寄る辺ない遺体の横を通り過ぎる際、瓦礫の中から聞こえる「助けて」という叫び声の中を進まざるを得なかった。何もできることがないからだ。専門の作業班がいない、電気がない、何の道具もない。ものすごい重量のコンクリートを取り除くことができないのと同時に、瓦礫の下にいる人たちを危険に晒すこともある。

■古い街

家族、あらゆるものを失うと、人は一杯のスープを恋しくなるもの。破壊は甚大。つまり、私はそう考えていた。アンタキヤ(注2)に入るまでは。現在までアンタキヤについて何を聞き何を見たとしても、街はそれ以上の災禍に見舞われている。建物は全て地震の打撃を受けている。70パーセントは大きな被害を受けて使用不能に。アンタキヤは歴史の古い街である。何千年もの時の流れの中で地震が原因で街がなくなり再建されてきた。アンタキヤにとって再生を要する破壊を目にした。驚愕の感情はまだ消えていない。

■アンタキヤは終わった

災害の規模を認識できないような時を過ごしている。残念ながら死者の数は現在まで公表されている数の数倍となろう。アンタキヤでも、重要な最初の24時間のうちに数万もの建物に何ら対処できなかった。24時間後にポツポツと救援隊が活動を始めた。48時間後は、もはや奇跡にすがるしかない。

マグニチュード9の地震で、より安心と建物の中に逃げる日本の人たちを見たのち、地震の大きさを私に口にしないでほしい。

他の場所も似たような状況であるが、アンタキヤは終わったような状況であり、人々の助けを必要としている。

後ほど、この事態の責任を問おうではないか。

■胸が締め付けられる

誰が誰の配偶者で、子供で、孫であるのか、わからない。身内から離れた子供たちが病院でそんな風に待っている。人々は時に水や食事を与えている。一人ぼっちが何であるかさえわかっているとは思えない。彼らが今後どうやって生きていくかを思うと、胸が締め付けられる。

(注)のびるアイス、いわゆるトルコアイスは(カフラマン・)マラシュ産が有名である。トルコではマド(MADO)というカフェ兼食事もできるチェーン店がある。それはマラシュ・アイスの略号である。
(注2)アンタキヤにはハルビイェ、別名デフネという場所がある。デフネはトルコ語で「月桂樹」を意味する。またその語はギリシャ神話に出てくるダフネという女性の名に由来しているともいう。アンタキヤはシリア北部の都市のアレッポ同様に「オリーブ石鹸」で有名である。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:54982 )