シリア:アサドがいない犠牲祭で生活の鼓動を打ち始めるダマスカスのスーク
2025年06月05日付 al-Quds al-Arabi 紙


■アサドのいない初めての犠牲祭:経済状況が蝕むシリア人がもつ希望

【ダマスカス:本紙】

シリア人は自国が経験したあらゆるものにかかわらず、活気に満ちたなかで金曜日から始まる犠牲祭の準備を行っている。ダマスカス旧市街の中心部にある庶民的なスークが再び生活の鼓動を打ち始めたように見えた。ミーダーン地区やジュズマーティーヤ地区の古いスークの路地ではコーヒーや香辛料、そして様々な種類の甘いお菓子の香りが入り混じっている。一方マシュリクでもっとも有名なスークに数えられる、ハーミディーヤ・スーク、ハリーカ・スーク、ハヤーティーン・スークの各店舗も、まるで彼らが喜びをもって厳しさに立ち向かい、子供に服を着させ、絶望を知らない忍耐強い手によって新しいものを作ろうとしているかのように、犠牲祭の儀式を復活させようと強く望む客で溢れ返っている。

このような活気のなかで、本紙はダマスカス市民の犠牲祭の準備、そして挑戦とノスタルジーのリズムに乗って進む彼らの日常の細部を取材した。そこでは生活の細部の多くが変わってしまってもなお、犠牲祭の精神は人々の感情の中にあり続けているのだ。

伝統のあるハーミディーヤ・スークで、とある店を経営しているサミヤ・アッタールさんは自身の記憶を辿り、「内戦時と、安定が徐々に戻りつつある時期」の2つの時期の間にある犠牲祭について語った。

アッタールさんは本紙に対して「スークは商品や品物で溢れていて、価格と品揃えにおいて目を引くほどの多様性をみせています。しかし政府による幾ばくかの限定的な支援にもかかわらず、国民の購買力は依然としてほとんど失われています」と述べた。

彼女は、今年の犠牲祭を特徴づけるもっとも顕著なものとして、街同士を隔絶し、県同士のアクセスを遮断していた治安・軍事目的の検問所が消えたことによって、県を超えての移動が可能となったことを挙げた。これにより、治安措置の厳格化が行われてから数年ぶりに、人々が再び自由に移動する機会を得られたのだという。

彼女は「苦しい状況ではありますが、犠牲祭がそこにあるだけでも、それはお金で買うことのできない温かさを我々に与えてくれるのです」と付言した。

(後略)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:清久功介 )
( 記事ID:60273 )