テロのないトルコへ、静かな一歩-50年を経て、PKK解散へ
2025年05月10日付 Milliyet 紙


「テロのないトルコ」プロセスの最も重要な曲がり角の一つが取り残された。テロ組織PKKは解散と武装放棄のために開かれると予想されていた大会を、5月5日から7日に実施したと伝えた。大会での決定事項は後ほど発表されると述べられた。

テロ組織PKKが初の武装攻撃を1984年に実行してから41年を経て、トルコをテロの悪夢から救うプロセスにおいて重要な一歩が進んだ。イムラル島にいるテロ組織の首謀、アブドゥッラー・オジャラン氏の2月27日の呼びかけ後、予想されていた大会が行われたと発表された。
大会がどのような雰囲気で実施されたか、武装放棄に反対するグループがいるのかどうかは未だ知らされていない。武装放棄がどうやって行われるかや、スケジュールが発表されるか否かも不明だ。関係者は大会での決定と同様に実際の適用が重要になると指摘している。

■オジャランは参加したのか?

テロ組織とDEM党派より以前行われた発表では、オジャラン氏が大会を何らかの方法で運営しなければならないと繰り返し強調されていた。このことについて明らかな情報はないが、複数の関係者は「技術的な可能性」を使ってオジャラン氏が大会を運営したと主張した。この枠組みでオジャラン氏の発表によって決定が公表されるとも述べられた。このためにもDEM党からの訪問団がイムラル島へ行くかもしれないと評価されている。決定についての発表は5月11日(日)の母の日に公表されるかもしれないとも噂されている。

■「まもなく発表される」

大会に関する初の声明はDEM党のアイシェギュル・ドアン報道官の記者会見で出された。ドアン報道官は「スッル・スレイヤ・オンデル氏が我々に平和が可能であること、望めば為しうることを見せてくれた」と述べ、「PKKの大会はいつ開かれるか」との問いに対し、以下のように述べた。
「PKKが大会を開いたとの一報は時間の問題だ。我々もこの歴史的決定と進展は大変厳粛かつ重大に認識している。この段階の後も重要になる。我々はDEM党として繰り返します。我々が負うすべての責任を勇気と決意、献身をもって果たす準備がある。」

■詳細が発表される

DEM党の報道官の発表から少し後、予想されていた声明が出された。テロ組織PKKは大会を5月5日から7日の間に行ったと発表した。「PKKは第12回大会を5月5日から7日の間に、メディア防衛地域において成功裏に行われた」と述べられた。発表では大会は2つの異なる場所で実現したと述べられ、「オジャラン氏の呼びかけをもとにPKKの活動について歴史的に重要な決定がとられた」と述べられた。また発表では「PKK第12回大会では準備における最大の功労者の一人、亡きスッル・スレイヤ・オンデル氏を敬意と感謝をもって追悼した」と述べられた。大会の結果と決定について広範で詳しい情報や文書は2つの異なる場所での結果を統合した後、すぐに公表されると伝えられた。

■議会の強調

DEM党の中央運営委員会(MYK)はこの発表を「歴史的転換点」として評価した。MYKを代表して行われた発表ではレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領、MHPのデヴレト・バフチェリ党首、CHPのオズギュル・オゼル党首と野党の党首たちへも感謝が述べられた。発表では次の通り述べられた。「DEM党としてこの歴史的転換点の後、クルド人問題の解決とトルコが本当の意味で民主化するために国会をはじめとするすべての民主政治機関が責任を取る必要があると我々は信じている。この歴史的瞬間においてトルコの民主的な未来を築くチャンスを成功に導くため、行政権が歴史的な責任を果たすことが平和を守ることになる。」

■大会はどこで開かれた?

PKKの大会が開かれた場所として伝えられた「メディア防衛地域」とはイラクで組織が支配している場所を指して使われている。PKKによればこの地域にはアルビール、スライマーニーヤ、ダフークに属する658の村が含まれている。しかしトルコ国軍(TSK)の一連の「爪」作戦によってPKKはここ数年多くの場所で支配権を失った。

■ブルダン議員「歴史的な進展がある」

DEM党イムラル島訪問団のメンバー、ペルヴィン・ブルダン議員は「トルコにお祝い申し上げる。今後平和の試金石が置かれる。歴史的な進展がある」と述べた。ブルダン議員はオジャランが会議に参加したか否かについて「おそらく技術的な通信が行われた。あまり詳細には語りたくない。なぜなら我々をより長い道のりが待ち受けているからだ。我々は発表を注意深く行われなければならないと考えている。」と述べた。

■子供たちを見守る家族は希望をもつ

ディヤルバクルではテロ組織PKKによって誘拐された子供たちに会いたいと願う家族たちが2019年9月3日に始めた座り込み抗議活動が2076日に及んでいる。家族たちはPKK大会の結果の発表を待っている。息子のオズカン・アイドゥン君のために見守り続けているスレイマン・アイドゥンさんは「テロ組織PKKが解散されることは私たちの子供たちを家に帰すということだ。皆にとって大きな希望になった」と述べた。ヤヴズ・チャクマク君の母親セヴギ・チャクマクさんも「テロのないトルコのおかげで子供たちが戻るよう願っている。願わくば、大統領とデヴレト・バフチェリ党首に神の祝福がありますように」と述べた。

■10月1日から今日まで

プロセスのマイルストーン
2024年10月1日:MHPのバフチェリ党首が議会の新立法年度の始まりに、DEM党員らと握手を交わした。
10月22日:バフチェリ党首が「テロ首謀の隔離が解除されたならば、DEM党のグループ会議に来て発言し、組織は解散されると宣言してください」と呼びかけた。
11月26日:MHP党首は「イムラル島とDEMグループの間で対面での接触が遅れることなく行われることを期待している」と述べた。DEM党はイムラル島訪問のために法務省に申請した。
12月28日:イムラル島訪問団はオジャラン氏と最初の面会を行った。
1月29日:エルドアン大統領は「テロのないトルコという目標にたどり着く」と述べ、バフチェリ党首の声明を「大変貴重な」ものだと述べた。
2月27日:DEM党団がイムラル島を訪問した。同日に訪問団はオジャランがPKKへ大会を開き、組織を解散させるよう呼びかけを行ったとのメッセージを公表した。
3月1日:PKKが「停戦」を宣言すると報じた。
4月10日:エルドアン大統領はオンデル氏とブルダン議員をベシュテペの大統領官邸で迎え入れた。

■「事故以外の何かを引き出すことは間違いだ」

DEM党のアイシェギュル・ドアン報道官はDEM党本部で行った記者会見でイムラル島訪問団のメンバー、ペルヴィン・ブルダン議員がローマで事故にあったとの報道について述べた。ドアン報道官は「この事故は暗殺の企てだったとみなされるべきではない。自動車を運転していた友人が誤って対向車線に進入したことで発生した事故だ。なんにせよ大きな損傷はなく、誰も負傷しなかった交通事故だ。このほかの何かを引き出そうとすることは間違いだ。」と述べた。(アンカラ、ミッリイェト紙報道)

■「DEM党の臨時党大会」との主張

PKKの大会決定後、DEM党も再編プロセスに入りうると主張されている。裏側では党がここ数日のうちに臨時党大会開催の決定を下すと話されている。

■バフチェリ党首からトゥルク氏へ祝いの電話

DEM党イムラル島訪問団メンバーのアフメト(・トゥルク)氏はMHPのデヴレト・バフチェリ党首が電話をかけてきてプロセスが成功するよう祈ってくれたと話した。トゥルク氏はあるテレビ番組で行った発表で「バフチェリ党首が電話をくれた。このプロセスが成功するように願い、我々を祝福してくれた。私もデヴレト・バフチェリ党首を祝福し、その功労に多大な敬意を抱いている。」と述べた。アフメト・トゥルク氏はプロセスについて最大の役割をバフチェリ党首が担っていると述べ、「この門が開き、トルコに呼びかけを行うことにおいては重大なリスクだった。しかしこのリスクをトルコの未来を考えるためにとったのだ」と述べた。(アンカラ、ミッリイェト紙報道)

■用心深い楽観主義、続く

より以前の解決プロセスを追っていた人々やプロセスで役目を果たした人物たちがPKKの発表をミッリイェト紙へ評価した。
記者で作家のイルハミ・ウシュク氏曰く「解散と武装放棄の発表はオジャラン氏によって行われると考えている。このため今日か明日にイムラル島訪問が実現されうる。今後のためにPKKは変化と変革を確実に行う。武装に頼った組織ではなくなる。」

■「統合を確実に行わなければならない」

クルド研究センターのレハ・ルハヴィオール所長曰く「今後、もはや解散以外の決定を出すことは不も可能と考えている。小さな亀裂の音があっても、注意には当たらない。最大限のコンセンサスが確実にとられると推測する。一方でオジャラン氏が、一方でクルド人社会が、一方で中東でのプロセスが皆この方向で進んでいる中で、亀裂の音を出す者たちの正当性の問題が生じ、社会的排除が発生する。肝心の仕事はトルコ政治の肩にかかっていると考えている。大きな連携のもとこの統合が確実に行われなければならない。」

■「今後の技術」

元有識者委員会メンバーのヴァハプ・ジョシュクン博士曰く「これは絶対にPKKが武装を明日放棄するという意味合いにはならない。これは技術的プロセスだ。この武器をどこへ、誰へ、誰の仲介で放棄するのか?おそらく今日まで議論されていただろう。よってこの武装が放棄されるプロセスはまだあるが、重要なのはこの決定がされることだ。」

■「慎重に接近しなければならない。」

退役少将のギュライ・アルパル博士曰く「武装放棄の決定はすでに必要に迫られて生じたことだ。なぜならPKKはトルコ国軍の作戦によって外に出られない状況になっていたからだ。決定において複数の過激な文章があるかもしれない。『我々は負けた』と言いたくはないだろう。決定は重要でないとは言えないが、テロ組織を完全に信用はできない。明日、自身を支持する国家がその国益に反すると考えて『続けろ』と言えば衝突は続きうる。慎重に接近しなければならない。」

■法的な措置

DEVA党のメフメト・エミン・エクメン副党首曰く「発表はPKKの本体を守りつつ、内部の反対を説得しながら、もしくは無効化しながら、オジャランの呼びかけに応じたことを示している。今後解散の決定の公表が待たれるが、重要なのは武装を放棄する組織のメンバーについて法的手続きが確立されることだ。今夏を通して、この話題における重要な進展が確実にある。私の考えでは、組織の清算のために特別法が必要である。構造再編や憲法上や法律上の措置が進むためにも国会の関与が必要だろう。」

■国際的な妨害行為の可能性

退役少将のメフメト・オッカン氏曰く「まず我々に敵対する国家はない。一テロ組織だ。よって組織の内部動向の点において、その声明に複数のテロリスト的なアプローチが反映されているようだ。このアプローチはいつ消え去るのか?このアプローチをさらに支持する人々はテロ組織によって清算されるのか?これらはすべて将来現れる問題である。特にトルコのテロ対応を望む国際社会の存在はここでの努力をしつづける。この役者たちがすぐ『それなら我々も放棄しよう』と言い出すことを期待してはならない。」

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( 翻訳者:伊藤梓子 )
( 記事ID:60113 )