トルコはベネズエラになるのか?
2025年04月27日付 Medyescope 紙
ルシェン・チャクルのコラム:
3月19日のイスタンブル市長逮捕直後には、トルコはロシアのようになるのかという熱い議論が起きたが、この話題は徐々に遠ざかっていった。昨日、エヴレン・バルタ教授の長い投稿を見て、私はむしろ(ロシアより)ベネズエラのほうが比較対象としてふさわしいのではないかと感じ、こうして筆をとっている。
エルドアン大統領の親友であるベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、自身が副指導者として支えていた左翼ポピュリスト指導者ウゴ・チャベスの死後、その後を継ぎ、以来、権威主義体制によってベネズエラを統治している。
ベネズエラでもトルコ同様「選挙権威主義」が掲げられており、国政選挙の前後には必ず議論が起き、それが時に衝突さえ生じさせる。
■投票箱から出てきた票は実際には誰を選んだのか?
最近では、2024年7月の選挙前に野党候補のマリア・コリーナ・マチャド氏が政治から追放された(エクレム・イマモール イスタンブル市長の状況もこれに似ているかもしれない)。エドムンド・ゴンサレス氏が新たな野党候補として出馬した。
その余波をバルタ教授は次のようにまとめている:
「野党は即時集計で67%の得票と主張した。しかし政権の公式結果はマドゥロ支持51%と発表し、最高裁判所もこの結果を承認した。米国を含む一部の国々は野党勝利を宣言した。あわせて欧州議会もこの選挙の正当性を厳しく批判した。しかしそれでも結果は変わらなかった。」(同様の事態はトルコでも十分に起こりうる。それほどまでに「エルドアンは何をやろうと勝つ」という考えが、支持者と同レベル、いやそれ以上に野党内でも支配的なのである。)
■4つの致命的な過ち
バルタ教授によれば、米国ハーバード大学で開かれた会合でベネズエラ野党の重要人物の一人が、選挙結果を変えられなかった理由を次の4項目に要約したという。
1) 投票箱の死守に失敗したこと。即時集計システムが部分的かつ不完全だった。結果の集計、検証、文書化プロセスが十分に迅速かつ包括的でなかった。最終的には政府が実際の開票作業を行い、結果をチェックした。
2) 国際的なアクターを信用しすぎたこと。外圧が結果を変えてくれると考えていたが、政権は国際的非難を浴びるリスクをとった。
3) 政権内の分裂を信用しすぎたこと。政権は内部分裂しており、選挙過程でその分裂が加速すると考えていたが、野党の思惑に反して与党ブロックは融解しなかった。
4) 野党が大衆動員とその結果を恐れたこと。
■西側諸国への信頼低下
これらの項目をトルコに当てはめて順番に論じるならば、まずトルコ野党は投票箱を守るうえで豊富な経験があることを強調すべきだろう。選挙中、政党レベルのみならず市民社会団体レベルでもトルコ国民が結集して投票箱を守ったのを我々は目の当たりにした。もちろんそれを全国レベルで実現することはできないかもしれないが、選挙の行方を大きく左右した大都市で損失が少なかったのは明らかだ。
次に、トルコ野党は、国際的なアクターを「あまり」信用しなくなって久しい。この不信感は3月19日以降、さらに深まった。野党が(国際的なアクターを)「まったく」信頼していないとは言わないが、特にドナルド・トランプが再び米大統領に就任したからには、野党は自分たちのことは自分たちで守らなければいけないと自覚している。
■トルコはベネズエラになるのか?
トルコでは野党が政権内部の分裂に過度に依存することは考えられない。いかにエクレム・イマモール市長が獄中から(民族主義者行動党の)デヴレット・バフチェリ党首を対話相手として認める発言をしたり、謎に包まれた呼びかけを行ったりしようと、共和人民党(CHP)のオズギュル・エオル委員長はこのやりとりに首を突っ込むことを好まない。
そして最後の項目である。特にCHPをはじめとする野党は、ベネズエラで起きたような街頭での衝突を恐れていたが、3月19日(のイマモール逮捕事件)がその懸念に終止符を打った。サラチハーネを皮切りに、マルテペ、ヨズガト、メルスィン等各地でおこなわれた集会には、CHP支持者のみならず、若者をはじめとしたあらゆる政治傾向をもつ人々、エルドアン政権に不快感を抱いていた層が参加した。
そしてこれは、おそらく人生最大の政治的ミスを犯したエルドアン大統領によって引き起こされた。もう取返しはつかない。
したがって本記事の見出しの問いに対する答えは明確だ。つまりトルコはベネズエラにならない。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:60020 )