亡くなった娘の手をにぎる父、初めて語る
2023年02月10日付 Milliyet 紙


地震で亡くなった15歳の娘であるウルマックさんの手を瓦礫のそばで離すことができなかったメスト・ハンチェルさんは、「私は急いでここに向かいました。神に、『どうか家が大丈夫でありますように』と祈っていました。娘のプリンセスを素手で(瓦礫から)出してやりたかったのですが、しまいにはこの子を瓦礫の下に置き去りにしなくてはならなくなりました」と語った。世界を揺るがした1コマを撮影したAFPの報道写真家、アルタン氏は、シャッターを押す時、「『何とつらい』と自分に言い、涙をこらえることができなかった」とその体験を語った。


カフラマンマラシュ県で、瓦礫の下で亡くなった娘の手を離すことができない父親、メスト・ハンチェルさんの写真は、世界中を泣かせた。ソーシャルメディア上で何十万回もシェアされ、何百万回も閲覧された写真を撮影した国際通信社、AFPは、「トルコ人の父親の痛みは、地震の悲劇の象徴となった」という見出しのニュースを報じた。

「トルコにおける地震の言葉にできない痛みを象徴する瞬間だった。父親が15歳の娘の手を握っている。コンクリートブロックの下で押し潰され、唯一見えるのはその手だけだった」という文で始まるニュースでは、父親であるメスト・ハンチェルさんがかつて家であった瓦礫の前で凍てつくような寒さの中、座り、世間の目を忘れ、悲しみに打ちひしがれていた。

父は、15歳の娘、ウルマックさんが死亡したにもかからわらず、手を離すのを拒否していた。写真を撮影したAFPのベテラン報道写真家、アデム・アルタンさんは、地震が発生した直後に駆けつけたカフラマンマラシュ県で静かに悲しみにくれているハンチェルさんを見て、目を離すことができなかったと語っている。

彼は60メートル離れたところからハンチェルさんにカメラを向けた。どういう反応になるかわからなかった。しかし、ハンチェルさんはアルタンさんを追い払うのではなく、彼を近くに呼び、「我が子の写真を撮ってくれ」と震える声で言った。

■ 写真を撮るとき、涙が止まらなかった。

アルタンさんは、「写真を撮りながら、とても悲しくなりました。『なんて辛いんだ』と、何度も自分に繰り返し、涙が止まりませんでした」と話した。

AFPは、ハンチェルさんの悲しみを世界と国中の人に知ってもらうことを望み、それが実現したと書いた。世界中に衝撃をもたらした写真は、ウォールストリートジャーナルからファイナンシャルタイムズに至るまでの主要メディアの第一面を飾った。

アルタンさんが父とその娘の名前を聞いた際には、ハンチェルさんはほとんど話せなかった。アルタンさんは、「(ハンチェルさんは)口から言葉を発しづらそうにしていたので、あまり話せませんでした」とそのときの体験を語った。

■「『No. 380』という番号の下でほとんど読むことが出来ないが、ウルマックと書かれている」

ドイツのビルド新聞は、娘を埋葬し、悲嘆しているメスト・ハンチェルさんに短いインタビューを行った。カプチャム墓地でハンチェルさんを見かけ、写真のオレンジ色の上着を着たままだったと記事を書いたビルド新聞の記者、ハムディ・ギョムブルトさんは以下のように記事を続けた。

「1枚の板がハンチェルさんの娘の墓の場所を示している。娘のお名前は、『380』という番号の下でほとんど読むことが出来ないが、ウルマックと書かれている」

ハンチェルさんは、地震が発生した際に体験したことを次のように話した。

「あたりが揺れたとき、パン屋で働いていました。妻に電話をかけ、(妻は)私に自身と2人の娘、息子は無事であると言いました。しかし、一番下の娘はその晩、家にいませんでした。いとこがカフラマンマラシュに来ていたので、ウルマックは、いとこたちと一緒に祖母の家に泊まりたがりました。そして、ソファで寝ていたのでした。」

ハンチェルさんは「祖母に電話をかけたが、誰も出ませんでした。私は急ぎました。神に『どうか家が大丈夫でありますように』と祈っていました。娘のプリンセスを素手で(瓦礫から)出してやりたかったのですが、しまいには、この子を瓦礫の下に置き去りにしなくてはならなくなりました」と語った。

ビルド新聞は、ハンチェルさんととともに墓地から家の瓦礫の近くまで戻り、10階建てのビルの後には、瓦礫の山と亡くなった犠牲者だけが残っていると書いた。

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( 翻訳者:関颯太 )
( 記事ID:54992 )