キプロス大統領、5千人の地震被害者を受け入れている
2023年03月01日付 Hurriyet 紙


北キプロス・トルコ共和国のエルシン・タタール大統領は、地震災害に見舞われたガズィアンテプ県に哀悼訪問を行った。タタール大統領は、地震の傷を癒すために立ち上がり、5千人の地震被害者を現在キプロスに受け入れていると述べた。また、アドゥヤマン県のホテルでがれきの下敷きになり命を落とした、35人(内24人が学生のバレーボール選手)の北キプロス国民の死に関する問題について注目していると述べた。

北キプロス・トルコ共和国のエルシン・タタール大統領は、午後に哀悼訪問のためにガズィアンテプ県を訪れた。県防災対策センターを訪れたタタール大統領は、ここでガズィアンテプ知事ダヴト・ギュル氏、ファトマ・シャヒン広域市市長、及び関係者に哀悼の意を示した。同大統領は地震災害に対する復旧活動に関して説明を受け、記者に対して行った発言の中で、キプロス出身のトルコ人として2月6日以来地震の痛みを祖国のトルコと共に経験していると述べた。また、世紀の大災害で何万人もの人々が命を落とし犠牲となり、この状況によって深く悲しんでいると強調した。また、「この痛みはこのような痛みなのであるから、今後いつ何時も忘れられることはないであろう。2月6日以前と2月6日以降があり、もはや何一つ以前のようにはならない。我々は北キプロス・トルコ共和国としてこの痛みを共に経験した。ここではバレーボールチームに所属する24人の子供たちと、家族、教師を含むと計35人の我々の仲間がアドゥヤマンのホテルでがれきの下敷きになり、犠牲となったからである。他の地域でも一部の我々の国民が亡くなっている」と述べた。

タタール大統領は地震災害の後、北キプロス・トルコ共和国に住むハタイ、カフラマンマラシュ、オスマニエ出身の人々が親族をキプロスに受け入れていると述べ、以下のように続けた。

「キプロスに住むトルコ国民の親族も今回の地震で亡くなった。地震発生地域で起こった災害の後、災害緊急時対策庁及びその他の機構の一刻も早い復旧のための素晴らしい尽力を心から讃える。特に倒壊した地域では超人的な尽力を見たためである。トルコ国民と祖国がこの災害から一刻も早く立ち直り、傷を癒し、希望と自信をもって未来を見据え、がれきから力強く抜け出すことが我々の願いである。我々キプロスから見ると、アナトリアとトロス山脈が見える。今も我々の祈りはあなたたちと共にある。私が得た情報によると、現在北キプロス・トルコ共和国では5千人近くの地震被害者を受け入れている。彼らは現在キプロスにおいて我々の客人である。これは必然だった。我々はキプロスの民として心を寄せ続けている。」

■キプロスには大きい地震のリスクはない

タタール大統領は、キプロスで地震災害が起こりうるという主張は事実ではなく、彼らが行った調査と評価によってこのようなリスクはないと強調した。また、「キプロスでは1953年にマグニチュード6.5の地震が発生した。その150年前はガズィマゴサ(ファマグスタ)近辺の沖合で地震が発生した。大規模な地震は起こるとは思っていない。地震のリスクは、北キプロスではなく南キプロスでより高い。キプロスでは建築、監査、土地の選定を行なっているので、大きなリスクがあるとは思わない」と述べた。

タタール大統領は、アドゥヤマンのホテルでがれきの下敷きになった35人のバレーボールチームの死がキプロスでの大きな悲しみに導いたと述べた。また、「北キプロスにも子供を失った家族がいる。アドゥヤマンのホテルで下敷きになった24人の子供、その教師・保護者の死は我々にとって悲劇であった。祖国では何万人もの人々が亡くなっている。悲しみはどの場所にいようとも悲しみであって、皆一緒に経験している。バレーボールトーナメントのため訪れたアドゥヤマンで我が国民が命を落とし、そのことはある意味でキプロスに爆弾のような形で影響を及ぼした。あのホテルに関して噂と脆いという声があり、我々はこれに注目している。私はこの問題について法務相に会い、同大臣もこの問題に注目し、公正性、法律上のことを確実に遂行するとの約束を受けた。この問題は我々にとって重要であり、我々はこの問題の動向を追うと表明する」と述べた。

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( 翻訳者:田原紗樹 )
( 記事ID:55134 )